メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

愛を読むひと

2009-06-26 18:48:59 | 映画
「愛を読むひと」(The Reader 、2008年米・独、124分)
監督:スティーヴン・ダルドリー、原作:ベルンハルト・シュリンク「朗読者」、脚本:デヴィッド・ヘア、製作:アンソニー・ミンゲラ、シドニー・ポラック他
ケイト・ウィンスレット、デヴィッド・クロス、レイフ・ファインズ、ブルーノ・ガンツ、レナ・オリン
 
世界的ベストセラーの原作は読んでいない。この陣容で期待したが、映画全体としてはいまひとつであった。
 
1958年、ドイツのある町で16歳の少年(デヴィッド・クロス)が36歳の市電車掌の女性(ケイト・ウィンスレット)と偶然知り合い、彼女のところに入り浸りながら求められるままに本を読み聞かせる。そして彼女は車掌から事務へという転勤をすすめられたタイミングで姿を消す。
 
その後、少年は法学生として見学した裁判で、彼女が収容所の看守として、結果として対ユダヤ人犯罪の罪を問われていることを知るが、簡単に動くことは出来ない。
 
その後彼(ここからレイフ・ファインズ)は結婚し、娘をもうけるが、離婚、刑務所の彼女に昔読んで聞かせた本を朗読しカセットテープに入れて送る。彼女は社会復帰の準備を続け、無期懲役も釈放となるのだが、さてそのとき起こったことは、
というストーリー。
 
大きく分けると、少年から法学生まで、女性の戦前・戦後・裁判と刑務所、そして法学生が弁護士になってからその内面。
この女性の過去の設定、これは似たような話が映画でもこれまでよくあってそれほど珍しいものではない。ただ欧米、そしてそこのユダヤ社会では、何度でも掘り起こし断罪するのだろうか。それは認めるとしても、映画として新味はない。そして少年が弁護士になってからの苦悩には感情移入しがたい。
 
別の観点からすると、ナチの対ユダヤ人犯罪への心ならずもの加担、年上の女(運命の女:ファム・ファタル)、大人の男の悔恨、この三題話。それぞれは映画の世界では珍しくないのだから、一ひねり二ひねりが欲しいのと、もっと人間を大切にして欲しい。
   
ダルドリーの演出、カメラワークが細かく、それに音の効果が多用されすぎていて、説明的過ぎるというか落ち着かない。「リトル・ダンサー」(2000)ではうまくいっていたのだが。
 
16歳から大学生まで(法廷見学まで)を演じるデヴィッド・クロスが出色。それに比べると名優レイフ・ファインズはこの筋立てでは何かもどかしげである。この役は1942年あたりの生まれで、それにしてはその後とびとびに出てくる各シーン(何年と書いてある)で、老けすぎていないか。
 
ケイト・ウィンスレット(撮影当時おそらく32歳)は36歳から66歳までを演じるわけだが、そのあたりは文句なし。刑務所で男と面会するときの、記憶はあってもそれが出てはこなくなっているところの演技など、以前「ジュリア」を見たときにヴァネッサ・レッドグレーヴの老け方に感心したけれども、それ以上。
そして、成人した男であれば多分好きになれないであろうと思われる女性のキャラクターの演じ方も、この映画を思想的なものの皮相さから救っている。
 
もう一つ、なぜ「朗読」というのは彼女の秘密、恥と関係しているわけだが、それでも読んでもらってきいているときには、その過去にもかかわらず感情とそれによる表情が出てくる喜びがあって、ケイト・ウィンスレットの演技から無理なく受け取れる。それは気持ちいい。この映画でオスカーというのはあんまりだけれど、運が悪くてとれない人もいるから、通過儀礼とすればいいだろう。
 
製作のミンゲラ、そしてレイフ・ファインズとなると「イングリッシュ・ペイシェント」だが、その高みと重層性には達していない。
ただ、母娘二人のユダヤ人生き残りがこの件でいて、ニューヨークに住んでいる長じた娘をファインズが最後に訪ねるところは、いかにもセレブで思想的正しさを絵に描いたような受け答えをするこの女性のえがき方が一つの批評にはなりえている。女性を演じるのはレナ・オリン、さすが。

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