今日、久々に重いパソコンに出会った。普及機とはいえ、わずか一年前のノート型である。「CTRL」+「SHIFT」+「ESC」でWindows タスクマネージャを開くと、搭載メモリは256MB(物理メモリで分かる)に対し、コミットチャージの合計が280MBほど、すでにスワッピングが発生して、アクセスランプが点滅しきりである。こうなると作業が滞りがちで、効率も悪く、ストレスも溜まろうというものである。
「わずか6千円ほどの出費で(メモリが増設できて)イライラが解消しますよ」
と、アドバイスしたら、
「あら、パソコンってこんなものでしょ」。
いかにも鷹揚で、おおらかなお姫様の趣で、悠然としてみえる。思わず反省する。こういうパソコンとのつきあい方もあるのだ。ことパソコンに関して、ぼく自身、いかにせっかちで、ゆとりなく接しているかに思い至る。スローライフ派を気どりつつも、実際、余裕のなさが恥ずかしくなる。思わず、目からウロコである。
と言いつつ、
「メモリは増設した方が便利ですよ」と、自説は曲げないなぁ。
さて、『3分間待つのだぞ』のコピーは強いもので、瞬く間に流行語になった。コピー・ライターの仕事って凄いと思う。今でも、ぼくの記憶に鮮明なキャッチコピーがある。20年も前だろうか、ジーンズのビッグジョンのCMだ。峠で馬に乗ったカウボーイが町を見下ろしている。アンプラグドでエミルー・ハリスの「テネシー・ワルツ」が流れる。確か仲畑貴志さんの作品だと思う。
峠を越えると、
帰りたい町が見えた
正しく言うと、
帰れない町が見えた
帰りたい町だけど、帰れない町って…。何故、どうして? 思わず引き込まれる威力があった。勝手に想像の世界が膨らみ、いくつもストーリーが展開していくようで、それは単に己の詮索好きが昂じているだけなのだろうが、気になってしようがなくなった。単なる文字列の羅列に終わらない、深い世界である。
今日は新たに竹炭枕が手に入った。これで寝ると、ぼく自身、安眠が約束される。目の疲れが和らぐ気がするし、深い眠りが確実に得られるのだ。しかし、効能が数字で表現できるようなアイテムではないし、定規や秤で計測はできない類のものだ。官能特性といおうか、感覚的なものである。これを拡販のお手伝いをしようとキャッチコピーを考えているのだが、
「イカン、眠れなくなりそうだ」。