メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

影のない女

2011-08-31 18:00:05 | 音楽一般

歌劇「影のない女」 三幕 作曲:リヒャルト・シュトラウス
台本:フーゴー・ホフマンスタール
 
スティーヴン・グールド(皇帝)、アンネ・シュワーネウィルムス(皇后)、ミヒャエラ・シュスター(乳母)、ウォルフガング・コッホ(染物師バラック)、エヴェリン・ヘルリツィウス(バラックの妻) 
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団
指揮:クリスティアン・ティーレマン
演出:クリストフ・ロイ
2011年7月29日 ザルツブルク祝祭大劇場
2011年8月13日(土) NHK BSプレミアム
 
リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)1917年の作品。このときすでにサロメ、エレクトラ、バラの騎士、ナクソス島のアリアドネなどを作曲している。あらすじが何か込み入っていそうで、シンプルに聴きたいという気が起きなかったが、ともかく今回放送があり、録画を見てみた。
 
皇帝が狩でかもしかをつかまえたが、これが女に変身し皇后となる。しかし体内から光が出て影ができないので子供を産むことが出来ない(これはわかりにくいけれどもともかくお話しとして受け取って進むしかない)。
皇后のもとの世界の父(王)は今後三日のうちに影ができなければ、すなわち子ができなければ皇帝を石にしてしまうという。
そこで皇后についている乳母が一計を案じ、人間界のなかで染物師夫婦を選んで、子供を産みたがらないその妻に影を売ってもらおうとする。この影を売るということはどういうことなのか、よくわからないまま、これは夫婦の不信であり、それがしだいに皇后も含めて自己犠牲と真の愛という話に移っていき、最後は愛の賛歌、大団円となる。
 
ホフマンスタールの台本だからといっても随分変な話である。そうだけれども、シュトラウスの音楽は、バラの騎士などのように耳につくメロディーはなくても、華麗、芳醇、メローでそれにひたっていられるし、主要なこの5人、特に女声3人にはワーグナーの楽劇にも通じる強靭な声、スタミナが要求されている。
 
さてこの演出は変わっていて、こういう変な筋を具象的な舞台でやってもわかりにくいと考えたのか、とにかく終盤に入るまでは劇中劇というか、このオペラのコンサート形式上演のリハーサルの形で進行する。周囲には装置があるけれども真ん中にはそっけない大きな台があり、そこに碁盤の目と数字が書かれていて、演出助手みたいな人が歌手に時々場所を指示したり、譜面台を移動させたりする。歌手も現代の普通の衣裳で、庶民の染物師家庭の場面が多いから、見栄えがしない。 
 
それが変わるのは、どたばたの中から犠牲と愛が浮かんでくるあたりで、皇后の歌が突然「語り」(シュプレッヒ・シュティンメ?)になる。ここは効果的だ。
そして一度幕が引かれ真っ暗になり、幕が上がると歌手たちはステージ衣装を着てコンサート形式上演の舞台になり、後ろには少年合唱団がいる。観客もいて、無音の拍手をしたりしている。 
 
ひととおり味わっただけだから歌手たちと指揮者ティーレマンの評価をすることもなかなか難しいが、手堅くできたということはいえるだろう。
 
もう一度見るとすれば、今度は具象的な舞台だったらどうなるのか見たいところではある。
 
このように重層的で込み入った作品は、「カプリッツィオ」、「ナクソス島のアリアドネ」などに通じるのだろうが、これらに比べてもこういう筋ではCDで対訳を追いながら聴くのはしんどい。
だらしない話だけれど、実は20年以上前に発売された1977年ウィーンでのライブ録音を持っていて、これは指揮カール・ベーム、皇后レオニー・リザネック、乳母ルート・ヘッセ、バラックの妻ビルギット・ニルソンというよき時代のスーパーな配役だけれども、一度も通して聴いていない。
 
あと、話の筋からモーツアルト「魔笛」との類似の指摘がある。そうかもしれない。それは「魔笛」がちょっと苦手なところと通じるのであるが。


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