あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

あちこちに夏ものをほす一軒家  あきオジ

2010-08-23 17:00:44 | 日記
猛暑でした。
写真取材は中止
本屋で数冊の本を手に入れて
それでおしまい。
録画しておいたワーグナーの楽劇を聴いて一日が終わりました。)

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今日は月曜日「朝日歌壇」「朝日俳壇」の日です。
今日は終戦を歌った作品が多かったのですが
個人的な体験であり、さらに展開がある作品には出会えませんでした。
読み方が十分でありませんね。

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小うるさい花が咲くとて寝釈迦哉  一茶

雀の子そこのけそこのけお馬が通る  一茶

(この句、狂言の対馬祭「馬場退け退けお馬が通る」を踏まえている。そんな解説がありました。ときには解説を読まない方が夢が広がることがあるのですね。)

ちらほらと田舎の花や茶のけむり  一茶

(このような長閑な風景、このような時代や田舎の風景を描写することに関しては一茶は素晴らしいですね。)

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夕顔や浅間が岳を棚の下  龍之介

胸の雪を胸つき坂の上に見ゆ 龍之介

麦あらしすさびそめけり暮れにけり 龍之介

(芥川龍之介の俳句。岩波文庫から出版されてました。おためしに読んでみます。すべてはこれからです。)

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太鼓のり男気みせる祭かな  あきオジ

2010-08-23 06:52:14 | 日記
大太鼓の上にのって
提灯で指揮をとっている男がいる。
どのような意味があるのか
何をしているか分かりませんが
大太鼓を叩いているとき
提灯を上げ下げしてしています。

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大空のました帽子をかぶらず  放哉

こんなよい月を一人で見て寝る  放哉

朝々を掃く庭石のありどころ  放哉

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猛暑の夏をあれこれ言っているうちに秋の気配
秋にはなったら何をしましょう。
巾着田の彼岸花
昭和記念公園の銀杏
塩山のころ柿の里
御嶽の紅葉
湘南海岸と江ノ電
それまでは周辺の景色を楽しみましょう。

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最近、同じ場所を繰り返し写真にしていると
見えなかったものが見えたり
気づかなかったことに気づいたりします。
あまり、あちこち出かけないでじっくり見まわしたいですね。

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打ち終わり秋風となる祭かな  あきオジ

2010-08-23 06:33:15 | 日記
この夏の思い出だ
中途半端ではなく
思い切り楽しめばいい。
御神輿担ぐも連帯する心地良さ
同じことの繰り返しから生まれる陶酔がいいのでしょうね。

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いなせな男衆が派手な柄の褌を見せるような隠すようなしぐさをし、
女の子の関心を引きます。
けっこうオシャレな柄のものがあるのですね。どこで売っているのでしょうかね。
見かけたことがありません。
刺青(「彫もの」というような言い方をするのでしょうが)をしている若い人が結構いて、それをあらわにすると、警告されるのでしょうか、そこそこ見せているのですね。それも、彼らの住んでいる世界の美学なのでしょうね。

祭は儀式性と祝祭性が混在していなければ劇的効果は生まれませんね。
その儀式性が薄れているのが現代なのでしょうかね。
あれこれうるさいことを言う人が多い時代ですからね。

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あかあかと日はつれなくも秋の風  芭蕉

秋の穂や頭をつかむ羅生門  芭蕉

うらやましうき世の花の山桜  芭蕉

(芭蕉の句、理解不明な句も多いのです。俳句って、自分だけ分かっている。そんな句ってありません。そんな句は読み飛ばしてしまいます。今は「俳句になれる」段階ですから、気にしません。あるとき、突然、景色が見えることもありますから)

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晴れ舞台明日は秋風ふくころか   あきオジ

2010-08-23 06:19:37 | 日記
立川の祭の晴れ舞台
いつか、舞台にも登れなくなりますね。
それまでは元気でしてください。

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夏祭りが終わり
一気に秋ですね。
秋風の気持ちよさもありますが
これから寒くなっていきます。
私は寒いのが苦手です。

そろそろ家にとじ込むる老人になりたいです。

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御仏はさびしき盆とおぼすらん   一茶

花の影寝まじ未来が恐しき   一茶

ぽつくりと死が上手なら仏哉  一茶

(一茶晩年の句です。義母との確執もあったようですが、それすらも乗り換えていく一茶の悲しさが感じられて切ないですね。怨んだりすることで「生きている」こともあるのかもしれません。人とは不可解なものですね。)

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「どうしたら成功するか」「うつから抜け出す」とか
まあ、あれこれ教えてくれる人がいて、
そんな人が書いた本を読み、「だから自分は出世しないのだ」
「自分ははやり、うつ病なのだ。」ということにたどり着き
自分以外に原因があると教えられると
すっかり、自分は病気なのだということになってしまう。
そんな人もないとはいけない。
分からない時代ですね。

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懐かしき笛や太鼓を叩く夜   あきオジ

2010-08-22 18:29:19 | 日記
立川の祭の中で、太鼓集団でリーダーをしていたおじさん
なかなかの人で
子どもたちを巧みにリードしていました。
このような伝統行事についてあれこれ
伝習されることがいいですね。
いくつかのことで指導者になれるといいですね。
伝統的なことを軽く見てきた
その報いがきたような気がします。
どんなことでも根っこがないものは長続きしないのですね。

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夏祭りが終われば
すっかり秋の準備が完了する。
そのようにして次の行事のけじめをつけていたのですね。

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さみだれの空吹おとせ大井川   芭蕉

さみだれや蛍煩ふ桑の畑   芭蕉

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日曜日は
「こころの時代」
「NHK俳壇」「NHK歌壇」
そして夕方は「鬼平犯科帳」「剣客商売」
「日曜美術館」と見なければならない番組が並んでいます。
テレビ小僧ならぬ
テレビ爺さんなのです。
多の曜日も似たようなものです。

どうしてテレビ爺さんになったのでしょうかね。
外に出ること
受け身ではないことに専念すること
そんなことを考えているうちに
何となくテレビ爺さんになってしまいました。

もう本は読みませんし
映画も見なくなりました。

そんなこんなでこうなりました。
まあ、いいか
いや、当面はこれでいいのだ。

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自分の色を消して次の任地に向かう。
ブルーインパルスの体調の言葉が印象に残っています。
「海上保安庁」勤務の体調の言葉も印象に残っています。
どこかで視点が違っています。
覚悟のしかたが根本的に違っているのでしょう。

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炎天の御神輿担ぎの柄褌    あきオジ

2010-08-22 17:00:58 | 日記
立川の祭りでした。
伝統的な舞い
なぜか、岩手のちゃぐちゃぐ馬こ御一行様
町内会の御神輿
宗教団体の太鼓など
盛りだくさん
暑さでまいっていましたがそれはそれ
「こんなことやってられない」という顔して楽しんでいるおじさん
仕切りたがるじいさん
ミス○○の女性と
日産のオープンカーに載っている商工会会長
それも伝統的でいいし
衆議院議員などの挨拶も時代錯誤であっても
それもいい。
どれもこれも難しいこと言わないで続けている。
改革?
そんな面倒なこと誰もしようとしない。

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ちる花にはにかみとけぬ娘哉  一茶

秋風やあれも昔の美少年  一茶

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立川の祭で披露された伝統舞踊
それがなかなかでした。
若い男女が複雑なステップの踊りを披露していました。
さすが東京、若い人がいますね。
しかも男性の踊り手も多い。
伝統芸能回帰というか流れになっていますね。

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祭りと言えば御神輿担ぎ
褌姿のいなせな担ぎ手もけっこういますね。
柄もなかなかカラフルで柄ものもけっこう人気のようです。
こんなところにもおしゃれ感覚が働くのですね。

御神輿を担ぐ人
それぞれの思いがあるのでしょうか。
けっこう刺青の人もいますね。
若い人も全身に入れているのですね。
茶髪に刺青
驚きました。
ここにもそれぞれの人にそれぞれの人生
があることを知りました。
覚悟の強さが彼らの迫力につながっているのでしょうか。
そう思うこともできそうです。

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するすべり健気に真夏咲き続け   あきオジ 

2010-08-22 07:18:10 | 日記
皇居の二の丸の庭園です。
百日紅が咲いていますが、それ以外にはめぼしいものがありません。
次の季節の準備をしているのでしょうか。
池もコウホネが小さく咲いているだけです。
猛暑の中、散歩しえいる人も疎らです。
「この暑い中、ものづきな」と言われそうです。

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バイロイト音楽祭で演奏された
「ワルキューレ」を聴きました。
(録画しておいたのです)
延々と続く音楽
ワーグナーはどのような意図でこの長大な音楽を意図したのでしょうか。
人には理解を越えたことを考える人がいる者です。
「天地創造」のミケランジェロ
「カラマーゾフの兄弟」のドフトエフスキー
超人がときおり出てくるから面白い。

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木曽山に流入けり天の川  一茶

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今日は立川でお祭りがあります。
出かけてみようかと思います。

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吉祥寺顔が歪みし街なるか   あきオジ

2010-08-22 06:53:31 | 日記
皇居前の噴水です。
涼しさのおすそわけ

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NHKの「短歌」「俳句」を日曜日に見ていますが
伝統的な文化をいじりまわしていているだけで
内容は、ちっとも面白くありません。
もちろん共感する歌も句もありますが
素人の楽しみとしては「はめがはずれた」ところがなくて
好きになる窓繰りが見当たりません。
投稿される歌も句も
なるほどな
これはうまいな
そんな思いもありますが
そこで安定していて
挑発的でも刺激的でもありません。
ですから、番組が終わるとほとんど記憶に残りません。

(たまたま今日は江守 徹が登場し
番組にちょっとした破綻を作ってくれて「さすがだな」と思いました。)

それでいいのでしょうし
それ以上のことは想像もできませんが
伝統芸能であり
それぞれの個人的な表現として大切なのですが
生き生きとした時代をすくいとる道具としてどうなのだろうかと思うのです。
まあ、難しいことを言わず
楽しめばいい。
枠の中で楽しみたいですね。

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むつつり木槿が咲く夕べ他人の家にもどる  放哉

裏木戸出入りする朝顔実となる  放哉

朝顔の白が咲きつづくわりなし  放哉

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いまのところ俳句でお気に入りの作家は見つかっていません。
芭蕉、蕪村、一茶を追いかけていれば
何かが見えるかもしれないと思っています。
それぞれに素敵なのですが
その後の展開の時代の俳句が見つかっていません。

そのうち見つかるかもしれません。
そのうち現代作家にまで目を向けようと思っていますが
そこまで広がりません。

ぼちぼちと・・・

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燃える日に終戦なるか鐘聞こえ  あきオジ

2010-08-22 06:07:24 | 日記
猛暑
噴水の水が涼しさを与えてくれます。
しばし、休憩

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ときおり
自分が楽しみに思うことは
同じように楽しみにしている人がいるのだ。

でも誰も声を出さないから
ひとりだと思い込んでしまうのだと思ったりもしまいます。

神代植物園辺りでカメラを抱えている人に声を掛けると
待っていましたとばかり話しだす人がけっこういます。
でも老人になって間もなく
ぎこちなく
ときにはカメラ自慢
熱心さ自慢に一気に突っ走る人もいます。

会社言葉で間に合わせていた時代のままの人もいますが
それはそれ
その人が困ることなのです。

自分は自分の楽しみ方でいい
そう思うと人恋しさも減ってきます。

御友達はそこそこの距離があったほうがいい。

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駿河路や花橘も茶の匂ひ  芭蕉

(北原白秋が芭蕉の句から構想を得た歌ですね。本歌取りとでもいうのでしょうか。最近の民謡ですが、伝統的な民謡にも聞こえますね。一気に民謡として認知されたのでしょうか。
それにしても長い歌ですね。静岡の観光案内という意図がありますが、それもいいかなと思いました。静岡県が故郷の私には地名の一つ一つが懐かしい。というより、ちょっとほろ苦いですね。)

「茶っきり節」

作詞:北原白秋 作曲:町田嘉章

唄はちゃっきりぶし 男は次郎長
 花はたちばな 夏はたちばな 茶のかをり
はぁ ちゃっきりちゃっきりちゃっきりよ
 蛙〈きゃある〉が鳴くんて雨ずらよ~

(ちゃっきり・・・ずらよ~はすべての歌詞の最後につけます。)

茶山〈ちゃやま〉茶どころ 茶は縁どころ
 ねぇね行かずか やぁれ行かずか お茶つみに

駿河よい国 茶の香が匂うて
 いつも日和の 沖は日和の 大漁ぶね

さぁさまた行こ 茶山の茶つみ
 日本平の 山は平の お茶つみに

日永そよかぜ 南が晴れて
 茶つみ鋏の そろた鋏の 音のよさ

昔や火のなか 草薙さまよ
 いまは茶のなか 茶山茶のなか 茶んぶくろ

山で鳴くのは やぶ鶯よ
 茶つみ日和の 晴れた日和の 目のとろさ

帯はお茶の葉 鶯染よ
 あかい襷の そろた襷の ほどのよさ

歌え歌えよ 茶山の藪で
 ほれてうたはにや そろてうたはにや 日がたたぬ

どんどどんどと 積み出すお茶は
 茶摘み娘の 歌で娘の 摘んだ葉茶

お山見れ見れ あの笠雲を
 ねえね着て出や けさは着て出や 菅の笠

龍爪曇れば 港は風よ
 富士の芝山 明けの芝山 雲ばかり

出たよぼんやりこと 月待ち雲が
 さきの茶山の 宵の茶山の はしに出た

お茶は清水へ お月さんは山へ
 晩にや蜜柑の ぬしと蜜柑の 花のかげ

なにをくよくよ お茶揉み葉揉み
 月に狐も 浮かれ狐も 揉みに来る

夏じゃ五月じゃ 新茶じゃ粉茶じゃ
 やぁれえれえれ しもてえれえれ ごせっぽい

お茶の茶山の 茶の木のなかで
 おまっち何というた いつか何というた お茶山で

茶の実とんとろりと しめ木にかけて
 かはいおまっちの じつはおまっちの 髪あぶら

せめて賎機 浅間さまよ
 とんとからりとも ついぞからりとも 沙汰はない

しづや賎機 浅間さまの
 しろいお馬よ 三保へお馬よ なぜ逃げた

焼津やかれつ ねて見つ興津
 さった女房を かわい女房を 三保の松

三保の羽ごろも 根上り松よ
 いまはお藷の 干したお藷の 蔓ばかり

三保の海苔舟 けさまだ寒い
 せめて棹さそ 連れて棹さそ 逆さ富士

久能で思へば 月夜のばらす
 いつも苺の しろい苺の 花が咲く

おまへ、龍華寺 蘇鉄の花よ
 いつか忘れた ほろと忘れた 頃に咲く

積めよ 積め積め 米松、井桁
 浜はざさんさ 松にざさんさ 浪の音

なにをぼったてる 吐月峰か おぬし
 とんと煙管で 云なにや煙管で はたいたろ

今夜来なけりや 手越のお灸だ
 きっと安部川 待つに安部川 きなこもち

♪ほれて通へば 田圃も畦も
 わたしゃ首ったけ とんと首ったけ じるっくび

やっさもっさよ お茶屋の前は
 まっちゃ おまっちゃ あっちゃ おまっちゃ はりこんぼ

(民謡を取りあげたブログから引用しました。)

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自転車で廻ることも夏仕事  あきオジ

2010-08-21 20:12:47 | 日記
皇居前の噴水です。

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皇居を歩きました。
掃除も大変だし
管理も大変だろうと思います。
なにしろ、宮内庁があるのですから
半端じゃありません。

でも、自転車で巡回というのもいいですね。
西欧の皇室では馬に乗って・・・

もうそんな時代ではないかな。

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たびにあきてけふ幾日やら秋の風  芭蕉

石山のいしより白し秋の風  芭蕉

たびねして我句をしれや秋の風  芭蕉

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今日は宮沢賢治の歌集を手に入れてご機嫌です。
寺山修司もそうですが、初期の段階で熱病に罹ったように夢中になるのですが、多の証言手段を見いだすと、熱が冷めてしまう。それが残念ですが、溢れる才能を表現するステージとしては短歌はものたりなかったのではないかと思います。素人の考えること、頼りないですが、そんな気がします。

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「おらが春」を見ました。
一茶の生涯を追ったドラマです。
貧しさゆへに口減らしのために奉公にやらされたおさないころ
放浪して歩いた消息不明な時期
そして俳諧師として食べていこうと考え付いた時代
そして、父親の看病
そして、義母との確執
次々結婚し、結婚生活に破れ
そして、生まれてきた子供は成人まで育つことはなく
生活に疲れ、確執に疲れ
そして、子に先立たれる辛さを丁寧に描いています。
先日も記事にしましたが
そのような生い立ちが句の雰囲気に感じられます。
というか、そう言われればそうかな
その程度ですが・・・・
知ることは楽しいですね。

(思えば、一茶は信州に戻っても農業をするわけでもない、句会があるといそいそと出かけような人がらだったようです。美化する必要もありませんし、いい人に仕上げてしまうと、句の面白さにたどり着けないような気がします。)

(「おらが春」で病床の父親が一茶に「砂糖がなめたい」と訴えるシーンがあります。気弱で勝気な再婚相手にものが言えず、砂糖でさえなめさせてもらえなかった。病気になった父親は、息子に訴える。それぞれの貧しさの形があったのですね。)

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