オートクチュール(Haute Couture、2021仏、100分)
監督:シルヴィ・オハヨン、音楽:パスカル・ランガニュ
ナタリー・バイ(エステル)、リナ・クードリ(ジャド)
ディオールのオートクチュール・ドレス部門で実際に仕立てる人たちのトップを長年続けてきたエステルが引退前の最後の製作段階に入ったところで、若者グループにバッグをひったくられるが、なぜかその一人の若い娘ジャドが盗んだものからエステルを知り訪ねてくる。
そしてこれがこの話のキーなのだが、やりとりの中でエステルはジャドの手が彼女たちの仕事すなわちお針子にきわめて向いていることを見抜き、やる気を見せなかったり反発するジャドと試行を重ねて引っ張り込んでいく。
この話、背景にいくつかの差別が配置されている。エステルもここの長とはいえディオールの客たちとは格差が大きく、他のお針子たちと同様、パリの壁の外の生まれ、居住である。ジャドもアラブ系で同様に郊外、衰えた母親をかかえ、交友関係もいろいろな人種、ゲイなど。
そういう中でもエステルはプロの仕事をそしてお針子たちとジャドは前記の差別を貫いて生きていくという軸で、この映画の展開、その細部の表現が見せるところとなっている。
最後にエステルの母親が実は、そしてエステルの娘との関係が、というところで結びとなっていて、そこはときどきある話かもしれない。
ただ、この映画、登場人物と主要なやりとりはほぼすべて女性、女性間の話で、特に母と娘の関係は難しいということは想像できるが、そこのところなかなか多層的な表現が納得させるものがある。
全体に地味ではあるが、振り返ると結構深いところがフランス的ともいえるだろう。
監督:シルヴィ・オハヨン、音楽:パスカル・ランガニュ
ナタリー・バイ(エステル)、リナ・クードリ(ジャド)
ディオールのオートクチュール・ドレス部門で実際に仕立てる人たちのトップを長年続けてきたエステルが引退前の最後の製作段階に入ったところで、若者グループにバッグをひったくられるが、なぜかその一人の若い娘ジャドが盗んだものからエステルを知り訪ねてくる。
そしてこれがこの話のキーなのだが、やりとりの中でエステルはジャドの手が彼女たちの仕事すなわちお針子にきわめて向いていることを見抜き、やる気を見せなかったり反発するジャドと試行を重ねて引っ張り込んでいく。
この話、背景にいくつかの差別が配置されている。エステルもここの長とはいえディオールの客たちとは格差が大きく、他のお針子たちと同様、パリの壁の外の生まれ、居住である。ジャドもアラブ系で同様に郊外、衰えた母親をかかえ、交友関係もいろいろな人種、ゲイなど。
そういう中でもエステルはプロの仕事をそしてお針子たちとジャドは前記の差別を貫いて生きていくという軸で、この映画の展開、その細部の表現が見せるところとなっている。
最後にエステルの母親が実は、そしてエステルの娘との関係が、というところで結びとなっていて、そこはときどきある話かもしれない。
ただ、この映画、登場人物と主要なやりとりはほぼすべて女性、女性間の話で、特に母と娘の関係は難しいということは想像できるが、そこのところなかなか多層的な表現が納得させるものがある。
全体に地味ではあるが、振り返ると結構深いところがフランス的ともいえるだろう。