突然、こう尋ねられて面食らってしまった。どういう経緯でこんなやりとりになったかもネタとして面白いのであるが、今回は省く。でも、
「のっけに何なんさぁ?」
皆さんはこの質問にいかなる回答を寄せられるだろうか。ふだん考えたこともなかっただけに、また、考えてなかったことにも驚くのだが…、思考が停止した。かといって、この町に生まれたことに満足であるし、現在、暮らしていることにも異存はない。肯定的にとらえている訳である。
若い人はいかがであろうか? 自我が肥大しつつあり、前向きに、というか上昇志向にともない現状には不満だらけという向きもあるかも知れない。でも、この町に産まれたことを後悔している人は少ないだろう。
自然環境とか、行政とか、地域資源だとか、情緒的に人情が…だとか、切り口によって様々な答えが出てくるだろう。もちろんウケ狙いや奇を衒うこともできるのだが…。鵜方に限ってぼくが日頃思っていることを開陳すると、こうだ。
この町の成り立ちに深い関わりがあると信じて疑わないのは、医療機関、県立の総合病院の存在である。現在は三重県立志摩病院となっているが、昔は民間の医療機関だったと聞いている。成り立ちはともかく、総合病院があるおかげでどれだけ多くの命が助かったことか。地形図を思い浮かべるとよく分かる。峠を越えて遥々運ばれるのと、最寄の位置にあるというのでは天地の開きがある。近隣の町や村から患者として、付き添いとして、見舞いとして集まってくるから、商業立地として町が成長する。さらに人口が増えることにより、病院出身の多くの優秀な医師が開業しても成り立つ市場が確立する。もちろん保健についての意識も高まる。さらには競争原理のおかげでますます地域の医療が充実していく。今、不測の事態が起こっても、深刻な事態を未然に防ぐことは可能になっている。その確率は遥かに高いのではなかろうか。少なくとも病気や事故に対して比較的安心して暮らせる町である。
空気や水に恵まれるとそのありがたさを感じないように、また、病気になってあらためて健康の大切さを噛み締めるように、ぼくは町の医療機関に対し感謝の念を抱いている。五十男を知命と呼ぶが、文字通り命の大切さを知るようになってきている。つまりオジンになったってこと、か。
あっ、そうそう、話のきっかけは、ピーター・ポール&マリーのベスト・オブP.P&Mを聴いていて、「我が祖国」について能書きをタレテいたからだ。