古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

◆魏志倭人伝に記された国々の位置

2016年08月28日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 魏志倭人伝に記載された内容をもとに狗奴国が九州中南部に存在したことの妥当性について考えてみたい。倭人伝には「北」「南」「東」「南北」「東南」など方角の表現が多く見られる。邪馬台国論争においては当初より畿内説論者は「南至邪馬壹國(南に行けば邪馬台国に至る)」の南を東の間違いであるとして論を展開してきた。また一方で、対海国、一大国、末蘆国、伊都国、奴国の5ケ国については九州論者、畿内論者に関わらず次の通り、その場所が通説としてほぼ確定している。これ以外に多くの比定地があるのは承知しているが、ここではこの5ケ国の位置を頼りにして方角について考えてみる。

■対海国
 対海国(対馬国)について魏志倭人伝には、朝鮮半島南端部にあると考えられている狗耶韓国を出発し「始度一海千餘里、至對海國(初めて一海を渡って千余里で對海國に至る)」と記載されている。この記載にある通り、朝鮮半島から初めて海を渡って到着する島が対馬とすることは疑いようがない。2000年、対馬西側の入り江の奥にある峰町で弥生時代前期から後期の大規模な集落跡である三根遺跡が発見された。対馬で初めて発掘された大規模集落跡で、朝鮮半島との交易を想定させる土器の出土もあり、対馬国の拠点集落であったと考えられている。

■一大国
 一大国については対馬国のあと「又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國(また南へ一海を渡って千余里、名を瀚海という、一大國に至る)」とある。他の中国史書では一大国ではなく一支国と記載されており、これを「いきこく」と読んで壱岐とするのが通説。対馬からさらに海を渡って到着するのは壱岐であることから、これも異論はない。ここには原の辻遺跡があり、1993年に長崎県教育委員会がここを一支国の跡であると発表したことが話題になった。壱岐島の東南部にあり、島内で唯一と言っていい平野部に築かれた環濠集落で、入り江から川をのぼった集落の入り口に船着き場と考えられる遺構が見つかったのが特徴的である。

■末盧国
 末盧国については一大国のあと「又渡一海、千餘里至末盧國(また一海を渡って千余里で末盧國に至る)」と記載されており、これも通説通りに解して、その位置を松浦半島付近(旧肥前国松浦郡)とする。このあたりには、佐賀県唐津市に菜畑遺跡、松浦川や半田川、宇木川の流域に桜馬場遺跡や宇木汲田遺跡などの重要な遺跡がある。

■伊都国
 伊都国については末蘆国の記述に続いて「東南陸行五百里、到伊都國(末蘆国から東南へ陸路で五百里行くと伊都国に到る)」との記載があり、これも通説に従い、その位置を福岡県糸島市および福岡市西区(旧筑前国怡土郡)付近、糸島半島の付け根あたりに比定することでよいと思う。このあたりには三雲南小路遺跡、平原遺跡、井原鑓溝遺跡などの遺跡がある。

■奴国
 奴国については伊都国のあとに「東南至奴國百里(伊都国から東南に百里で奴国に至る)」と記載。通説によれば奴国の位置は古代より那の津と呼ばれていた博多湾一帯から那珂川流域あたりとされる。このあたりにも板付遺跡や須玖岡本遺跡などの重要な遺跡がある。

 これら5つの国はすべて九州北部に位置するが、これらの国の中心地、いわゆる首都にあたる遺跡を仮に、対馬国=三根遺跡、一大国=原の辻遺跡、末蘆国=宇木汲田遺跡、伊都国=三雲南小路遺跡、奴国=須玖岡本遺跡と比定して、これを実際の地図上にプロットしてみたのが次の図である。
 
 
 (筆者作成)
 
 これら5ケ国間の方角について、倭人伝に記載されている方角と地図から読み取れる方角を比較すると次のようになり、両者はだいたい30~90度のズレがある。

 
 
 一方で倭人伝においてこれらの記述の直前、つまり帯方郡から倭国までの道程については「倭人在帶方東南大海之中(倭人は帯方郡の東南の大海の中にある)」および「從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國(帯方郡より倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て、南へ行ったり東へ行ったりして、北岸の狗邪韓国に到る)」となっており、いずれの方角も文字通りに読むことで問題ないとされている。これらの倭人伝の記載から、当時の中国の人々にとって倭国内の方角の認識が実際とずれていたと考えることができる。
 実際に魏から倭国へやってきた人々は太陽や星座の位置、あるいは山などを目印にすることによって進むべき方向(方角ではない)を認識していたはずで、倭国に入った途端にその方向を間違うということは決してなかったはずであるが、太陽や星座の位置は季節によって変化する上に海上では潮に流されながら進むため、方向は誤らないものの方角は今ひとつ明確に認識できなかったのかもしれない。



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魏志倭人伝の倭国内事情と方角文字を考える (Y.nagase)
2019-04-17 19:04:01
魏志倭人伝に記された国々の位置(方角)

Ⅰ、魏志倭人伝に書かれた倭国内状況。
 「卑弥呼」体制の倭国が、東隣の「狗奴国」との戦争で敗戦滅亡、間際で中国の魏に援助の遣いを出しています。

倭国範囲 … 
〇 渡来人国の「対馬国、壱岐国」、九州北西岸に渡来人国「斯馬国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国」。
〇 有明海北面に「卑弥呼」の母国「邪馬壱国」と同盟国の六国。
〇 倭人体制国は、「佐世保湾、大村湾、八代海、橘湾、島原湾」面に反時計回りで並んでいます。

(※;「倭女王・卑弥呼」は、筑紫平野の「邪馬壱国」が母国ですが、「世有王、皆統属女王国。郡使往来常所駐」と説明された「伊都国」の糸島に常駐しています。そして、「狗奴国」との戦争で負け続け「伊都国、奴国」に保護されている状況です)

「狗奴国」範囲 … 博多湾に面した「奴国」に東面し、遠賀川を中心として関門海峡~国東半島面までの領土範囲です。

 「狗奴国王」は、倭人伝文中、戦いの勝利による体制名を三度変えています。
〇「狗古智卑狗」… 倭国領土である「対馬国、壱岐国」を占領した。
〇「卑弥弓呼」 … 「卑弥呼」の母国「邪馬壱国」を占領し、「邪馬壱国」に軟禁拘束         していた「四官」を収容した。
(※;「四官」… 倭国統一三ヵ国盟主王と奴佳鞮(狗邪韓国王)の子孫)
〇「弥弥」… 「四官」と連合して、「有明海、島原湾、八代海、橘湾、大村湾、佐世保        湾、九十九島湾・伊万里湾」面の国々を味方にした。


Ⅱ、倭王権保持国の三ヵ国。
 倭国の正式な倭王権は、中国の「始皇帝」が誕生する以前の昔に三ヵ国の盟主王が連合して倭国統一権を確立しました。倭人主導と渡来人主導の二組織あります。

〇 倭人主導、倭国統一三ヵ国盟主王。
伊支馬(イキマ) … 「弥奴国王」… 島原半島、経ヶ岳、長崎半島を領有。
彌馬升(ミマショウ) … 「斯馬国王」… 伊万里湾と九十九島地区を領有。
彌馬獲支(ミマカクキ)… 「好古都国王」… 天草上下島を領有。

 四人目の官:奴佳鞮は、「狗邪韓国王」の子孫。
(※;「始皇帝」の援助受けた「徐福」が二度目の航海で倭国に来ますが、最初の仕事が「狗邪韓国」を占領することでした。「狗邪韓国」を占領し、「狗邪韓国王」を伴って倭国も占領しようとしましたが、台風に遭遇し大被害を被むって倭人に助けられ倭国定住しました。これが、「狗邪韓国→任那と対馬、壱岐」の日本領の始まりです)
(注;官名を地形的に読むと国地形が出てきます)

(※;四人の官は、「邪馬壱国」に軟禁拘束されていたが、「邪馬壱国」を占領した「狗奴国王」に収容されて連合し、官「弥弥、弥弥那利」となって「投馬国」に駐屯しています)

〇 渡来人主導の「倭国統一三ヵ国盟主王」。
(「伊都国」糸島に駐屯する「卑弥呼」と共に常駐する)
爾支(ニキ)  … 「弥奴国王」
泄謨觚(エイモコ) …  「斯馬国王」
柄渠觚(ヘイキョコ) … 「好古都国王」


Ⅲ、下記三ヵ国が、倭王権を持ち、国案内説明で「南」を使われた国々です。
〇 倭王権を持った倭国主導、倭国統一三ヵ国盟主王+奴佳鞮と連合した「狗奴国王」、  官「弥弥、弥弥那利」が駐屯する「投馬国」。
〇 渡来人主導、倭国統一三ヵ国盟主王を伴い「伊都国」に常駐した「卑弥呼」の母国「邪  馬壱国」。
〇 官「狗奴国王(弥弥)」の母国である「狗奴国」。


Ⅳ、方角文字に対する疑問。
 魏志倭人伝には、「東南、東、南、以北」の方角文字が使われています。しかし、私が比定した九州内連続湾面の国々に対する倭国であれば、中国で発生した方角感覚が必要であろうか? という疑問が浮かびます。

〇 まず、「南」を考えてみます。
上記したように、「南」の文字は、倭王権を持つ国に向かう際に使われています。「不弥国」名の表記の後、

”「不弥国」~(南水行)二十日~「投馬国」”です。
 これを私は、倭王権を持った官「弥弥、弥弥那利」が駐屯する「投馬国」に行くには、九州西岸を南に向かって二十日間行くと、「宇土半島先端、大矢野島、維和島、戸馳島」に囲まれて最良港である三角港に着く、と読みます。

〇「投馬国」~(南水行)十日、陸行一月~「邪馬壱(台)国」に至る。
 「投馬国」の三角港から「島原湾、有明海」を船で十日間行くと「卑弥呼」の母国である「邪馬壱国」に着く。 距離的に半分になるかと感じます。

〇 宇土半島から「島原湾、有明海」面に沿って陸行すると「邪馬壱国」まで一ヵ月の日にちがかかる、と読みます。

〇 二度目の「奴国」が書かれて、これまでで女王勢力圏が終わり、その南に「狗奴国」あり、男子の王がいる。
 反時計回りに書かれ国々を一周し、一度目の「奴国」と同じ博多湾に面した国を表現しましたが、「狗奴国」を表現するために書かれたと考えています。

〇 次は、「東南」と「東」について
 「末盧国」~(東南)陸行五百里~草木が繁茂して前の人が見えずに行く~「伊都国」~(東南)百里~「奴国」~(東行)百里「不弥国」。

〇 私の考えでは、海上航行で「末盧国」に着くまでは許せる範囲の方角かと考えますが、
「末盧国」から「伊都国」行きがいけません。
”「末盧国」~(東南)陸行五百里(草木が繁茂して前の人が見えずに行く)~「伊都国」”

 魏の使者を”草木繁茂の道を歩かせて”方向感覚を狂わせています。そして、「伊都国」に着くと、”そこは、帯方郡の使者が常駐するところ”です。

 つまり、獣道のようなところを歩かせ方向感覚を失わせ到着した。「伊都国」は使者を留める国です。したがって、この先は、倭国内渡来人の口頭説明か文書によった魏使者の記録になります。

 そして、私が理解した「東南」の意味は、
 倭人体制「弥弥、弥弥那利」倭王体制に敗れて、「伊都国」の糸島にいる「卑弥呼」を護衛している「伊都国、奴国」となります。

 「奴国」~「不弥国」の「東」は、私にとって「北」です。
「不弥国」を「能古島、志賀島、玄界島」の三島範囲と読んだ私には、「奴国」の「北」方向に「不弥国」有ります。

 では、「東」の漢字に対する理解はというと、”福岡湾を集めて博多湾に面している”となります。

 女王国(邪馬壱国)より~以北~、その戸数道里可略載
 筑紫平野の「邪馬壱国」から「以北」方向は、山を越えて「伊都国、奴国」になります。この「以北」だけが方角文字として正しいというのは気に入りません。

 方角文字から外すにはと色々な条件を地図を見ながら考えます。
まずは、渡来人国の並びである。「唐津湾、博多湾」の連続湾に沿っている。「北」方向から外れた「投馬国、邪馬壱国」に対する国内説明の後に書かれている、等々の内から「投馬国、邪馬壱国」を除いて、

 ”「伊都国」内「糸島」に面した「唐津湾、博多湾」に面して国々が交わっている、と解釈しました。「伊都国、奴国、不弥国」がすっぽりと入りました。


参考 … 宮崎康平氏のまぼろしの邪馬台国を読んだ私は、ある一音発音に「形」があるならば、五十音全体に「形」有るのではないかと各一音に共通点探しをしました。
 そして、私なりの一音に対する、言葉による「形」を作り、人体の部位名(顔、鼻、目、口、首等々)を読んで使い方を自習し倭国内の国々も地形的に読みました。


 下記に「末盧国、斯馬国、弥奴国」の読みを書きます。
末盧国
(※;各音形状の先端にxをつけています。このxは、次に来る「抽象的言語…複合立体形、集合一体形」に対して現実的な具体形を書き入れる為のxです)

マ音の形状 x・複合立体形が 立体的に 分かれる
解釈  海水・複合立体形の 立体内に なる
ツ音の形状 x・集合一体形が 立体的に 交わる
解釈  半島・集合一体形の 立体面に 交わって
ロ音の形状 x・複合立体形が 立体的に 集まる
解釈 唐津湾、名護屋浦、外津浦、仮屋湾・複合立体形が 立体的に 集まる

訳 … 海に延びた半島の周囲に唐津湾、名護屋浦、外津浦、仮屋湾がある。

マ行音「x・複合立体形が」の色々な形。
① 座敷の空間や複数物に挟まれた空間、海中も水に囲まれた海水の水間になる。
② 湾は、陸地に囲まれた空間に海水が入っていることになる。
③ その他、湾曲や丸等の使われ方がある。

タ行音「x・集合一体形が」の色々な形。
① 手のような複雑な形と機能をもった形状。
② 人と人出会い、集合体、海水と半島の出会い。
③ ト(戸)のように開閉する形や物の出入りをする形等。

ラ行音「x・離れ形が」の色々な形。
① 燃える物についた火。水平線の空、海が離れ形の接合。
② 陸地に対する水、水中の魚。
③ 人間の持つ「資産、財産」等。


斯馬国
シ音の形状 x・交連形が 立体的に つながりきる
解釈  東、北松浦半島つながり・交連形を 立体内に つなげきって
マ音の形状 x・複合立体形が 立体的に 分かれる
解釈  伊万里湾・複合立体形も 立体内に する

訳 … つらなった東、北松浦半島とその間の伊万里湾も領内にする。

サ行「x・交連形が」の色々な形。
茶(サ) … 細かい茶葉が混ざり合う交連形。茶葉からの養分浸み出し形。
砂(サ) … 細かい石粒が交じり合う交連形。
刺(シ) … 物に刃物が突き刺さって分岐した形
肢(シ) … 体に腕、脚が分岐している形
(※;身体の分岐交連形も巨大な半島の分岐も同じ音を使うようです)
鳥の巣(ス) … 小枝を積み重ねた交連形。親子が住み込む交連形。
脊(セ) … 脊椎面の形で、脊椎の骨関節連続交連形。
 大きな形では、国の国境、大地、水面等の連続した交連形。


弥奴国
ミ音の形状 x・複合立体形が 立体的に つながりきる
解釈 三つの湾(大村湾、橘湾、島原湾)・複合立体形の 立体内に つながりきった
ナ音の形状 x・集合内、分割形が 立体的に 分かれる
解釈 湾水・集合内、陸地(島原半島、経ヶ岳、長崎半島)を 立体内に する

訳 … 「大村湾、橘湾、島原湾」に囲まれた「島原半島、経ヶ岳、長崎半島」を国内にする。

ナ行音「x・集合内、分割形が」の形。
 顔・集合内、鼻(目、口)。草木・集合内、根。等に使います。
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