夫が亡くなる10日前のことです。
固形物を食べられなくなった夫を車椅子に乗せて病院の食堂に連れて行きました。
2人でモーニングサービスを食べました。完食ではなかったけどちゃんと食べてくれました。
最後の外食でした。
亡くなる前日、皆が集まりました。この日は落ち着いていたので、何か少しでも変わったことがあれば連絡する…と言うことで、皆さんには帰ってもらいました。
奈良からも夫の弟夫妻が、着の身着のままで駆けつけてくれました。急遽、ホテルに泊まってもらいました。
翌日早朝、私はまんじりともできなかったのでベッドをソファに戻して、夫を見つめていました。
時折乾いた唇を潤わせながら…
朝6時過ぎに異変を感じたのでナースコール。それと同時に皆に電話をしましたが、何と電波障害で繋がらないのです。
約30分ほど連絡できませんでした。
後から、夫は自分の最期は私と2人だけで過ごしたかったに違いない…と思いました。
ちょっと目を離したら最期は気づけなかったでしょう。そのくらい静かな穏やかな最期でした。
最期だけは2人きり。
それ以外は常に皆が出入りしてくれたから寂しくなかったでしょう。
皆が幸せになる爽やかな夫らしい最期でした。
夫は、私の守護神。
私を幸せにしてくれるためにこの世に生を受けたのかもしれません。
最後まで「君の幸せが俺の幸せ」と言い続けた人でした。
私は幸せだったけれど彼はどうだったのでしょうか?
佐賀で、田原先生とそんなことを話していたら、田原先生が「ご主人は、貴女と結婚し、貴女と一緒にいるだけで幸せだったのですよ」と言ってくださいました。
今、佐賀のカフェにいます。
今にも、夫から「おはよう!」という電話が来そうです。