メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

近代日本の美術 (東京国立近代美術館)

2009-04-10 21:37:00 | 美術
所蔵作品展「近代日本の美術」 (東京国立近代美術館、3月14日-6月7日)
 
近美の所蔵品展、何度もいっているけれど、このところ企画展のついでに見るのは体力的に大変になってきて、久しぶりである。
 
日本近代の代表的な作品をこれだけまとめて見ることが出来るのはここだけだから、今回も好きな作品との再会、今回初めて知る作家、作品など、楽しみは多く、充実した2時間、と一応はいうことが出来る。
  
ただ、何かもどかしい感じは残るのだ。今回の少し前から感じたことだけれど、フロアの仕切りが変わり、展示の区分とエリアがはっきりしたからか、集中して贅沢に展示しているカテゴリが見当たらない。散漫なのである。
 
確か踊り場というか中3階だったか、藤田嗣治、荻原守衛、舟越保武の好きな作品があった場所、横山大観「生々流転」を全部広げて見られるよう長く作った日本画の部屋、それらの面影はない。
 
おそらく、所蔵品も増えて、これまで陽があたらなかったものに場所を与えるとか、相対的に現代ものが増えてきたとか、事情はあるのだろう。それなら、そろそろ現代もの中心の国立美術館を東京に作っても良いのではないか。ここは日本のオルセーにはなりえても、日本のポンピドゥーにはなりえない。東京都現代美術館は、確か所蔵はなく展示のみだったはずだ。ただあそこは、天井も高く、照明の自由度も高いから、コンテンポラリーの展示には適している。
 
それでも、展示の出だしあたりにある、岸田劉生、関根正二、村山槐多、この3人はここのスターである。そして、久しぶりに見る土田麦僊「舞妓林泉」、また横山大観「瀑布図」の白で見せる滝水、菱田春草「梅に雀」の絶妙な構図。
関根正二「三星」、あらためていいなあ、と思う。確か左から姉、作者、好きな人、その眼がいい。恋人とおぼしき人だけが正面を見ているのは、画家の希望だろうか。
 
伊東深水の木版「対鏡」「春」、これらの赤い衣装の女性を見ていると、伊東と関根という幼馴染の友情関係は、洋画、日本画の違いを超えて、やはりと思わせ、気持ちがいい。伊東の絵を見て、関根のヴァーミリオンを思い出すのもいいものだ。
 
ただ、館のサイトで展示作品リストを見て、あらかじめ知ってはいたものの、これらの中に舟越保武、横山操の作品が一つもないというのは、何か間違っているのではないか、という気がするのである。作品もさることながら、この二人が戦後日本美術界に残した無形のかけがえのない財産を思えば。

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