メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

マン・オン・ザ・ムーン

2008-08-03 19:00:55 | 映画
「マン・オン・ザ・ムーン」(Man on the Moon 、1999年、米、119分)
監督:ミロス・フォアマン、製作:ダニー・デヴィート他、脚本:スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー
ジム・キャリー、ダニー・デヴィート、コートニー・ラヴ、ポール・ジアマッティ
 
実在したらしいコメディアン、アンディ・カウフマンの短い(35年)の生涯を描いたもの。
アメリカのコメディ界については、映画とTVドラマくらいしか知らないのだが、そうなると日本の現在のようなTV界、特にお笑いを中心としたものは世界に類を見ないばかばかしいもののように思ってしまう。
 
しかし、この映画を見ると、これらのうちいくつかの要素はアメリカにもあり、もしかしたらそれをまねしたこともあるのかもしれない。
例えば、やらせ、特にドッキリカメラ的なものなど。
 
主人公は周囲に理解されないというより、理解しにくい人間で、見ていてこんな人が長く人々を笑わせることが出来るのが不思議だ。
 
成功し始めても孤独で自虐的、そういうケースはあるだろうし、そこからドラマとして何か訴えるものが出てくることもある。でもそれがないのは、案外実際にこうだったからか。あえて理解しやすく解を提示しなかったというのが、フォアマンの演出なのだろうか。
 
まわりの人たち、皆いい人である。それでも最後まで幸福感を得られない主人公、ジム・キャリーの演技もまさにそれに沿ったもので、そこは彼、役者である。
 
見終わって、どうしてもシリアスな印象が残ってしまう。ジム・キャリーは時々こういう何か考えさせる背景の映画に出る。例えば、メディア界の専横を描いた「トゥルーマン・ショー」(1999)、赤狩りを背景に持つ「マジェスティック」(2001)など。
 
それにしても、このストーリーに対し、すごい製作陣である。ミロス・フォアマンはコメディもやるけれど同じころの「僕たちのアナ・バナナ」(2000)ほどはじけてはいない。
いい人たちのなかでもダニー・デヴィートの実力は当然として、ポール・ジアマッティはこのときにはもうなかなかの演技、「サイドウェイ」、「シンデレラ・マン」に出るしばらく前である。
 
「マン・オン・ザ・ムーン」というのは、人類が月に降りたということの裏に何か仕掛けがあるのではと思わないか、そうでなければ面白くない、という主人公のメッセージであり、彼の人生の舞台裏に自ら仕掛けたもの(この映画にいくつも出てくる)を示している。

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ピンクの豹

2008-08-02 11:15:50 | 映画
「ピンクの豹」(The Pink Panther 、1963、米、115分)
監督:ブレイク・エドワーズ、脚本:モーリス・リッチリン、ブレイクエドワーズ、音楽:ヘンリー・マンシーニ、衣裳:イヴ・サンローラン
 
タイトルと音楽はよく知っていても、見たことがなかった映画の一つ。
ああ、こんな映画だったの?というのが実感で、ドタバタコメディの典型、当時はそこそこ面白かったのかもしれないが、コメディとしての面白さはうすい。
 
この手のものではその後出てきた、例えば「裸の銃(ガン)」、とか「ホットショット」などのシリーズものの方が、下品とはいえはるかに楽しめる。
 
がしかし「ピンクの豹」にあってこれらにないのは、例えば同じ上流階級を扱っていても見ているとわかる贅沢感、きもちのいい上質感である。
 
例えば舞台はコルチナ・ダンペッツォ、オリンピックも開催されたスキー・リゾートで、変なたとえだが、カラヤンの写真、映像などでなじんでいるサンモリッツの雰囲気を思わせる。
 
そして、衣裳はイヴ・サンローラン。一般に60年代の映画に登場する衣裳は当時のパリ・ファッションが多くて楽しいが、これはとりわけ素晴らしい。さすがである。
 
調べてみると、サンローランは先ごろ亡くなるまでにそんなに多くの映画を手がけてはいない。手がけた映画にはそれなりの女優が出ていて、この映画のクラウディア・カルディナーレ、そして「別離」のカトリーヌ・ドヌーヴ(1969)(これは当然)、大好きなロミー・シュナイダーの「夕なぎ」(1972)もというのはうれしい。
 
デヴィッド・ニーヴン、ピーター・セラーズは今から見るとこのくらいはやるだろうという先入見はあるから、そう驚かない。二人の間でいそがしいキャプシーヌは適役、ジョン・ウェインを手玉にとる「アラスカ魂」(1960)くらいしか記憶にないけれど。
 
出ているのを知らなくて、うれしい誤算は王女役クラウディア・カルディナーレで、あの「山猫」以来気になっていたしゃべると出てくる下品な調子が、この役でもいきていて、特にファントム(ニーヴン)にシャンペンを飲ませられ、虎の毛皮を抱きながらくだをまき続けるシーンは秀逸だ。こんな才能があるとは思わなかった。彼女が王女でなかったら、この映画の魅力は半減しただろう。
   
そしてヘンリー・マンシーニの音楽は、時代をこえ、世代をこえ、、、
あらためて感心したのだが、ブレイク・エドワーズとのコンビが多い。例えば「ティファニーで朝食を」、「酒とバラの日々」、「ピーター・ガン」、、、
 
考えてみると、戦後のアメリカ映画で、フレッシュな映画音楽を数多く書き、ヒットして長く残っているということでは、この人とバート・バカラックが双璧だろう。
ここであらためて聴いてみると、マンシーニのベースはビッグバンド・ジャズで、それに対しバカラックはもう少し小編成の多様な効果も混じり、そして中南米の要素を取り入れているといえるかもしれない。
また両方に、多分この世代のアメリカの人たちに多いけれど、フランスのラベルとか六人組の人たちの流れが、雰囲気として感じられる。
 
細かいこと二つ
ニーヴン扮するリットン卿(ファントム)がドン・ファン(ジュアン、ジョヴァンニ)に擬せられていることの是非が王女との間で話題になる。そう、だから壁を登って部屋に入るシーンもある?
そうなると終盤の仮想パーティでファントムを追うクルーゾー警部(セラーズ)の扮装は騎士長ということだろうか。
 
シャンペンを飲む場面が何度もあるけれど、グラスは広口のもの。そう我が国の結婚披露宴で使われ、西洋かぶれの人たちが、あちらではシャンペングラスは縦長のフルートというのが基本、なんていっていた、あれ。でもこの一流ホテルでは全部広口。時代、地域でちがうのだろうか。
 
 
 

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