チレア:歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」
指揮:;ジャナンドレア・ノセダ、演出:デヴィッド・マクヴィカー
アンナ・ネトレプコ(アドリアーナ・ルクヴルール)、ピョートル・ペチャワ(マウリツィオ)、アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(ブイヨン公妃)、アンブロージョ・マエストリ(ミショネ)、マウリツィオ・ムラーロ(ブイヨン公爵)、カルロ・ボージ(僧院長)
2019年1月12日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、2020年2月 WOWOW
海外歌劇場の来日公演でこのタイトルを見たことはあるが、はてどんなものかと思っていた。アリアなど部分的なものも含めて今回が初めてである。
調べてみるとフランチェスコ・チレア(1866-1950)がこのオペラを発表したのは1902年、いわゆるヴェリズモ・オペラに分類されているようだ。寡作だったため、あまり知られていないのかもしれない。
ただこの作品はたいへん人気があり、ディーヴァのためのオペラのようだ。
今回、なんといってもネトレプコが主役ということで、この人を聴くだけでも大入りになるらしい。それに加え、ペチャワ、ラチヴェリシュヴィリも映えるから、声の饗宴ということだろう。
話は18世紀のコメディー・フランセーズ、ディーヴァのアドリアーナと愛し合う伯爵のマウリツィオは以前公爵夫人と付き合っていて、夫人は今でも強く執着している。それに公爵がからみ、小さい陰謀、策略の末、アドリアーナの悲劇となる。これは実際にあったことに近いらしい。
主たる三人の歌唱、特にネトレプコはさすがで、輝きと迫力で最後まで押し切る。他では舞台監督(?)ミショネのマエストリが、アドリアーナが好きなものの年齢からあきらめ彼女を支える役に徹するこの役でいい味を出している。衣装、メイクをもう少しきれいにしてもよかったとおもうけれど。
マクヴィカーの演出は、公爵の別荘も含めすべての場面を劇場・舞台で構成、この一つの世界の中のことという感じが続いたのは効果的だった。アドリアーナが「フェードル」の一部を演じ、公爵夫人に見せつけるシーンは圧巻。「フェードル」はやはり歌舞伎一八番のようなものだったのだろう。あのラモーの「イポリットとアリシー」がそうだったように。
さてチレアの音楽だが、聴くのがはじめてにしても、どこかのメロディーが印象に残るということはなかった。ただ、ドラマに沿い盛り上げる音楽として、歌手には聴かせどころはあり、オーケストレーションも充実していた。そう聴かせたノセダの指揮も優れたものだった。
指揮:;ジャナンドレア・ノセダ、演出:デヴィッド・マクヴィカー
アンナ・ネトレプコ(アドリアーナ・ルクヴルール)、ピョートル・ペチャワ(マウリツィオ)、アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(ブイヨン公妃)、アンブロージョ・マエストリ(ミショネ)、マウリツィオ・ムラーロ(ブイヨン公爵)、カルロ・ボージ(僧院長)
2019年1月12日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、2020年2月 WOWOW
海外歌劇場の来日公演でこのタイトルを見たことはあるが、はてどんなものかと思っていた。アリアなど部分的なものも含めて今回が初めてである。
調べてみるとフランチェスコ・チレア(1866-1950)がこのオペラを発表したのは1902年、いわゆるヴェリズモ・オペラに分類されているようだ。寡作だったため、あまり知られていないのかもしれない。
ただこの作品はたいへん人気があり、ディーヴァのためのオペラのようだ。
今回、なんといってもネトレプコが主役ということで、この人を聴くだけでも大入りになるらしい。それに加え、ペチャワ、ラチヴェリシュヴィリも映えるから、声の饗宴ということだろう。
話は18世紀のコメディー・フランセーズ、ディーヴァのアドリアーナと愛し合う伯爵のマウリツィオは以前公爵夫人と付き合っていて、夫人は今でも強く執着している。それに公爵がからみ、小さい陰謀、策略の末、アドリアーナの悲劇となる。これは実際にあったことに近いらしい。
主たる三人の歌唱、特にネトレプコはさすがで、輝きと迫力で最後まで押し切る。他では舞台監督(?)ミショネのマエストリが、アドリアーナが好きなものの年齢からあきらめ彼女を支える役に徹するこの役でいい味を出している。衣装、メイクをもう少しきれいにしてもよかったとおもうけれど。
マクヴィカーの演出は、公爵の別荘も含めすべての場面を劇場・舞台で構成、この一つの世界の中のことという感じが続いたのは効果的だった。アドリアーナが「フェードル」の一部を演じ、公爵夫人に見せつけるシーンは圧巻。「フェードル」はやはり歌舞伎一八番のようなものだったのだろう。あのラモーの「イポリットとアリシー」がそうだったように。
さてチレアの音楽だが、聴くのがはじめてにしても、どこかのメロディーが印象に残るということはなかった。ただ、ドラマに沿い盛り上げる音楽として、歌手には聴かせどころはあり、オーケストレーションも充実していた。そう聴かせたノセダの指揮も優れたものだった。