パタンジャリはヨーガ.スートラの第1章で…
「ヨーガは心の働きをコントロールすることである」(1・2)
と大前提を打ち出し…
コントロールされたとき…
「見るものは自己本来の姿にとどまっている」(1・3)
と述べておられます。
自己本来の姿にとどまるとは…
身体や心に振り回されない…ということでしょうか。
見るものはプルシャ、見られるものはプラクリティ。
見られるものとは、叩けば痛いこの身体や私を悩ます揺れ動くこの心。
見るものは太陽のごとく輝き照らす存在であり、暗闇を照らす一条の月の光のような存在。
第2章では…
「感覚器官が、自分の対象と結びつかないとき、心が自己本来の姿の模写のごとくになるのが制感である」(2・54)とあります。
つまり感覚の奴隷の身分から感覚器官を心の僕(しもべ)にすることがプラティヤーハーラ(制感)…だと。
タゴール師は「人生でどんな辛酸を嘗めてもこの世で私が見てきたことはたぐいなくすばらしいもの」とおっしゃいました。
プラティヤーハーラが体得できたとき、タゴール師が言われるような心境になれるのでしょうか。
賢者の感覚器官は心をかき乱さないのですね。
3章ではヨーガの副産物が述べられます。
「身体の円満とは、美しさと、愛らしさ、卓越した力、ダイヤモンドのような強靭さである」(3・46)
美しさとは内面が輝き出るものなのだということをヨーガ.スートラで確信することができます。
第4章は私たちを照らしてくれる光の存在を知ることがどんなに価値あることなのかを再確認させてくれます。
目に見えるもの
触れるもの
聞こえるもの
は粗大なもの。
本当に大事なことは目に見えないんですね。
その第一は呼吸でしょう。
天の父さま
どんな不幸を吸っても
はく息は感謝でありますように
すべては恵みの呼吸ですから
ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子先生がお若い頃に河野進牧師さんから贈られた詩だそうです。
ホームヨーガの教えそのものです。
今年の4月期からホームヨーガのサブタイトルは…
「呼吸ひとつであなたも変わる」
これから九州に行ってきます。(荻山貴美子)