2024年7月27日、近江・越前ツアーの2日目です。宿泊したプリンスホテルタケフを7時半に出発。まずは福井市内の足羽山にある足羽神社を参拝し、有名な継体天皇像を拝みに行きました。
足羽神社の祭神はもちろん継体天皇。こんなことを書くと地元の人に叱られるかもですが、そもそも越前における継体天皇にまつわる数々の伝承や所縁の地はどうもあやしい。文献として残っているものがないので基本的にすべて口伝。『古事記』にも越前のことは出てこないし、『日本書紀』でも幼少時に父を亡くして母の振媛が越前に連れ帰ったことが記されるのみです。このあたりの不思議は「継体天皇(越前における伝承1)」「(同2)」として当ブログに書いたのでご覧ください。
継体天皇を勉強するならこの本がおススメ。
↓↓↓↓↓
次は越国最古の四隅突出型墳丘墓、小羽山30号墓です。清水きららの森公園に車を停めて夏草が茂る丘陵に踏み込みます。茂みを掻き分け、少し迷いながらも進んでいくとありました。最後はイノシシ除けの電線をまたいだ少し先に念願の小羽山30号墓。
小羽山墳墓群は弥生後期中頃から後半の墳墓群で8基の四隅が見つかっています。そのうち30号墓は墳丘長が27m、長さ3.7mの箱型木棺に碧玉製管玉103点を始めとする副葬品が出土しています。築造は出雲の西谷3号墓とほぼ同じ弥生後期中頃で北陸地方で最も古い四隅突出型墳丘墓です。
このあとは鯖江市にもどって長泉寺山古墳群へ。ここで前日会食した佐々木さんのご友人と再会です。このご友人は鯖江市のご出身で数々の有名企業の要職を歴任してこられ、現在は福井と東京の二拠点生活で主に福井県の郷土史の掘り起こしと町おこしなどに取り組んでおられます。この方が、長泉寺山古墳に行くのならご一緒したいと希望され、朝8時半に鯖江市役所にて待ち合わせをした次第です。
長泉寺山一帯の尾根づたいに80基ほどの墳墓や古墳が確認されていて、その中でも山頂にあって唯一の明確な前方後円墳である長泉寺山67号墳が目的地です。ご友人が地元のツテで聞いてくれていた市役所裏手の登り口から70mの山頂まで登りました。
途中、道が分かれるところで少し迷いながら、そして蜘蛛の巣と戦いながらようやく到着。最後は知らないうちに古墳の上を歩いていました。
ご友人にご満足いただけたかどうかわかりませんが、道中で語ってくれたこのあたりの地形や歴史の話をたいへん興味深く伺いました。そうそう、市役所にはこんな横断幕が掲げられていました。そういえば鯖江は体操が盛んな町でした。ご友人とはここでお別れです。
次は王山古墳群。標高15~30mの鯖江台地南端の王山と呼ばれる丘陵上に弥生中期から古墳時代中期の54基の方形周溝墓や古墳が並びます。
尾根上に方形周溝墓というのはちょっと違和感。通常は尾根を方形に切り出して台状墓にすると思うのだけど、わたしの思い込みかな。切り出すよりも周溝を掘って区画するほうが楽チンだったからかな。
尾根の高い方から低い方へ整然と並んでいる様子から、この地の首長一族の代々の墓が高い所から順に累々と造られたと思えたのですが、調べてみると上からとか下からとか関係なく、3世紀の方形周溝墓と4世紀の方墳が順不同で造られたようです。
最後のはいちばん高い所にあるこの墓域最大の40号墓で、台状部の高さから方墳と思いきや、なんと弥生中期末の方形周溝墓だとか。いやあ、これは明らかに方墳もしくは台状墓でしょ。いずれにしても古墳群最大なので一族が最も栄えた頃のリーダーの墓なんでしょう。
これは何号墓だったか忘れたのだけど、ちょっと四隅突出墓な感じです。周溝が隅の部分で切れているケースで、周溝の掘り残しなのか台状部へ渡る通路なのか。これまで方形周溝墓を勉強してきて、台状部が削平されて地面と水平になっている例ばかり見てきたのですが、このように墓壙を含めて台状部がそのまま残っていてその台状部へ渡る、あるいは登るような形で隅の部分が残っているケースは初めてです。これを見る限りは台状部へ登るために設けた通路のように見えますね。
このケースのように、実際にこの眼で見たときに、それまで頭の中で考えたことと違っているとちょっと残念な気持ちになります。でも、それが現実なのだから仕方ないと言えば仕方ないと思いながら王山を下山しました。
方形周溝墓の勉強は面白いよ。
↓↓↓↓↓
王山古墳群のあとは王山の東麓にある舟津神社を参拝。祭神は崇神朝の四道将軍のひとり、大彦命です。
『舟津社記』によれば、大彦命が淡海(近江)から角鹿(敦賀)を経て八田(丹生郡越前町八田か)から船に乗って深江(鯖江市深江町)に舟を着けたので舟津というらしい。敦賀から山越えで八田に進み、その後は船で日野川を下ったということでしょうか。
北陸一の古社だそうです。大彦命が祭神となっていますが、この本殿の裏山が王山ということを考えると、もともとは王山に眠る一族の誰かを、あるいはその祖先を祀る場所だった可能性が高いと考えます。
(つづく)
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
足羽神社の祭神はもちろん継体天皇。こんなことを書くと地元の人に叱られるかもですが、そもそも越前における継体天皇にまつわる数々の伝承や所縁の地はどうもあやしい。文献として残っているものがないので基本的にすべて口伝。『古事記』にも越前のことは出てこないし、『日本書紀』でも幼少時に父を亡くして母の振媛が越前に連れ帰ったことが記されるのみです。このあたりの不思議は「継体天皇(越前における伝承1)」「(同2)」として当ブログに書いたのでご覧ください。
継体天皇を勉強するならこの本がおススメ。
↓↓↓↓↓
次は越国最古の四隅突出型墳丘墓、小羽山30号墓です。清水きららの森公園に車を停めて夏草が茂る丘陵に踏み込みます。茂みを掻き分け、少し迷いながらも進んでいくとありました。最後はイノシシ除けの電線をまたいだ少し先に念願の小羽山30号墓。
小羽山墳墓群は弥生後期中頃から後半の墳墓群で8基の四隅が見つかっています。そのうち30号墓は墳丘長が27m、長さ3.7mの箱型木棺に碧玉製管玉103点を始めとする副葬品が出土しています。築造は出雲の西谷3号墓とほぼ同じ弥生後期中頃で北陸地方で最も古い四隅突出型墳丘墓です。
このあとは鯖江市にもどって長泉寺山古墳群へ。ここで前日会食した佐々木さんのご友人と再会です。このご友人は鯖江市のご出身で数々の有名企業の要職を歴任してこられ、現在は福井と東京の二拠点生活で主に福井県の郷土史の掘り起こしと町おこしなどに取り組んでおられます。この方が、長泉寺山古墳に行くのならご一緒したいと希望され、朝8時半に鯖江市役所にて待ち合わせをした次第です。
長泉寺山一帯の尾根づたいに80基ほどの墳墓や古墳が確認されていて、その中でも山頂にあって唯一の明確な前方後円墳である長泉寺山67号墳が目的地です。ご友人が地元のツテで聞いてくれていた市役所裏手の登り口から70mの山頂まで登りました。
途中、道が分かれるところで少し迷いながら、そして蜘蛛の巣と戦いながらようやく到着。最後は知らないうちに古墳の上を歩いていました。
ご友人にご満足いただけたかどうかわかりませんが、道中で語ってくれたこのあたりの地形や歴史の話をたいへん興味深く伺いました。そうそう、市役所にはこんな横断幕が掲げられていました。そういえば鯖江は体操が盛んな町でした。ご友人とはここでお別れです。
次は王山古墳群。標高15~30mの鯖江台地南端の王山と呼ばれる丘陵上に弥生中期から古墳時代中期の54基の方形周溝墓や古墳が並びます。
尾根上に方形周溝墓というのはちょっと違和感。通常は尾根を方形に切り出して台状墓にすると思うのだけど、わたしの思い込みかな。切り出すよりも周溝を掘って区画するほうが楽チンだったからかな。
尾根の高い方から低い方へ整然と並んでいる様子から、この地の首長一族の代々の墓が高い所から順に累々と造られたと思えたのですが、調べてみると上からとか下からとか関係なく、3世紀の方形周溝墓と4世紀の方墳が順不同で造られたようです。
最後のはいちばん高い所にあるこの墓域最大の40号墓で、台状部の高さから方墳と思いきや、なんと弥生中期末の方形周溝墓だとか。いやあ、これは明らかに方墳もしくは台状墓でしょ。いずれにしても古墳群最大なので一族が最も栄えた頃のリーダーの墓なんでしょう。
これは何号墓だったか忘れたのだけど、ちょっと四隅突出墓な感じです。周溝が隅の部分で切れているケースで、周溝の掘り残しなのか台状部へ渡る通路なのか。これまで方形周溝墓を勉強してきて、台状部が削平されて地面と水平になっている例ばかり見てきたのですが、このように墓壙を含めて台状部がそのまま残っていてその台状部へ渡る、あるいは登るような形で隅の部分が残っているケースは初めてです。これを見る限りは台状部へ登るために設けた通路のように見えますね。
このケースのように、実際にこの眼で見たときに、それまで頭の中で考えたことと違っているとちょっと残念な気持ちになります。でも、それが現実なのだから仕方ないと言えば仕方ないと思いながら王山を下山しました。
方形周溝墓の勉強は面白いよ。
↓↓↓↓↓
王山古墳群のあとは王山の東麓にある舟津神社を参拝。祭神は崇神朝の四道将軍のひとり、大彦命です。
『舟津社記』によれば、大彦命が淡海(近江)から角鹿(敦賀)を経て八田(丹生郡越前町八田か)から船に乗って深江(鯖江市深江町)に舟を着けたので舟津というらしい。敦賀から山越えで八田に進み、その後は船で日野川を下ったということでしょうか。
北陸一の古社だそうです。大彦命が祭神となっていますが、この本殿の裏山が王山ということを考えると、もともとは王山に眠る一族の誰かを、あるいはその祖先を祀る場所だった可能性が高いと考えます。
(つづく)
↓↓↓↓↓↓↓電子出版しました。ぜひご覧ください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます