大阪歴史博物館は隣のNHKとともに大阪市立中央体育館の跡地に建てられ、2001年に開館しました。中央体育館を解体するときに難波宮跡が発掘されると同時に5世紀の遺跡である法円坂遺跡も発掘調査されました。このときの遺構が建物の下に保存され、見学をすることができます。
チケット購入時に遺構見学ガイドツアーに参加したい旨を告げて開始時間や参加方法を聞いていたので、博物館の展示見学を少し早い目に切り上げて1階ロビーのツアー受付に向かいました。
1階ロビーの様子。
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ツアーの参加者は私を含めて15名です。学芸員の方が1名とボランティアガイドの方2名の引率でツアーが始まりました。まず最初はこのロビーの下にある難波宮の倉庫群とされている遺構からです。
ロビーの床がガラス張になっていて、その下に遺構が保存されています。
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掘立柱の跡が並んでいます。メジャーで示されているように120㎝四方の穴を深さ1mほどまで掘り下げ、そこに柱を立てて埋めるという、いわゆる掘立柱の方式で建てられたことがわかります。この建物は倉庫群を管理する管理棟と考えられています。
次は館外へ出て隣のNHKビルの地下へ降ります。地下に掘立柱跡が並ぶ倉庫群の遺構が保存されています。
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柱に見立てた提灯のようなものがぶら下がっています。東西に4本、南北に5本、計20本の柱で1つの倉庫を構成し、この地下ではふたつの倉庫跡を確認することができました。
遺構の場所や構成を示した図。
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この倉庫群は難波宮跡の西北に位置していました。
中央体育館解体時の様子。
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床をはがした状態で建屋を解体する前に調査をしたようです。
この遺構は大阪城の西南、外堀の外側に位置します。
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黄色のマルで囲われた部分です。このときはまだ陸軍の施設があったようです。
現在の様子を空撮。
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難波宮跡の遺構はここまで。このあと、NHKの外へ出て法円坂遺跡の遺構を見学します。
法円坂遺跡は難波宮造営を遡ること200年、古墳時代中期の大型倉庫群跡で国の史跡になっています。難波宮跡よりも下の地層から検出されました。この地は上町台地の北端にあたり、古代には上町台地の東側には河内湖が広がっていました。仁徳天皇のとき、湖に堆積した土砂によって滞るようになっていた河内湖の水を大阪湾に流すために台地を横切るように掘削して堀が設けられたことによって船の航行が可能になったこともあり、このあたりは古代瀬戸内海航路の拠点、一大物流拠点として機能する場所であったことがわかっています。
第15代応神天皇の頃から政治の中心が大和から河内に移り、上町台地の南にあたる地に巨大な天皇陵が築かれるようになりました。この法円坂遺跡の大倉庫群は当時の政治情勢や外交の様子をうかがい知ることができる遺跡です。難波宮跡よりもこの法円坂遺跡の方を興味深く見学しました。
法円坂遺跡の説明板。
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約90㎡の大型倉庫跡が16棟も検出されました。
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倉庫1棟が復元されています。
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通常は入ることができない内部に入ることができました。
ここでガイドツアーは終了となりました。あまりに暑かったので道路を隔てたところにある史跡公園へ行くのはあきらめて、ガイドツアーで聞いた展示資料を確認するために博物館に戻ることにしました。そして最後にロビーをうろついていて見つけたのが「タイムカプセル」の案内表示。私の世代の多くの大阪人はタイムカプセルと聞いてピーンとくるはずです。そうです。大阪万博の時に地中深くに埋められたアレです。
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現代の生活で利用されている様々な物品を未来に伝えるために万博の時に松下館に展示された後、大阪城天守閣前に埋められたものです。カプセルは2つあって、1つは西暦2000年に一度開封されて内容物を確認後に再び埋められ100年ごとに確認することに、もう1つは5000年後に開封されることになっています。万博のときに小学4年生であった私はこのタイムカプセルの話にすごいロマンを感じたことを覚えています。それをここで見ることになるとは。
タイムカプセルのサプライズもあって、たいへん貴重で感慨深い博物館見学となりました。
チケット購入時に遺構見学ガイドツアーに参加したい旨を告げて開始時間や参加方法を聞いていたので、博物館の展示見学を少し早い目に切り上げて1階ロビーのツアー受付に向かいました。
1階ロビーの様子。
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ツアーの参加者は私を含めて15名です。学芸員の方が1名とボランティアガイドの方2名の引率でツアーが始まりました。まず最初はこのロビーの下にある難波宮の倉庫群とされている遺構からです。
ロビーの床がガラス張になっていて、その下に遺構が保存されています。
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掘立柱の跡が並んでいます。メジャーで示されているように120㎝四方の穴を深さ1mほどまで掘り下げ、そこに柱を立てて埋めるという、いわゆる掘立柱の方式で建てられたことがわかります。この建物は倉庫群を管理する管理棟と考えられています。
次は館外へ出て隣のNHKビルの地下へ降ります。地下に掘立柱跡が並ぶ倉庫群の遺構が保存されています。
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柱に見立てた提灯のようなものがぶら下がっています。東西に4本、南北に5本、計20本の柱で1つの倉庫を構成し、この地下ではふたつの倉庫跡を確認することができました。
遺構の場所や構成を示した図。
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この倉庫群は難波宮跡の西北に位置していました。
中央体育館解体時の様子。
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床をはがした状態で建屋を解体する前に調査をしたようです。
この遺構は大阪城の西南、外堀の外側に位置します。
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黄色のマルで囲われた部分です。このときはまだ陸軍の施設があったようです。
現在の様子を空撮。
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難波宮跡の遺構はここまで。このあと、NHKの外へ出て法円坂遺跡の遺構を見学します。
法円坂遺跡は難波宮造営を遡ること200年、古墳時代中期の大型倉庫群跡で国の史跡になっています。難波宮跡よりも下の地層から検出されました。この地は上町台地の北端にあたり、古代には上町台地の東側には河内湖が広がっていました。仁徳天皇のとき、湖に堆積した土砂によって滞るようになっていた河内湖の水を大阪湾に流すために台地を横切るように掘削して堀が設けられたことによって船の航行が可能になったこともあり、このあたりは古代瀬戸内海航路の拠点、一大物流拠点として機能する場所であったことがわかっています。
第15代応神天皇の頃から政治の中心が大和から河内に移り、上町台地の南にあたる地に巨大な天皇陵が築かれるようになりました。この法円坂遺跡の大倉庫群は当時の政治情勢や外交の様子をうかがい知ることができる遺跡です。難波宮跡よりもこの法円坂遺跡の方を興味深く見学しました。
法円坂遺跡の説明板。
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約90㎡の大型倉庫跡が16棟も検出されました。
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倉庫1棟が復元されています。
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通常は入ることができない内部に入ることができました。
ここでガイドツアーは終了となりました。あまりに暑かったので道路を隔てたところにある史跡公園へ行くのはあきらめて、ガイドツアーで聞いた展示資料を確認するために博物館に戻ることにしました。そして最後にロビーをうろついていて見つけたのが「タイムカプセル」の案内表示。私の世代の多くの大阪人はタイムカプセルと聞いてピーンとくるはずです。そうです。大阪万博の時に地中深くに埋められたアレです。
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現代の生活で利用されている様々な物品を未来に伝えるために万博の時に松下館に展示された後、大阪城天守閣前に埋められたものです。カプセルは2つあって、1つは西暦2000年に一度開封されて内容物を確認後に再び埋められ100年ごとに確認することに、もう1つは5000年後に開封されることになっています。万博のときに小学4年生であった私はこのタイムカプセルの話にすごいロマンを感じたことを覚えています。それをここで見ることになるとは。
タイムカプセルのサプライズもあって、たいへん貴重で感慨深い博物館見学となりました。
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