立岩遺跡を出たあと、1時間もかからずに宗像大社に到着。ここは4ケ月前の7月にひとりで訪ねている。
福岡県宗像市にある神社で、日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社。昨年、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。
以下は宗像大社の公式サイトにある由緒。
ここ宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にありました。 日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には、「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との 神勅(しんちょく)(天照大神のお言葉)により、三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが記されています。
日本書紀の本文およびふたつの一書(あるふみ=別伝)には次のように記されている。
日本書紀本文
又勅曰「其十握劒者、是素戔鳴尊物也。故、此三女神、悉是爾兒」便授之素戔鳴尊、此則筑紫胸肩君等所祭神是也
日本書紀一書
乃以日神所生三女神、令降於筑紫洲、因教之曰「汝三神、宜降居道中、奉助天孫而爲天孫所祭也」
日本書紀一書
卽以日神所生三女神者、使隆居于葦原中国之宇佐嶋矣、今在海北道中、號曰道主貴、此筑紫水沼君等祭神是也
祭神の説明。
以下は宗像大社の公式サイトより。
宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。三女神のお名前は 田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、田心姫神は 沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、市杵島姫神は 辺津宮 (へつぐう)におまつりされており、この三宮を総称して「宗像大社」と申します。
広大な駐車場に車を停めて境内に向かうと、鳥居の脇に「西日本菊花大会」の看板。ないほうがいいのに、と思いながら撮影。
前回訪問時に撮った写真。看板がないほうがいいでしょ。
鳥居をくぐって境内に入ると手水舎や祓舎の周囲に所狭しと菊花が並べれらている。そして気がつくと岡田さんが横道にそれて観菊にふけっている。「目的が違うよ」と佐々木さんに声を掛けられて戻ってきた岡田さんが「スマンスマン、ついつい観に行ってしまった」と。
神門をくぐるとすぐに拝殿。ここにも菊が。
神門の扉には菊の御紋。これは菊花大会とは関係ない。
拝殿。(上の写真は前回訪問時のもの)
日本書紀に記される「奉助天孫而爲天孫所祭」の額が掛けられている。
本殿。(前回訪問時の写真)
拝殿と本殿の全景。美しい。(前回訪問時の写真)
社殿を取り巻くように22の末社が並ぶ。末社の社殿も立派だ。
本殿を参拝したあと高宮祭場に向かうのだが、この高宮祭場がこのツアー2日目のメインイベントだ。宗像三女神の降臨地と伝えられ、沖ノ島と並び我が国の祈りの原形を今に伝える全国でも数少ない古代祭場。
と、その前にここを拝んでおかなければ。それは第二宮、第三宮だ。それぞれ「ていにぐう」「ていさんぐう」と読む。第二宮には沖津宮の田心姫神を、第三宮に中津宮の湍津姫神を祀っているので、さっき参拝した本殿(辺津宮)の市杵島姫神と合わせて海の向こうの沖ノ島や大島へ渡らずとも三女神を拝んだことになると言われる。
この第二宮、第三宮は伊勢神宮の第60回式年遷宮(昭和48年)に際し、特別に下賜された別宮の古殿を移築再建したもの。7月に来たときにはそれ以来42年ぶりの修復作業中で参拝できなかったが今回はその修復が完了し、新しくなった拝殿で参拝することができた。
第二宮。
第三宮。
そしてここが高宮祭場。静かな空気、厳かな雰囲気、話す声が思わず小声になる。
高宮祭場を参拝した後、沖ノ島から発掘された8万点の出土品を展示する神宝館へ。
神宝館入り口の掲示。
入館料は800円。入館するとまずビデオで宗像信仰や沖ノ島の神事について学習してから展示室へ。館内展示物はすべて撮影禁止なのだが、こっそりカシャッとやってみたら隣で観覧していたおじさんに叱られてしまった。スイマセン。
この一帯を支配した宗像氏は海洋族で、朝鮮半島と九州を行き来する航海を取り仕切る一族であった。古来、日本が朝鮮半島を通じて中国との交易を行うためには半島と九州の間に流れる対馬海峡を無事に渡ることが必須要件であった。沖ノ島はその航海の往路においては渡航の無事を神に祈り、復路においては無事の帰国を神に感謝する神事の場であった。当初は宗像氏の私的な神事として行われていたが、大和政権成立の過程で国家神事として取り込まれていったのだ。古代から現代においても島への上陸は制限され、その結果、沖ノ島は古代の姿をそのままに残し、海の正倉院と呼ばれるほどに貴重な財物が自然のままに保存されることとなった。
この神宝館にも掲げられた天照大神の神勅。
8万点の国宝を堪能して神宝館をあとにした。
福岡県宗像市にある神社で、日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社。昨年、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。
以下は宗像大社の公式サイトにある由緒。
ここ宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にありました。 日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には、「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との 神勅(しんちょく)(天照大神のお言葉)により、三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが記されています。
日本書紀の本文およびふたつの一書(あるふみ=別伝)には次のように記されている。
日本書紀本文
又勅曰「其十握劒者、是素戔鳴尊物也。故、此三女神、悉是爾兒」便授之素戔鳴尊、此則筑紫胸肩君等所祭神是也
日本書紀一書
乃以日神所生三女神、令降於筑紫洲、因教之曰「汝三神、宜降居道中、奉助天孫而爲天孫所祭也」
日本書紀一書
卽以日神所生三女神者、使隆居于葦原中国之宇佐嶋矣、今在海北道中、號曰道主貴、此筑紫水沼君等祭神是也
祭神の説明。
以下は宗像大社の公式サイトより。
宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。三女神のお名前は 田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、田心姫神は 沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、市杵島姫神は 辺津宮 (へつぐう)におまつりされており、この三宮を総称して「宗像大社」と申します。
広大な駐車場に車を停めて境内に向かうと、鳥居の脇に「西日本菊花大会」の看板。ないほうがいいのに、と思いながら撮影。
前回訪問時に撮った写真。看板がないほうがいいでしょ。
鳥居をくぐって境内に入ると手水舎や祓舎の周囲に所狭しと菊花が並べれらている。そして気がつくと岡田さんが横道にそれて観菊にふけっている。「目的が違うよ」と佐々木さんに声を掛けられて戻ってきた岡田さんが「スマンスマン、ついつい観に行ってしまった」と。
神門をくぐるとすぐに拝殿。ここにも菊が。
神門の扉には菊の御紋。これは菊花大会とは関係ない。
拝殿。(上の写真は前回訪問時のもの)
日本書紀に記される「奉助天孫而爲天孫所祭」の額が掛けられている。
本殿。(前回訪問時の写真)
拝殿と本殿の全景。美しい。(前回訪問時の写真)
社殿を取り巻くように22の末社が並ぶ。末社の社殿も立派だ。
本殿を参拝したあと高宮祭場に向かうのだが、この高宮祭場がこのツアー2日目のメインイベントだ。宗像三女神の降臨地と伝えられ、沖ノ島と並び我が国の祈りの原形を今に伝える全国でも数少ない古代祭場。
と、その前にここを拝んでおかなければ。それは第二宮、第三宮だ。それぞれ「ていにぐう」「ていさんぐう」と読む。第二宮には沖津宮の田心姫神を、第三宮に中津宮の湍津姫神を祀っているので、さっき参拝した本殿(辺津宮)の市杵島姫神と合わせて海の向こうの沖ノ島や大島へ渡らずとも三女神を拝んだことになると言われる。
この第二宮、第三宮は伊勢神宮の第60回式年遷宮(昭和48年)に際し、特別に下賜された別宮の古殿を移築再建したもの。7月に来たときにはそれ以来42年ぶりの修復作業中で参拝できなかったが今回はその修復が完了し、新しくなった拝殿で参拝することができた。
第二宮。
第三宮。
そしてここが高宮祭場。静かな空気、厳かな雰囲気、話す声が思わず小声になる。
高宮祭場を参拝した後、沖ノ島から発掘された8万点の出土品を展示する神宝館へ。
神宝館入り口の掲示。
入館料は800円。入館するとまずビデオで宗像信仰や沖ノ島の神事について学習してから展示室へ。館内展示物はすべて撮影禁止なのだが、こっそりカシャッとやってみたら隣で観覧していたおじさんに叱られてしまった。スイマセン。
この一帯を支配した宗像氏は海洋族で、朝鮮半島と九州を行き来する航海を取り仕切る一族であった。古来、日本が朝鮮半島を通じて中国との交易を行うためには半島と九州の間に流れる対馬海峡を無事に渡ることが必須要件であった。沖ノ島はその航海の往路においては渡航の無事を神に祈り、復路においては無事の帰国を神に感謝する神事の場であった。当初は宗像氏の私的な神事として行われていたが、大和政権成立の過程で国家神事として取り込まれていったのだ。古代から現代においても島への上陸は制限され、その結果、沖ノ島は古代の姿をそのままに残し、海の正倉院と呼ばれるほどに貴重な財物が自然のままに保存されることとなった。
この神宝館にも掲げられた天照大神の神勅。
8万点の国宝を堪能して神宝館をあとにした。
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