あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

彼岸花ゆれて黒猫みっけ   あきオジ

2011-09-27 18:02:34 | 日記
彼岸花の季節ですね。

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新聞投書欄
現役時代の投書があったら見たいですね。

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天心心貧しき町を通りけり  蕪村

(才能ある俳人の句とは、こんなものだと言わんばかりの句ですね。ここまでくると芸術ですね。)

名月やうさぎのわたる諏訪の海  蕪村

綿つみやたばこの花を見て休む  蕪村

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物語を感じる句ができればいいのでしょうが。頭の中にも物語がないのです。

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語ることありし老婆の月見かな  あきオジ

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月もみず横着寝する秋の宵  あきオジ

2011-09-27 05:14:48 | 日記
壺にいろいろな彼岸花を投げ込んでありました。
こんなのもあるかな。

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白露や茨の棘にひとつづつ   蕪村

朝霧や杭打つ音丁々たり  蕪村

旅人よ笠嶋かたれ雨の月  蕪村

(絵画的視点というのが、俳句にはあるのかもしれません。境涯を自然に重ねた句、そして、古典的教養を下敷きにした句などもありますが、絵画的であることに関しては蕪村は、極めて技巧的であるような気がします。拡大したり、時間差を表現したり、遠近法を使ったりするのですね。そこが魅力的ですね。そんな俳句界の常識を何も知らないおじさんが発見したかのように楽しむ。そんな楽しみ方があってもいいですね。)

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文化が吹きだまりで高まる。
そんな気がします。
通過点では成熟するけれど新しい物で押しつぶされる。
吹きだまりに独自の文化が生まれる。
そんな気がします。

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あるかなしか揺れる匙に紅葉あり  あきオジ

2011-09-27 04:59:12 | 日記
増水した巾着田の川です。

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あちこち手を広げてしまい。店じまいができなくなりました。
それでもけっこう忙しさを楽しんでいるようなところもありますがね。
読むより、作る方が断然楽しい。
でも、昔体質の人は自分をさらすのが不得手なのですね。
それもあるなあ。

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凩の下にゐろうとも吹かぬなり  夏目漱石

凩や吹き静まつて喪の車  夏目漱石

熊の皮の頭巾ゆゆしき警護かな  夏目漱石

近けば庄屋殿なり霧のあさ  夏目漱石

(夏目漱石の俳句は物語があり、表現が明瞭であるところがいいですね。もっとも蕪村と並べてどっちがどっちと言われても、区別などまったくできませんけれどね。山頭火と放哉も同じです。まあ、いいか。)

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流れゆく雲に乗りたい紅葉山  あきオジ

2011-09-27 04:48:22 | 日記
巾着田の彼岸花です。
彼岸花がすんだら
昭和記念公園のコスモスですね。
そんなふうにして私の老後は過ぎて行きます。

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菊の乱れは月が出てゐる夜中  放哉

お堂しめて居る雀がたんともどつて来る  放哉

わが家のうしろで鍬ふるふあるじである  放哉

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名句とは明快で、普遍性をえぐったものであり、他とは違っていて、そして何度取りあげても飽きないこと。そんなのが私の基準です。
どうでもいいようなことですが、そんな気がします。

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予報士が言葉探しの秋の風  あきオジ

2011-09-26 16:00:03 | 日記
巾着田の露店です。
何でも商売にする。
そんなこともいいかな。
どこでも人が集まりそうなところで
露店でものを売る。
寅さんが顔出すような気がします。

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生きていくためだったら、何でもする。
そんな野性的なやり方があったことを忘れていました。

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秋たつや何におどろく陰陽師  蕪村

貧乏に追い付かれけりけさの秋  蕪村

秋立つ素湯香しき施薬院  蕪村

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このブログは不思議なもので
「書きため」できないのですね。
その日、そのときの気分でなければ進まないのです。
だから、思いつきの気まぐれ
そして深みが出てこないのかもしれません。
でも、そんな作り方とは違っているのが自分流です。

もう、他の人の流儀を真似たり、指導を受けて上達することを考える余裕などありません。

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案山子さえ思案顔なる秋になり  あきオジ

2011-09-26 15:33:41 | 日記
巾着田の案山子です。
田園風景を見ると昔を思い出そうとします。
どこか違いますね。

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裸で暮らしていたのですが
最近は何かきていないと寒くなりましたね。

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風にふかれ信心中して居る  放哉

月夜のかるい荷物  放哉

あついめしがたけた野茶屋  放哉

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あるがまま飯をいただく野仏さま  あきオジ

女郎花何かいいたげ遍路道  あきオジ

(四国遍路に出たいですね。その思いが強くなってきました。年をとると不思議な感情が溢れてきますね。)

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青梅線秋風つれて駅を出る  あきオジ

2011-09-26 15:16:54 | 日記
高麗駅に入ってくる電車です。

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朝顔の葉影に猫の目玉かな  夏目漱石

初時雨故人の像を拝しけり  夏目漱石

ただ寒し封を開けば影法師  夏目漱石

行く年や猫うづくまる膝の上  夏目漱石

(夏目漱石の句には余裕というのか精神の遊びの部分があるし、その懐が大きいですね。そんなところが好きです。)

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ひたすらに俳句作る秋の顔  あきオジ

いまはただ気楽に一句そんな秋  あきオジ

(このごろ、言葉が出てきたら、そのまま。推敲など頭にありませんし、その気にもなれません。山頭火が推敲などしないで、そのまま放りだしの句を作っていたとなれば、それはそれで魅力を増しますね。)

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彼岸花ここでいいのかと声をかけ  あきオジ

2011-09-26 06:44:04 | 日記
巾着田の彼岸花です。

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また、一週間が始まりますね。
昭和記念公園のコスモスを楽しんだら
神代植物公園のバラを鑑賞します。

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渋柿の下に稲こく夫婦かな  夏目漱石

(現代俳句の技巧的で屈折した表現を読んでて、夏目漱石の句を読むとほっとしますね。そこそこ時代を感じますし、懐かしさ、そして「しみじみ」がありますから気持ちいいですね。)

秋風や坂を上れば山見ゆる  夏目漱石

(先日も取りあげましたが「歩く」ことが意味を与えた時代ですね。当たり前の風景ですが、嬉しくなりました。)

四里あまり野分に吹かれ参りたり  夏目漱石

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とことん歩く。そんな日常が句をうむのかなあ。そんな気がします。しかも吟行などというものではなく、生活そのものです。
でも、そんな昔に核を求めるのは、時代錯誤哉なあ。
それは素人が考えることはありませんね。
素人は今のスタイルにすがるしかないのですから。

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コスモスが倒れた先に青蛙  あきオジ

2011-09-26 06:33:36 | 日記
巾着田のコスモスです。
密集していても沈黙が似合う花ですね。
凛としているだけで
「しみじみ」が見えません。

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ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる  山頭火

この旅、果てもない旅のつくつくぼうし  山頭火

まつすぐな道でさみしい  山頭火

やつぱり一人がよろしい雑草  山頭火

(山頭火の日記も読むのですが「知らぬが花」という言葉を思い出しました。そのうちその気になるのでしょうが「何これ」と思いながら読んでいるのが気持ちいいですね。発見や出会ったときのときめきが面白さだと思っています。素人とは恐ろしいですね。きめてかかるのですからね。)

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彼岸花千手観音いだき咲く  あきオジ

帰ることなき道なれど彼岸花

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赤蜻蛉極楽ならば楽しかろう  あきオジ

2011-09-26 06:26:06 | 日記
巾着田の彼岸花です。
今週末にもう一度出かけましょうかね。
外に楽しみがないのです。
でも、それで十分です。

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年賀だけしのぶちいママのいる場末  風天

うなだれし柳と佇ずむ新内ながし  風天

おし黙り風の音だけ夜なべかな  風天

(繰り返し渥美清の句を読んでいると「帰りたい・帰れない」の思いが伝わってきますね。突き進んでいたけれど、もう、昔には戻れない。そんな痛さが見えてきますね。)

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夜なべしてセーター編みし里帰り  あきオジ

(「帰省」というのは、どういうことなのでしょうか。帰郷もそうですが、別の言葉が似合う時代になりましたね。)