日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

恵比寿さん

2019年08月13日 21時24分41秒 | 思うがままに
田原豊道先生は昔よく恵比寿さんと呼ばれたそうです。


夫も恵比寿眉
歯は一本も欠けていなくて、真っ白な歯がチャームポイントで、笑うと目がなくなる。(笑)

愛嬌のある顔が私好みでした。


お盆ですね。また会いに来てくれないかしら?
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人格者でも家族は別

2019年08月13日 09時37分09秒 | 思うがままに
昔のお父さんは仕事もするし、よく遊びました。それが当たり前でしたから子どもは母親と密接に繋がっていました。

私もそうでした。母は家事の他に家業の公認会計士事務所の経理をしていましたから朝から夜中まで働いていました。

父は仕事もよくしていましたが毎晩飲み歩き午前様。

忍耐強い母、働き者の母、明るい母、美人の母を私は敬愛していました。

でも私が大学生くらいになったくらいから気づきました
母は父に絶対服従が処世術になっていたことを…。

いつしかこんな結婚はしたくない、こんな女性にはなりたくない…と思いはじめました。

母には弟がいました。まるで聖人のような人でした。敬虔なクリスチャンで誰にでも尊敬されていました。

私たちの結婚に私の両親が大反対した時、私は仲介を叔父に頼みました。

何で気に入らないの?いい子じゃない!この一言で、結婚が決まったのです。

結婚後も彼を「荻ちゃん、荻ちゃん」と呼んで可愛がってくれました。

この叔父は珍しいガンで悶絶しながら亡くなりました。

神さまは不公平だな?と思いました。
叔父の最後の言葉は「死ぬのも大変!」でした。

このブログを絶対みていないはずなので暴露しますが、この叔父は恐妻家で叔母は異常なヤキモチ焼きで大変な人でした。

教会で社交ダンスを踊っただけでも機嫌が悪く、叔父は何度締め出しを食らったことでしょう。

「叔父さん、男でしょ、ガツンと言っちゃいなさいよ」とハッパをかけました。
「言ったんだよ。ウルサイ!」と。

「偉い!叔父さんよく言った。それからどうなったの?」ってきいたら、さらにひと月締め出しを食らった…と。

情けない。叔父さん、情けなさ過ぎる。

うまくいかないものですね。あの人格者に鬼嫁。
えっ、そんなことブログに書いて大丈夫?って心配されているかた。

大丈夫です。この叔母は認知症で我が娘もわからない状態ですからブログを読めるわけがありません。

教訓

どんな人格者でも家族は別人格です。素晴らしい家族に違いないなんて思ったらえらい目に合います。
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癒しのふじとチャーミー

2019年08月13日 07時18分22秒 | 思うがままに

柴犬はふじという名前です。猫はチャーミー。

私たち夫婦は、新婚から数年、不本意ながら私の実家から1分のところに住んでいました。私の両親の条件だったからです。

実家にはこのふじとチャーミーがいて、私たちはどんなにか癒されたことでしょう。

2人(2匹)とも夫、博久さんが大好きでした。実家が職場でしたから、職場では彼の机のそばにぴったりくっついていました。彼は時折、冷蔵庫からチーズを出して、手のひらで温めて食べさせていました。なぜ?と聞いたら歯にしみるからだと言っていました。

仕事が終わると二匹とも彼と一緒に我が家に帰宅。ほとんど我が家にいました。

あの頃は、ふじとチャーミーに癒されたよね。と、つい最近まで言っていました。
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