宗像大社を出た後、この日の最終目的地である新原・奴山古墳群に向かう途中、中津宮のある大島を見たいと考えて海岸へ出ようと試みた。カーナビを見ながらできるだけ海に近づこうと進んでいくと港の駐車場に突き当たった。ところが、高い堤防があって海が見えない。当然、島も見えない。堤防にかけられた梯子にのぼってようやく眺めることができた。
玄界灘の荒波に浮かぶ大島。
どうにかこうにか大島を眺めることができ、プチ満足感をもって新原・奴山古墳群へ向かった。途中、重く垂れこめた雲間から指し込む幾筋もの光。今にも神様が降りてきそうな荘厳な風景でした。
10分と少しで到着。古墳群を見渡す高台に駐車場があり、小さな簡易ハウスが事務所になっている。私たちがいくとお爺さんがパンフレットをもって出てきて、説明板を前に説明を始めてくれた。
高台から古墳群を臨む。
古墳群の右手に見えるのが大島だ。ここから見えるのならさっき無理して行かなくてもよかったのに。
上の写真と同じ景色をもとにした古墳の説明。
新原・奴山古墳群は福岡県福津市の対馬見山系にある古墳群。沖ノ島祭祀を行った宗像氏の墳墓群で5世紀後半~6世紀後半の古墳時代中期後半に造営された。優れた航海術を持ち、対外交流に従事した宗像氏は、5~6世紀にかけて入海に面した台地上に墳墓群を築いた。東西800メートルの丘陵地上に前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存する。この他、過去の記録や発掘調査・地形測量により、周囲の田圃開削により失われた古墳が18基あったことが確認されている。
2017年、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして世界遺産に登録されたが、これは古墳が世界遺産に登録された国内最初の例である。
この高台から眺めると、三女神を祀る玄界灘を臨むこの地に幾世代にもわたって築かれた古墳群が宗像一族の墓域であることを確信させる。
記憶が定かではないのだけどお爺さんの説明にこんなくだりがあった。「朝鮮半島から三人の機織り女が連れらてきたときに宗像の王が一人の女を欲しいと言ってかこってしまった。その家があのあたりにある。」 お爺さんは高台から見て右手の山麓の村を指差した。そんな話あったかな、と思って聞き流したものの、帰宅してから日本書紀を読んでいると応神天皇紀の最後にこんな話が記載されていた。「阿知使主(あちのおみ)らが呉から筑紫に着いた。そのときに宗像大神が工女らを欲しいと言われ、兄媛を大神に奉った。これがいま筑紫国にある御使君(みのかいのきみ)の先祖である。」 お爺さんの話はおそらくこのことを言っているのだろう。
夕方になって風が一段と強くなり、寒さが身に沁みてきた。もう少し暖かければ高台を下りて古墳群の中を歩いてみようと思ったけど、おじさん三人組には少し酷な状況であった。これにてこの日の踏査を終了し、博多に向かうこととした。
途中、光の道で有名な宮地嶽神社の前を通過。折しも時刻は夕暮れ前。雲の間から時折太陽が顔を出す。おそらく30分ほどで日没を迎えるであろうが、これだけ雲が垂れ込めている状況では光の道を拝める可能性はかなり低い。疲れもピークで身体も冷えている。ということで、おじさん三人組は合理的判断に基づいてそのまま博多に向かうことにした。
この日の宿泊は博多駅近くのカプセルホテル。観光客で混んでいるのか、それとも何かイベントでもあるのか、この日は手頃なホテルがどこもいっぱいだったのでカプセルホテルの個室を予約。チェックインを済ませ、おでんを食べようと中洲の屋台へ繰り出した。
屋台は開店準備中のお店が多く、開店しているお店はすでに満席で行列ができ始めている。残念ながら屋台は見学だけにして中洲のど真ん中にあるおでん屋さんで身体をあたためることに。
さあ、明日はツアー最終日、大分空港までの長距離ドライブだ。カプセルホテルの大浴場には露天風呂もある。ゆっくり身体を休めよう。
玄界灘の荒波に浮かぶ大島。
どうにかこうにか大島を眺めることができ、プチ満足感をもって新原・奴山古墳群へ向かった。途中、重く垂れこめた雲間から指し込む幾筋もの光。今にも神様が降りてきそうな荘厳な風景でした。
10分と少しで到着。古墳群を見渡す高台に駐車場があり、小さな簡易ハウスが事務所になっている。私たちがいくとお爺さんがパンフレットをもって出てきて、説明板を前に説明を始めてくれた。
高台から古墳群を臨む。
古墳群の右手に見えるのが大島だ。ここから見えるのならさっき無理して行かなくてもよかったのに。
上の写真と同じ景色をもとにした古墳の説明。
新原・奴山古墳群は福岡県福津市の対馬見山系にある古墳群。沖ノ島祭祀を行った宗像氏の墳墓群で5世紀後半~6世紀後半の古墳時代中期後半に造営された。優れた航海術を持ち、対外交流に従事した宗像氏は、5~6世紀にかけて入海に面した台地上に墳墓群を築いた。東西800メートルの丘陵地上に前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存する。この他、過去の記録や発掘調査・地形測量により、周囲の田圃開削により失われた古墳が18基あったことが確認されている。
2017年、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして世界遺産に登録されたが、これは古墳が世界遺産に登録された国内最初の例である。
この高台から眺めると、三女神を祀る玄界灘を臨むこの地に幾世代にもわたって築かれた古墳群が宗像一族の墓域であることを確信させる。
記憶が定かではないのだけどお爺さんの説明にこんなくだりがあった。「朝鮮半島から三人の機織り女が連れらてきたときに宗像の王が一人の女を欲しいと言ってかこってしまった。その家があのあたりにある。」 お爺さんは高台から見て右手の山麓の村を指差した。そんな話あったかな、と思って聞き流したものの、帰宅してから日本書紀を読んでいると応神天皇紀の最後にこんな話が記載されていた。「阿知使主(あちのおみ)らが呉から筑紫に着いた。そのときに宗像大神が工女らを欲しいと言われ、兄媛を大神に奉った。これがいま筑紫国にある御使君(みのかいのきみ)の先祖である。」 お爺さんの話はおそらくこのことを言っているのだろう。
夕方になって風が一段と強くなり、寒さが身に沁みてきた。もう少し暖かければ高台を下りて古墳群の中を歩いてみようと思ったけど、おじさん三人組には少し酷な状況であった。これにてこの日の踏査を終了し、博多に向かうこととした。
途中、光の道で有名な宮地嶽神社の前を通過。折しも時刻は夕暮れ前。雲の間から時折太陽が顔を出す。おそらく30分ほどで日没を迎えるであろうが、これだけ雲が垂れ込めている状況では光の道を拝める可能性はかなり低い。疲れもピークで身体も冷えている。ということで、おじさん三人組は合理的判断に基づいてそのまま博多に向かうことにした。
この日の宿泊は博多駅近くのカプセルホテル。観光客で混んでいるのか、それとも何かイベントでもあるのか、この日は手頃なホテルがどこもいっぱいだったのでカプセルホテルの個室を予約。チェックインを済ませ、おでんを食べようと中洲の屋台へ繰り出した。
屋台は開店準備中のお店が多く、開店しているお店はすでに満席で行列ができ始めている。残念ながら屋台は見学だけにして中洲のど真ん中にあるおでん屋さんで身体をあたためることに。
さあ、明日はツアー最終日、大分空港までの長距離ドライブだ。カプセルホテルの大浴場には露天風呂もある。ゆっくり身体を休めよう。
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