雪山童子こと田原豊道です。
わたしの名前は雅号でも何でもありません。生まれた時から田原豊道(ほうどう)です。
いきなり何を言っている?と思われているでしょうね。
でも、子どもの時から、なかなかちゃんと呼んでもらえませんでした。
「とよみち」…と。
皆が、そう呼ぶので、そのうち父親まで「とよみち」と呼んだ時はもうビックリでした。(笑)
それにしても、豊かな道とはすばらしい命名をしてくれたものです。
わたしの師範学校の頃は「修身」という時間がありました。
修身とはよく言い表していますね。
広辞苑によれば、「自分の心とおこないをおさめただすこと」とあります。
今でいうと「道徳」でしょうか。
「豊道くん、先頭に立って歩きなさい」
教師は、修身の授業の時、それだけしか言わず、藪の中を私を先頭に皆を歩かせました。
そして、その後、先頭を代えてひたすら歩かせたのです。
魯迅の「故郷」という短編小説があります。
わたしは思う。
希望というものは、もともとあるともいえないし、ないともいえないものである。それは地上の道のようなものだ。
実際地上にはもともと道はないのだ。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ(駒田信二訳)
もしかしたら教師は、これを身をもって理解させたかったのかもしれませんね。
素晴らしい教育をしたものです。
皆が歩くから道ができる…
もちろん、確かにそうですが、まず切り拓く人、師が大切であることを、この頃から、知らず知らずのうちに私は身につけていたのかもしれません。