メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ショスタコーヴィチ「カテリーナ・イズマイロヴァ」

2017-12-05 15:36:14 | 音楽一般
ショスタコーヴィチ:歌劇「カテリーナ・イズマイロヴァ」
指揮:トゥガン・ソビエフ、演出:リマス・トゥミナス
ナージャ・ミヒャエル(カテリーナ)、ジョン・ダザック(セルゲイ)、タラス・シュトンダ(ボリス)、マラト・ガリ(ジノーヴィ)、オクサナ・ゴルチャコフスカヤ(アクシーニャ)
2016年11月12日 モスクワ・ボリショイ劇場 
2017年7月 NHK BS
 
ショスタコーヴィチのオペラを見るのは「」に続いて二つ目である。帝政ロシア時代、商家の主人ボリスの息子ジノーヴァと結婚したカテリーナは、舅と正反対でおとなしく性的にも淡白な夫に退屈しているが、夫がしばらく不在になったとき、使用人として入ってきたセルゲイに狙われ、侍女アクシーニャに札付きと注意されながら、次第に堕ちていく。それを知った舅を毒殺し、夫は行方不明ということにして結婚式をあげようとするが、帰ってきてしまった夫を殺す。結婚式でそれがばれ、二人ともシベリア送りになるが、そこでセルゲイは若い女囚に手を出して騒動になり、二人とも死んでしまう。
話のパターンとしてはありそうな欲と性のどろどろしたものであるが、音楽は聴く者に雄弁に情況と感情を伝え、言葉はアリアというより台詞に近いけれど、ストーリーの進行にうまく合っている。
 
1930年の「鼻」についで1934年に「ムツェンスク郡のマクベス夫人」として初演され評判を呼んだが、スターリン体制のプラウダ批判で、その性暴力場面とその音楽などが批判され上演禁止となり、その後改作され、1963年に「カテリーナ・イズマイロヴァ」として初演されたようだ。
 
前作は見ていない(映画かなにかで一部見ることはできるのかもしれないが)から、比較はできないけれど、今回見たところでは、オペラのレパートリーとしてはこれでも定着して長く上演されるのではないだろうか。
殺人や性的に過激な場面は簡潔化され次の場面に移行しているようで、カットを集めて編集した映画に似た手法にも見える。それがむしろ全体として主人公カテリーナの愛と性のうつろいを見る者に考えさせるものとなっている、と言えないこともない。
 
上記の主たる登場人物の歌手たちは皆その役柄にフィットしていて、歌唱もすぐれている。しかし何と言ってもカテリーナのナージャ・ミヒャエルが目立っていて、その細身ながらセクシーな肢体とその動き、そして表情を配した歌唱は、男にとってまさにファム・ファタル。セルゲイは歌唱、演技はいいけれど、体躯が立派すぎて、これは日本人が見るからか、カテリーナが最後に惚れてしまう男としてはちょっとこわい。
 
ショスタコーヴィチは、「鼻」もそうだが、オペラを見ると、もっと評価していい作曲家だと思う。20世紀のオペラ作曲家としては、リヒャルト・シュトラウスに次ぐ存在だろうか。
 
こころならずも改作したとはいえ、カテリーナの退屈、性的不満が民衆の不満を象徴しているほかにも、やんわりとした体制批判(皮肉)も見ることができる。何度か出てくる警察の一隊、今回の演出も加えれば、かっこいい制服と、見事な動作(ダンス)で、舞台上で見せ場を作るのだが、結婚式に呼ばれない、賄賂をくれないなどと不満を述べたり、ようするに庶民の愛憎劇、それは必ずしも圧政だからということでなく個々の庶民の事情なのだが、その上で勝手に自己利益を図っている、そういう事情をさらりと描いているのはなかなかである。
 
そしてさすがボリショイ、ソビエフの指揮で、雄弁なオーケストラと合唱、熟練のダンスともに見事。



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