メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

明日に架ける橋

2011-06-07 19:03:56 | 音楽一般
サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」である。
 
ポール・サイモンという人は20世紀後半のクリエイターとしてすごい人だけれども、例えばバート・バカラック、キャロル・キングの曲などに比べ、複数の歌手によるカバーがそんなにないように思って来た。数字からはそのとおりなのだろうが、具体的に誰が歌ったポール・サイモンの曲というのが思い浮かばなかった、というわけである。
もっとも私がアメリカ国内の状況を必ずしもよく把握できないから、かもしれない。
 
そういうところに、たまたま必要と興味があってアレサ・フランクリンのCDを聴き、関連して調べていたら、彼女の「明日に架ける橋」に行きあたった。
1971年3月、サンフランシスコのフィルモア・ウェストというところでのライブである。この曲が発表されたのは1970年、同名のアルバムの第1曲だから、翌年ということになる。大ヒットしたから不思議ではない。
このアルバムはすぐに日本でも発売され、私はこの30cmLPレコードをすぐに買った記憶がある。それは今も手元にあって時々聴く。
アルバムの全11曲、くずがない、どれも語られるに足る曲と演奏(「コンドルは飛んでいく」と「バイ・バイ・ラブ」は自作でないが)である。独断では、これに匹敵するのはキャロル・キングの「つづれ織り(タペストリー)」くらいだろう。しかし後者の各曲にはカバーが極めて多い。
 
アレサ・フランクリンの歌唱にもどると、これは私があなたを支えてあげるという趣旨が、歌い手の語りかけというレベルを超えて、それをもっと多くの人たちの関係に広めよう、という激しいものである。ソウル、ゴスペルというジャンルからすればそうなるのは不思議でない。
 
この曲は、その後南アフリカの教会で歌われるようになり、多くの人々はこれはもともとゴスペルだと認識していたという。アパルトヘイトの時代には、特にインパクトが強かったかもしれない。 
 
そういえば、逆に米国で別の意味でクローズアップされたことがある。2001年の9.11の後しばらく、「明日に架ける橋」の放送が自粛された。歌詞の後半にある Sail on silver girl というフレーズが、貿易センタービルを直撃した銀色の旅客機にsail on「出航せよ」、と連想させるということらしい。 
 
それでポール・サイモンが苦しんだということは、これに関連したしたNHKの番組でも描かれていた。
ひどい話といえばひどい話だけれども、よく聴くとこの Sail on silver girl のバックにつけられたサウンドは、曲中一番素晴らしい部分であって、だからそういわれるのか、皮肉といえば皮肉である。 
 
そういういろんな物語がついてきた「明日に架ける橋」

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