「ニューポート・フォーク・フェスティバル」(Festival ! 、2007年、米、90分)
監督:マーレイ・ラーナー
劇場未公開。ボブ・ディラン特集として、先日WOWOWで「アイム・ノット・ゼア」に続き放送されたもので、1963年、1964年、1965年のフェスティバルの模様をディラン中心に記録した貴重な映像だ。
「アイム・ノット・ゼア」は昨年5月に映画館で見た。ボブ・ディランの多様な面を複数の役・俳優で構成した、非常に興味深いものであった。ただ、ボブ・ディランそのものについて、彼のいくつかの歌以外よく知らないためか、もどかしいところも多かった。
今回このドキュメンタリーを見て、録画した「アイム・ノット・ゼア」を再びみて、かなりよく理解出来たし、ドラマの方の面白さも倍加した。
こういうものとして、見るものの知識でこれだけ違うというのはやむを得ないところだろうか。
私が知らなかった、あるいはドラマの中で示唆されているのに気がつかなかっただけなのだが、この1963年にはすでにディラン自身は歌でプロテストをすることはやめた、と言っている。そして64年、65年と変わってきて、最後は電気楽器を使い、聴衆とのあいだに衝突もあり、最後はアコースティック・ギターを使って終わる。
このことは調べると、ディランについての常識らしい。しかし、である。フェスティバルの映画を見ると、それがどの程度なのか、どんな雰囲気なのかがよくわかるのだが、あんまり激しいものではないのだ。
MC(ピート・シーガー)も演奏時間について行き違いがあったのではと、コメントしていたが、ディランはアコースティックを持って再び登場、誰かEのハーモニカをこっちに投げてくれないかといって、受け取り、演奏を始める。そこからはトラブルもない。
1941年生まれのディランを実質的に発見し世に出したのは同年齢のジョーン・バエズらしいが、彼女にしても穏やかだし、1963年に「風に吹かれて」でディランに頼まれ、ピート・シーガー、フリーダム・シンガーズ、PPMなどと一緒に歌うシーン、聴衆も乗っているけれど、今から見れば行儀のよい風景である。
東部であり、まだ主たる問題が公民権運動で、ヴェトナム戦争に対する動きはこれから、というところなのか。ディランもただネクタイをはずしただけという姿だし、バエズもあるシーンではスカートにハイヒール、聴衆もいわゆるトラディショナルなカジュアル・スタイルの域を出てない。
1965年の最後では、Like a rolling stone 、Mr.Tambourine Man 、It's all over now,baby blue が続けて歌われた。
ここでふと考えたのだが、アメリカのフォークというのは何なのだろう?いきなりディランあたりからこっちにも入ってきたからそういうものかと思っていいたのだが、その後のディランの変化との関係、今の新しい音楽にどう影響しているのかはよくわからない。
一方のカントリーは、ロックにつながっているのは聴けばわかるし、カントリー歌手がジャズ歌手になっていった例も多い。
もしかしたらポール・サイモンが、フォークをモダナイズし、現代の大衆に受け入れられるものにしたのか。ただそれはその後どうなったのか。