わたくしはたびたび起こる
先生が生徒に対して暴力を振るう件について反応してきました。
今回は生徒がツイッターで炎上させようとか
先生をはめようとか、そんな話も出ています。
先生を擁護する各方面の声は大きいようですね。
しかし自分はこう思います。
先生が殴る→生徒は改心する。
これが許された時代は先生も生徒も暴力による制圧がしみついていた
時代の人間だったから成立したのです。
生徒同士もケンカによって仲裁・そしてその問題を解決してきたのです。
戦争と同じで勝った者が正しく、負けた人間が間違っていたという構図。
だから問題にもならないし、殴ってきた先生=強い=すごい人。
結局昭和の人間はバカばかり。
一方で平成になり情報や知識や常識というのが変化してきました。
マナーの面でも大きく変化しました。
今の中国は昔の日本を見ているように。
そのマナー変わりした子供に対して心と指導方法が昔のままではうまくいかない。
仮に先生には叱る・怒る・指導するという権利があったとする。
しかし今でも生徒側にはソレを聞かなければならない義務がある。
要するに生徒側の発言する権利がないということ。
あまりにも一方的すぎる。
先生達は”生徒の為を思って”と表向きに。
生徒としてみたらなんの心にも響かない
単なる”会話のドッヂボール”になってしまう。
もし今回の先生が生徒に対して本当に改心させたいのであれば
まず話しているあの姿勢はダメでしょ。
壁に片手をついて生徒に物申す。ずいぶん偉そうだね。
本気で向かう姿勢があれであればそりゃ生徒も聞かないよね。
OBからは先生を擁護する発言があった。
沢山の生徒からの信頼があったんだろう。
しかしこの先生の指導に合った生徒がそれを言っているだけ。
今までこの指導の仕方が合っているからと勘違いしていた先生。
ファンがいればアンチもいるように
今回はアンチvs先生となったわけです。
むかついたからと最後に暴力を振るうのは幼稚園児以下。
生徒は先生なんて手を出さない・出したら問題になるだろうで強気に出る。
先生も、生徒は俺に殴りかかってこないだろうの姿勢でいく。
その殴りたい気持ちをそのまま街中にいる強そうな人にぶつけられるかといったら
もちろんそうではないだろう。
今回も先生という立場を利用した弱い者いじめ。
そして弱い者いじめになんとか立ち向かった生徒の末路。
先生が生徒に対して暴力を振るう件について反応してきました。
今回は生徒がツイッターで炎上させようとか
先生をはめようとか、そんな話も出ています。
先生を擁護する各方面の声は大きいようですね。
しかし自分はこう思います。
先生が殴る→生徒は改心する。
これが許された時代は先生も生徒も暴力による制圧がしみついていた
時代の人間だったから成立したのです。
生徒同士もケンカによって仲裁・そしてその問題を解決してきたのです。
戦争と同じで勝った者が正しく、負けた人間が間違っていたという構図。
だから問題にもならないし、殴ってきた先生=強い=すごい人。
結局昭和の人間はバカばかり。
一方で平成になり情報や知識や常識というのが変化してきました。
マナーの面でも大きく変化しました。
今の中国は昔の日本を見ているように。
そのマナー変わりした子供に対して心と指導方法が昔のままではうまくいかない。
仮に先生には叱る・怒る・指導するという権利があったとする。
しかし今でも生徒側にはソレを聞かなければならない義務がある。
要するに生徒側の発言する権利がないということ。
あまりにも一方的すぎる。
先生達は”生徒の為を思って”と表向きに。
生徒としてみたらなんの心にも響かない
単なる”会話のドッヂボール”になってしまう。
もし今回の先生が生徒に対して本当に改心させたいのであれば
まず話しているあの姿勢はダメでしょ。
壁に片手をついて生徒に物申す。ずいぶん偉そうだね。
本気で向かう姿勢があれであればそりゃ生徒も聞かないよね。
OBからは先生を擁護する発言があった。
沢山の生徒からの信頼があったんだろう。
しかしこの先生の指導に合った生徒がそれを言っているだけ。
今までこの指導の仕方が合っているからと勘違いしていた先生。
ファンがいればアンチもいるように
今回はアンチvs先生となったわけです。
むかついたからと最後に暴力を振るうのは幼稚園児以下。
生徒は先生なんて手を出さない・出したら問題になるだろうで強気に出る。
先生も、生徒は俺に殴りかかってこないだろうの姿勢でいく。
その殴りたい気持ちをそのまま街中にいる強そうな人にぶつけられるかといったら
もちろんそうではないだろう。
今回も先生という立場を利用した弱い者いじめ。
そして弱い者いじめになんとか立ち向かった生徒の末路。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます