昨日午前9時に畳屋がやって来て、一気に畳を持って行った。床には埃やヘヤピンなどが落ちていた。シルバーのリングも落ちていたのだが、いつのものだろうか。この家の畳は、多分10年は表替えしていなかったものと思われる。
それを掃除機で片付けて、待つ事5時間半、6畳の畳が戻って来た。もの凄く早かったので、どうしたのかと聞いた所、縫うのは機械でやったそうだ。一枚あたり15分程度のようだ。むしろ調整の方が手間がかかるようだが、それでも一枚あたり20分程度だ。
へりが少し甘いような気もするが、多分芯は30年以上前の畳だ。大目に見なければいけない。床にタイベックの防滴・防風・透湿シートをキチっとはって畳を敷き直すのに1時間かかった。何でもそうだが、現場での擦り合わせの方が大変なものだ。
部屋はきれいになったのだが、すこし落ち着かない。理由はいぐさの香りがきついのだ。ここまでキツイとは思わなかった。確かに家は古いが、作りは数寄屋とか古民家のような開放的な作りではない。これが影響しているのだろう。匂いがかなりこもる。伽羅あたりの香を焚けばちょうどいいのだろうが、それも少し違う。蚊取り線香あたりでも買ってこようかなとも思う。
そう言った意味では、畳表を指定すると言う方法もあった。汚れても良い場所で使うビニールや汚れが落ちやすい加工をしたものもある。弱くて使えないが、和紙のこよりを使った表もある。これは角がキチっと来るので、飾り畳にちょうどいい。
本命は古表なのだが、さすがにリクエストできない。わざと畳表を枯らしたものだ。実際ある。匂いは自然でいい感じに仕上がる。
畳の青信仰みたいなものがあって、いぐさをどう乾燥させるのかというのが追求されて今日にあるのですが、収穫期や干し方によっては、ベージュの畳になってしまう。それをどうするのかで青砥という粉で着色していた時期もあった。やはり着色は好まれない。そこで生産技術になるのだが、どうもここが進んでしまったようだ。
そこであえて枯らした畳表となるのだが、茶室とか趣味の良い復元家屋に使われる。数寄屋もそうだ。あえて新品に見せないやり方だ。更にはい草の太いのを指定したり織をあえて荒くするとかになると、完全高級品になる。あとは持ち主があえて日にさらしたりして、更に枯らしてしまえば本物だ。
ちょっと変な話しでもある。
近所でアパートか何かが建つらしい。地鎮祭が行われるようだが、このテント、立派すぎる。テントで敷地面積の3分の一はとっていそうだ。場所柄3階建てがギリギリで、ここまでりっぱなテントはそうない。
最近セレモニーって大切だなと感じる事がある。これは震災の影響もある。震災でなんらかのイベントがある度に黙祷をしているのだが、そういったおざなりと言うか贖罪と言うかそう言った枠ではなく、キチっとした枠でないと不味いと感じている。
だがセレモニーと言うのはどうしても敷居が高い。お金もかかる。黙祷で十分だと言えば十分なのだが、場を一瞬でも一致させるセレモニーの効果は大きい。
そこを期待して出来るのは、公共事業くらいだろうか。この地主も盛岡では有数の地主なので、こういった事をするのだろう。
すべてが簡略化したのは良い事なのだが、たまにはこういったのも大切だと思う。
畳替えの理由なのだが、大家が私を重宝していると言う事なのだが、それ以外にも微妙な理由がある。
後期高齢者保険制度の問題だ。ウチの大家は年金・家賃収入がある。かなり恵まれた人だが、保険税のあるトラップがある。これ以上の収入では、病院での自己負担金額が3割になるということだ。そのたった10万程度でそうなってしまう。
何が起きるかと言えば、病院に払っていた金額が10万から30万になってしまうと言う事だ。それだったら10万設備投資に使って、事業経費に繰り込んだ方が良いと大家は判断している。
日本の税制の最大の問題なのだが、こういった年収の壁がある。例えばパートの120万の壁だ。ここからチョイで5%の所得税を払う事になる。それだけだったら良いが、年金や国民健康保険がいきなりフルで課税される。10万円増やして、実質年収が20万ダウンする。こうなったら主婦などはそれ以上働かない。150万分働かないと、実際年収は増えない。
根本的に、税率が段階的になっている事が問題なのだが、誰も手をつけない。国民層背番号に移行したら、なんとかしてくれるのだろうか。
多分しないだろう。これだけコンピューターが普及してもだ。