どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

台風通過前の夜

2013-09-16 03:04:04 | インポート
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昨日は台風由来の南風が吹き込んだが、今日は前線がはっきり出来て西側からの風が吹いた。おかげでかなり過ごしやすかったが、雨は続いていた。

今日は知り合いの塗装屋が、仙台で3ヶ月の長期出張が決まったといっていた。やはり人手不足は確かなようだ。復興のために人材がかなり不足している。だから彼らはかなり忙しい。盛岡で店舗改装をしている物件があるが、そこでは八戸の業者が来ているのだが、彼は日中弘前で仕事をして、それから盛岡に来る。盛岡に来るのは9時過ぎだ。そこから仕事をして深夜1時くらいに帰る。
八戸ー弘前は山越えでかなり厳しい。大体3時間か。弘前ー盛岡は高速で2時間か。盛岡ー八戸も高速で2時間か。もの凄く飛ばしているのだろうから、もう少しは時間がかからないと思うが、移動だけで7時間。睡眠時間は4時間だろう。
山形から日帰り出来ている業者もいる。見ている人は内装業者が多いのだが、仕事が多いのをぼやいている風もある。

その彼らのぼやきも微妙だ。地元から雇った大工が使えない、いやあれは日雇い程度だろう。そう言った声も聞こえる。
なぜそうなるのか?高齢化が大きい。今の作業に全くあっていない職人がいっぱいいると言う事だ。そして出来る職人はいまや引っ張りだこだということだ。
親方によっては、地の仕事を中心に回している所が多いが、彼に仙台の仕事が回って来たと言う事は、のっぴきならない状況なのだろう。もしかするとこれを機会によその飯を食え、と言う事かもしれない。

目出たい事だと考えよう。



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深夜になり、雨はやんだ。だがまだ台風の進路にはいる。でもなんとでもなるだろう。


311の時に買ったろうそくは、まだある。


911と311

2013-09-16 02:20:38 | インポート
先日のこえシネマでは、311に対して気持ちが切り替わりつつあるとか、当時アメリカにいてあわてて帰ったのだが帰国しても大渋滞にぶち当たったり長距離移動の手段が全く無くて大変苦労したのだが、贖罪感が残り今でも当時はどうだったのかを問い続けている人の話しなどいろいろ聞けた。内陸にいるのに被災者になってしまう不可思議や、九州に住んでいるのに贖罪感で被災者と言う例も出た。
まだ被災地では復興が進んでいないし、持たざるものと持つものの気持ちの差も広がっていると聞く。確かに盛岡でも友人や親戚が沿岸に住んでいる場合と、そうでもない人との間には距離がある。

私の場合も、沿岸に友人は何人かいるが確認がとれたのは一人。後は元々連絡先が解らなかったので、元気だと言う事にしている。逆もある。重機屋に勤めている友人なのだが、会社命令で今岩泉でテトラポットを作っている。近いとはいえ、盛岡から通える距離ではない。もうここ一年あっていない。
ささやかかもしれないが、私の周りでも様々な動きがあって、昔には戻っていない。

ただそれでも失った人よりは、心の回復は早い。だからたまに忘れる事もない訳ではない。すると罪悪感をまた感じて傷がうずく事になる。


その中で今年の9月11日は別な事を思い出していた。あの世界貿易センターに起きたテロ事件だ。ほとんどのニュースでは全く取り上げられていなかった。確かにアメリカの事件だしビン・ラディンは死んだ。我々にとって他人事であるが、アメリカでは今でも現在進行形の問題だ。アルカイダではなかったがボストンマラソン事件もあった。人種偏見の問題とも絡んだりする。中東問題にアメリカが関わり続ける限り、アメリカでは残り続ける問題だ。

二つの象徴的なビルと3000人の死者と、そして数えきれない戦死者と巻き込まれて亡くなった方と、膨大な国費と10年以上の歳月を使い果たしても解決には至っていない。


私にとって911は311から半年経った日ではない。今年はシリア問題もある。アルカイダの問題の遠因はパレスチナ問題であり、シリア問題も同根である。どこかで絡ませた記事があるかと思ったが、2件だけ見つけた。海外ニュースだ。国内は311から2年半後しかなかった。


311を忘れて911を捜した。そして311に対して罪悪感を感じながら、考え込んでしまった。海外ー日本、テロー自然災害、そう言った違いはある。だがよかれと思ってやって来たことが、すべて裏目に出てしまったのは同じかもしれない。


アメリカは自国民のために様々な事をして来た。サウジアラビアのようにイギリスから利権を取り上げて、サウジアラビアの分配を大きくした事もある。取引だ。日本との場合もにたようなものだろう。自由民権主義の拡大のために他国を恫喝するのは当たり前、政権にちょっかい出すのも当たり前。政敵に金を渡して、困らせるのも当たり前。中南米でさんざんやらかしたので、彼らはアメリカに麻薬を輸出しても恬淡としている。最近ではさすがに自国にまで被害が及ぶので、禁止の方向にはあるが。
中東では、イランの国王すげ替え、ソ連を困らせるためにアルカイダへの武器の供給、そして敵対さえしなければどんな独裁政権も認めて来た。イラクのフセインもそうだしシリアのアサドも認めて来た。もっと酷い国があったような気もするが、そことアメリカは仲がいい。自由主義を標榜しながらだ。

だがこれもアメリカ国民を守るためにやって来たことだ。アメリカ人にとっては良い事なのだ。だからアメリカ人は自分たちが世界から恨まれている事をあまり知らない。最近話しを聞かなくなったティーパーティー運動の連中なんか、逆恨みだと勘違いしているほどだ。
その矛盾の結果が、911だった。彼らの悪事はすべて自由民主主義のすばらしさを知らない国に教えるためであり、不当に苦しんでいる国民に手を差し伸べる行為だった。イランの革命は原理主義者・狂信者と一蹴された。そこにあるゆがみの本質を見ようとはしなかった。

そして自分たちがイスラエルを支持する理由も同根だと言うのに気がつかない。イエス・キリストの再臨は、イスラエルでしか起きない。そう信じているのはどこの国のファンダメンタリストなのか。



311はささやかな幸福のために積み重ねられた。明治や昭和の三陸大津波の記憶はあった。だが高度経済成長と人口の増加が、少しづつ人を油断させて来た。今まで山に近い所に住んでいた人たちが、だんだん平地に降りて来た。そしてそこが発展しだすと、開発が更に進む。人はどんどん平地に降りて来た。津波に記憶も、その中で最悪な明治大津波はそうないものだと考えるようになった。そう考えないと今住んでいる場所が危険すぎて住めない場所になる。昭和もそうそうないものだ。チリ大地震津波を警戒する街もあった。だがその危険ラインの内側に既に街が出来ていた。
行政も解っていたはずだ。そこに住むのは危険だと。だがあまりにも需要が多すぎた。少しずつ意識を緩めるたびに危険な街が出来上がっていた。
しかしリアス式海岸では、それ以外の発展の仕方はなかった。山を削ろうにも急峻すぎた。そして時代が下がって高齢化社会になると、そう言った造成地は更に好まれないし、そこに移り住む人も見込めなかった。停滞する経済と高齢化が、解決を遅らせた。


高度な科学も役に立たなかった。国際航業グループが津波シュミレーションを作っている。この中で田老町のものがある。明治三陸大津波が来たらどうなるのかだ。実はこのシュミレーションは二つあるようだが、いま捜したらきれいなバージョンしかなかった。

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YouTube: 明治29年三陸地震_津波CG 【岩手県:旧田老町田老地区】




もう一つ全体を定点で作ったものがあるはずなのだが、そこではこの画面の右側にある河川から遡上した津波が渦を巻いて街に落ちてゆくのが見える。


現実にはこうなった。


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YouTube: 岩手県被災地空撮映像-東日本大震災発生直後=海上自衛隊撮影




シュミレーションより規模が大きかったが、実はかなり再現していた。なお私が直後に検索した映像が、二つない事に気がついた。自衛隊の生映像とシュミレーション映像だ。何らかの配慮があったのだろうか。


911もそうだった。諜報機関から情報が上がっていた。警戒すべきだったのに警戒を全く怠った。当時ブッシュJr大統領は小学生の朗読を聞いていた。

もうどうしようもなかったのだ。もうすべては終わってしまったのだ。

そう考えて、また心に傷が増えるのであった。