「夜間飛行」(Vol de nuit 、サン=テグジュペリ) 二木麻里 訳 光文社古典新訳文庫
小説を読むときに想像するロマン、わくわくするようなお話、そういうことを期待して入ったものの、これは航路の実績を作ることに懸命な航空会社の社長リヴィエールの、プリンシプルに忠実な、それによって勇気を示し行動していく物語であった。配下の整備員、操縦士たち、彼らとリヴィエールのやりとりは、組織として当然とはいうものの、こうして書かれると、その文章は自立して迫ってくる。
そして1931年に書かれたこの小説、作者が意識していたのかどうかわからないけれども、おそらく当時の欧州事情からして、何らかの心配ごと、ストレスを感じながら読む、読みかえることは可能だったのではないか、いまでもそっちへ行きそうに読めてくる。
それを作者が意識していたかどうかはわからない。ただ読んでいて常に感じる微熱感とでもいったらいいのか、それはそういことと関係ないだろうか。
また人間たち、組織、機械、自然、そういうものを前にしての作者の文章から、なぜかカミュの「異邦人」を思い起こしてしまった。最初はこういう何らかの困難、ある人にとっては不条理に向かうということからむしろ「ペスト」を思い浮かべたけれども、次第に「異邦人」のところどころに感じられるある種のみずみずしさは「夜間飛行」と重なるのではないかと思うようになった。
カミュはテグジュペリをどう評価していたのだろうか。
そういう重層的な読み方を喚起しながらも、無駄のなさ、透明感をたたえた訳文は見事である。もっともテグジュペリの名前が有名になりすぎて、へそ曲がりなためかこれまで読むのをためらってきたから堀口大学の旧訳(新潮文庫)は読んでいない。
ところで「夜間飛行」という有名な香水があることは知っていた。あるときデパートで買い物につきあいゲランの売り場に行ったとき、そこの人に夜間飛行という香水は今でもあるのですかときいたら、どうぞ試してみてくださいと嗅がせてくれた。素直に好きになりそうな香りは意外であった。
また訳者によると、この作品は評判になりアメリカで映画がつくられたそうだ。調べてみたら1933年の「Night Flight」で、デヴィッド・セルズニックの製作、ジョン・バリモア(リヴィ エール)やクラーク・ゲーブルが出演している。日本でも戦前に公開されたようだが、DVDは国内では発売されていない。いつか放送でもされないだろうか。
ところで主演のジョン・バリモアはこのブログ前項の「ローラーガールズ・ダイアリー」が初監督作品であるドリュー・バリモアの祖父である。これは偶然というより、あちらが「呼んだ」のだろう。理屈ではなく、何かに関心をもっているとこういうことはたまにあるものだ。