あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

淡々と何も起こらぬ吾亦草  あきオジ

2010-08-25 06:08:02 | 日記
最近の工事中の看板は洒落ていますね。
これも文化ですね。
こんな看板を集めるのもカメラを趣味とする人には面白いかも
探せばいろいろあるのですね。

露地写真、街で見つけた変なもの、街で見つけた花
いろいろありそうですね。

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電車に乗ったら写真を夢中になって見ている人がいました。
どうも電車の写真を撮りに来たのですね。
ごく平凡な中央線を走る車両なのです。
いい年のおじさんなのですが

きっと、最近デビューした新型車両などでしょう。
他の人にとって興味ないことでも
自分にとってはたまらない。
そんな世界かもしれませんね。

NHKに熱中スタジアムという番組があります。
「鉄夫君」と言われる鉄道を熱く語る番組がありました。

また、先日はブルース・リーに夢中になっている人が
熱くブルース・リーを語るのです。
どこがどのようにかっこよく、魅了するのか
前後して放映された映画を見たのですが

熱く語るほどのものを感じることはありませんでした。
映画としての未熟さだけが気になりました。
でも、ファンは単なるファンではなく宗教の教祖のようなものですね。
ブルース・リーが演じる格闘のすごさを具体的に示すのですね。
ただただ、驚きましたが、好きになるということはもっと知りたい。
もっと深いところで理解したい。
そして、誰にも負けたくない
深い極みに向かうのですね。

科学者も学者も似たようなものですね。
この写真を見ている鉄道ファンも同じなのですね。

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酔いざめの風のかなしく吹きぬける  山頭火

おちついて死ねそうな草枯るる  山頭火

わが手わが足われにあたたかく寝る  山頭火

(この句いいですね。自分を慰めるのは自分しかない。その境涯の淋しさをこのように表現する。鑑賞者として炬燵に入ってテレビでも見ていてあれこれ言うのと同じで、申し訳ないですが、そんな感動があります。俳句はこのような人生をかさねた人のものなのですね。)

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「まだ続く」言葉のやり取り暑さかな   あきオジ

2010-08-25 05:49:43 | 日記
東京丸の内
いかにも東京
心臓部という雰囲気ですが
人の気配はありませんね。
それと、昼の時間に通りかかると
街頭で販売している弁当をぶら下げた人が目立ちます。
ビルのゲージで飼育されている鶏だと言われたくない
それぞれの人のこだわりだかもしれませんが
誰もそのようには言わないでしょう。

課長も部長も昼は同じようなものなのでしょうね。

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湖やあつさををしむ雲のみね  芭蕉

(私が俳句を選ぶとき、第一にひらがなが多い句を選びますね。漢字を使った句ですと
観念的なイメージが固まっていて、雰囲気が感じられないことが多いですね。漢字で使ってもいいかなと思うのは、花の名前ぐらいですね。)

名月に麓の霧や田のくもり  芭蕉

(岩波古典文学全集では「明」を使用しています。この有名な句の文字の相違、どこかに理由があり、説明があるのでしょうが、その説明を読んだことはありません。そのうち分かるでしょう。)

三井寺の門たたかばやへふの月  芭蕉

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「よさこい」を朝から見ました。
先日の博多祇園山笠のときも思いましたが
祭は人を「これでもかと思うほど」夢中にさせてくれる。
祭りに入れあげる。
生き方としても必要なことですね。
それができない人は「もったいない」ことをしてきたのです。
私も同じです。
チャンスを見つけなければね。

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今日はまだ夏服のまま御出勤   あきオジ

2010-08-24 21:09:01 | 日記
秋立てばまづ咳をする病者かな  龍之介

思い出や蜻蛉(とんぼ)の眼玉商ひし  龍之介

麦秋の茜の産着縫ひけらし  龍之介

(龍之介の俳句の詠み始め。いまのところ感想はありません。)

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明日は仕事の日です。
そろそろ新しい世界にも首を突っ込んでみたい気もしますが
慾はかきたくないですね。
淡々とそのときがきらら
考えることにしましょう。

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知人からメールをいただきました。
二つもブログを更新するのは大変ではないか
そんな質問が含まれていました。
大変ではありませんね。
でも、時間的余裕がないのが困りますね。

見たいテレビ番組もあるし
健康のために毎日歩いていますし・・・。

老人は、あれこれしているうちに一日が終わってしまうのですね。
万葉集から一首毎日読むようにしています。
西行もそうしています。
同じように芭蕉、蕪村、一茶などの句を読み
気に入った句に印をつけます。
そのようにして和歌や俳句になじむようしています。
まだ「もどき」状態ですからあれこれ考えないようにしています。

そして、朝夕二回更新をしています。
毎日でなくてもいいし
一日一回で十分なのですが
一度怠けると
一気に怠惰になってしまう。
それが分かるから毎日更新しているのです。
ブログは仕事でもなければ
会報でもありませんから
その気にならなければ更新しなくても
困らないのです。

でも、待っている人がいるだろうな
自分の日記代わりなのだ
そんな思いがあるので
夜、遅い帰宅をしないとか
早起きするために夜更かししないとか
あれこれ自己規制しています。
そしてせっせと更新しているのです。

更新は楽しいですね。
写真を撮るのも楽しいし
選ぶのも楽しい。
季節を感じるし
写真技術も向上させたいですね。

ただ、自分で短歌や俳句を作るのは楽しいですが
今は、とりあえず作っているだけで
推敲もなければ反省もない
造りっぱなし
まだあれこれ言える段階ではありません。
楽しくなければとっくに頓挫していたでしょう。

ですから、余裕を持ってしっかりした作品を作るのが目標ですね。

あるブログの読者が
「俳句を紹介するだけでなく自分で作ったらどうですか」とメールをいただいたのが
きっかけでした。
何がどう変わるか分からないものです。

今はずーと昔から作っているような錯覚さえあります。
人は脱皮するものです。

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猛暑なり歌壇に並ぶ汗の文字  あきオジ

2010-08-24 18:53:58 | 日記
皇居の中の緑です。
木々の青さが涼しさを呼びます。

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名月や仏のように膝をくみ  一茶

じつとして白い飯くうふ暑かな  一茶

描の飯相伴するや雀の子  一茶

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「よさこい節」を見ました。
本場高知での中継録画でした。
今や北海道の「よさこいソーラン」に勢いで負けそうです。
形式を打破する。
その勢いは北海道にあります。
そんなことを思いながら
戦後間もないときに誕生し
ここまで育ててきたのですから
不思議ですね。
60年ですっかり大きなイベントに成長したのですね。

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さりげなく鏡に写る桔梗かな  あきオジ

2010-08-24 18:30:39 | 日記
皇居前の噴水の続きです。
涼しくて気持ちいいですね。
東京駅から10分ほど
皇居の手前です。
ぜひ立ち寄ってください。
私は土曜日午前10時まで待ちました。
噴水は10時開始になっているようです。

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昼火事の煙遠くへ冬木ならなる  放哉

いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘  放哉

海のあけくれのなんにもない部屋  放哉

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自由律の代表俳人として評価されている放哉
でも、代表作は何かと言われて 「咳をしても一人」と答えるのでは違う感じ。
まだ、全体の雰囲気もぼんやりとしか見えません。
そのうち、あきオジ流に探してみます。

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この年になって感動した詩は一つだけ
茨木のり子の詩です。
何度かアップしましたが、
繰り返しアップします。

「倚りかからず」

 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない 
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ



噴水の写真を眺めて避暑気分   あきオジ

2010-08-24 07:04:18 | 日記
外に出るのも鬱陶しい
クーラーのきいた部屋でテレビを見ているのが一番
老人は外に出ていく理由などたいしてないのですから
健康のために外出ですか
これ以上長生きしてどうなるのでしょうか。
楽しければそれでいい。

楽しみは受けるものではなく表現するもの
それがおきオジスタイルです。

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このごろ松山千春など
懐かしいだけでなく
今までつながっている歌手に興味があります。
その歌集を追うことと
自分が生きてきた時代が重なるのです。
そんなことに目が向くようになるということ
年をとったことなのでしょうが
それはそれで楽しいことですね。

深く、そして長く見ることができることは気持ちいいものです。

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粥にする天長節の小豆飯  子規

(時代と共に風化する内容もあるのですね。)

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駐車場に宴のあとの秋の風  あきオジ

2010-08-24 06:48:45 | 日記
楽しければそれでいい。
そんなときってありますね。
「後始末する人の苦労を考える」
そんな配慮も必要ですが
それはそれ
承知しながら態度に出さない。
それも美学かな
それとも、もう、そんな阿吽の呼吸などという
時代ではないかな

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留主(るす)のまにあれたる神の落葉哉  芭蕉

御命講や油のような酒五升  芭蕉

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也  芭蕉

(「芭蕉俳句集」(岩波文庫」と「岩波古典文学全集」から引用しているのですが、突然、膾炙された句に出会うとどきっとします。ああ、この句はこの辺りにあったのだ。そんな感じの驚きですね。それにしても、芭蕉は繰り返し手直しているのですね。作りっぱなしで振り向きもしない。ちょっと反省しなくていけないかな。いやいや、自分は芭蕉ではない。思い出すきっかけになるだけで十分だ。)

それぞれが残した記憶の日焼けかな  あきオジ

2010-08-24 06:25:06 | 日記
博多祇園山笠の余韻がありますね。
儀式としての段取りがあり
その長さに苛立ちながら
ひたすら30分ほどの時間だけが頭にある。
そんな男衆の
表情
この人、普段はどんな顔しているの
そんなことを思ってしまうほどの男前
一点を凝視する表情
それもいいですね。

思わず「無駄なことを楽しむから文化なのだ」などと思ってしまう。
役に立たないこと
その世間のいう無駄に熱を傾ける
それこそ粋の世界
道楽の世界
これが金になったり
役に立ったら面白くも何ともない。

山笠を担いだ(本当は「かく」というのだそうですが、漢字変換できません。)男衆の日常生活を知りたいですね。この一週間のために生きている。そんなことが言えるというのはロマンですね。

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麦秋や子を負いながらいわし売   一茶

(この句、江戸時代の気分を表現しており素晴らしいですね。蕪村ではありませんが絵になりますね。情感もあるし好きです。)

満月に暑さのさめぬ畳哉  一茶

寝莚や窓から入る草いきれ  一茶

(無常観が流れる芭蕉、色が見える蕪村、匂いが感じられる一茶、それぞれがそれぞれ楽しい。そんな予感がします。これから始まるとなると褪せる気分ですね。)

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(一度アップしたのですが、要望があったのでもう一度アップします。「だいじょうぶだよ」は女子パウロ会」から出版されています。)

「苦しいときは」

   晴佐久昌英

苦しいときは 今をよく考えるといいよ
自分だけのちっぽけな物語を
それが壊されて苦しんでいるもろい心を
それらを包みこむ大きな物語がきっとあることを
よく考えるといいよ
だれにも分かってもらえないはずのこの苦しみと
同じ苦しみを今この時耐えている友がいて
深い祈りの世界で結ばれていることを
よく考えるといいよ
自分はもう十分に苦しんだこと
苦しみながらも今ここに生きていること
苦しんだ者だけが放つ輝きに包まれていることを

苦しいときは 明日を夢見るといいよ
いつかすべてを月日が洗い清めて
こころにひとかけらのけがれも痛みもなく
晴れわたった雪山の青空のようになれる日を
夢見るといいよ
苦しみ抜いた末に優しさのちからを知り
苦しむ人の気持ちが痛いほど分かるようになり
涙にくれるだれかの隣にそっと寄り添える日を
夢見るといいよ

苦しみはいつか
喜びにかわると身をもって知り
あの最もつらかった一日こそが
最もありがたい一日だったと
感謝できる日を

それでも苦しいときは
もう何もしなくていいよ
歩けないなら歩かなくていいよ
弱ったその身そのままで
黙って座っていていいよ
冬眠に入った天道虫のように
小さく丸くなって 何もしなくていいよ
今日も揺れ騒ぐ波の底に貝は眠り
風わたる樹々をおおい星空はめぐる
人はすべてのいのちと結ばれているから
何もしなくていいよ


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舞いながら進む少女の厚化粧  あきオジ

2010-08-23 18:28:22 | 日記
立川の祭り
ある宗教団体のパレードです。
美しく化粧した少女
どこかの国の国威向上に駆り出された少女らも
同じような化粧をしているな
などと変な連想をしましたが
もちろん、そんなことは何の関係もありません。

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つくづく淋しい我が影よ動かして見る  放哉

静もれる森の中をののける此の一葉  放哉

(言葉が難しい、解説が必要な句にときおりぶつかります。)

何も忘れた気で夏帽をかぶって  放哉

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顔ゆがめサンマ焼くのも気がねあり   あきオジ

2010-08-23 17:32:46 | 日記
チャグチャグ馬子
懐かしさのあまり声を掛けたら
このじいさん
「出稼ぎだよ」と大声で笑った。

岩手で暮らしていた時
職場の前をじゃらじゃら鈴の音を鳴らしながら
長閑に行進していたのを見たものです。
子どもが馬の上に乗るのですが
疲れもあって、馬の上で居眠りをしている姿も
被写体として楽しいものでした。
そう、もう、二十年ほど昔の話ですね。

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東京暮らしは
洗濯物の干し方の気遣い
音を出すことの気がね
匂いについての遠慮
けっこう交渉が少ないけれど
気を使うのですね。
どこかにみんな置き去りにして
集まってきた人
挨拶だけは過剰なくらい

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秋風の腹いっぱいよばれてもどる  山頭火

つめたい雨ふるここにもそこにも虫のなきがら  山頭火

酒ない月しみじみ観てをり  山頭火

おとなりも寝たらしい月澄むほどに  山頭火

(仲秋名月を詠んだ句ですが、一茶に重なりますね。こんな安定した山頭火の句もいいですね。山頭火の句は朝読むとどうもいけないですね。でも夕方詠むとスーと入ってくるのです。これは山頭火でなければ起こらないものです。でも、それは私の個人的なものに違いありません。)

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「日めくり万葉集」を久しぶりに録画したものを見ました。
繰り返し見ても、歌は覚えません。そのうち、突然、自然と口にすることができる。そんなことを待っているのですが、いまだに、同じです。

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「博多山笠」の中継を見ました。
「ハレ」の日の祝祭性
そして爆発
そんな弁が常識を生きる人たちには必要なのですね。
そのような装置を生みだした民衆の力はすごいですね。

常識を越えた不条理こそ祭りの本質なのですね。
ですから、常識人は大変なのですね。

「アホになれ!」ということがありますが
確かなことですね。