平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1931 ポツダム宣言 2020.7.26.

2020-07-26 11:14:16 | 日記

先ほどまで降っていた雨がやみ、青空も見え、蝉が鳴き出した。
アブラ蝉の、暑苦しい鳴き声を聞くと、映画やドラマで見た、終戦の日の光景、
「ラジオの前で、正座して『終戦の玉音放送』を涙を流し聴いているシーン」が、浮かんでくる。
75年前の1945年7月26日は、日本無条件降伏含むポツダム共同宣言がなされた日。
その翌日、7月27日、日本に「無条件降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届いていた

1945年8月15日、玉音放送で、無条件降伏を受け入れて終戦となる、半月ほど前のことだった。
この頃、日本中が米軍の空襲で悲惨な状況だった。
戦争責任を問われることを恐れた政府は、「ポツダム宣言を無視」し、「一億玉砕」を言い出し、徹底抗戦
を打ち出した。一億玉砕で、日本人が全部死んでしまえば、「戦争責任」はウヤムヤになる。
マスコミは、軍部の広報局に成り下がって、「笑止、対日降伏条件、聖戦あくまで完遂」など、
東京はじめ各都市の大空襲や悲惨な沖縄戦などによる国民の窮状よりも、国民をダマす片棒を担いでいた

米大統領トルーマンは、開発した「原子爆弾」を使いたくて、ウズウズしていたとのこと。
敗戦に継ぐ敗戦で、冷静な判断が出来なくなっている日本軍部が、「ポツダム宣言を受諾しないだろう」と、
トルーマンは見透かして、「原子爆弾」を実践で使えることを確信していたようだ

7月26日が来る度に、「広島・長崎の原爆投下」の前に「ポツダム宣言を受け入れていたら」と、
安倍総理のお爺ちゃん(岸信介、戦争を始めた東條内閣の閣僚)達に恨みを言いたくなる。
7月中にポツダム宣言を受け入れていれば、原爆で苦しむ広島・長崎も、全国各地の空襲も、ソ連の参戦も無く、
救われた命は多かった筈

ウォーキング中に出会った花。前にわからなかった白い花は、くさぎ(最初の花)。

7月26日「今日は何の日カレンダー」より
ポツダム宣言記念日、幽霊の日、日光の日、ふろの日(毎月)
▲弘法大師が日光山と命名(820)▲幕府は新田として開発可能な荒れ地、未開墾地には開発の許可を与える
 (享保の改革)(1722)▲東海道四谷怪談、初演(1825)▲長州藩領内で大規模な防長大一揆起る(1831)
▲英公使オールコック、外国人初の富士登山(1860)▲東京横浜毎日新聞が開拓使官有物払い下げ暴露(1881)
▲津田梅子の英学塾、設立(1900)▲FBI誕生(1908)▲ポツダム宣言発表。ベルリン郊外のポツダムに
英チャーチル、米トルーマン、ソ連スターリンが参集して、戦後ドイツの処置、対日処置、日本の無条件
降伏など共同宣言(1945)▲OECD(経済協力開発機構)日本加入を承認(1963)▲1783年の浅間山大噴火による
埋没地域の嬬恋村、発掘開始。人骨、仏像、石臼、戸障子など発掘(1979)▲福岡市地下鉄開業(1981)
▲政府、韓国で元従軍慰安婦から聞き取り調査を開始(1993) ▲神奈川・相模原障害者施設殺傷事件(2016)
▲オーム真理教死刑囚13人の死刑執行完了(2018)