JBプレスに「車に乗らなくなった米国人」と言う記事があった。なんとアメリカ人が車に乗らなくなっていると言うものだ。正確に言うと、乗る距離が小さくなっていると言うものだ。
オイルショックや不景気で車に乗らなくなる事もあるが、これは今までなかったと言う。ベビーブーマーの高齢化やガソリン代の高騰、不景気など様々な意見が出ているが、決定打はないらしい。
この記事でも車の維持費や、交通手段の発展なども理由に挙げられているが、やはり日米同時に起きていると言うのを考えなくてはならないだろう。
2001年からと言うのが大きい。ネット初期から起きている現象だ。仮説としては情報量がある一定以上多くなり、アクセスが容易になると、車に乗る人が減ると考えられる。
例えば旅行だが、大昔には旅行代理店の紹介や口コミ程度しか旅館情報はなかった。それが旅行雑誌やテレビで紹介されるようになった。そしてその情報量も多くなった。それでもまだ行ってみなければ解らない事がとても多かった。
情報量が少ない時代は、出かけると言う事に冒険の要素がある。失敗しても成功しても冒険は冒険だ。それなりの楽しみはある。しかしネットが広がり旅館が情報発信する時代になり、旅行雑誌も代理店が情報を取りまとめてネットで発信する時代になると、冒険の要素は無くなる。
情報を組み立てて体験するものに旅行が変わってしまう。もちろんそれも昔っからあった。だが旅館の当たり外れは、例えばネットの評価を見たりすれば解る。もちろんステマもあるが、それもよく読めばわかる。一泊二日の旅行は、精緻に組み立てられるようになっている。今の自分の趣味・し好に添って組み立てられる。逆説的に、精緻に組み立てられた、ある意味妄想に添った形にならない旅行と言うのはあり得なくなる。だから少しでも外れた場合にクレームが付きやすくなる。
旅行は冒険ではなく、スマートに処理される時代になっていると思う。スマートでない旅行はむしろ楽しくないものになっている。だからつまらないと思って尋ねた先が以外とよかった場合は、サプライズとなるわけだ。
旅行は、悪い事も良い事もサプライズなのですが…
その前に、溢れかえる情報を見てしまうと旅行した気分にもなるし、だいたいゲップが出る。大体それで満足出来る訳です。おまけに動画もネットで見れる時代ですから、行ったつもりになりやすい時代です。
ただ体験出来る情報と、ネットにある情報との差はまだまだ落差があります。それでもなぜ若者の車人気が落ちるのでしょうか。
多分車を運転しながら、ネットを楽しむ事が出来ないからです。ネットの方が精密でクールです。泥臭い車の運転よりは楽で楽しい方を選ぶのが大多数の人です。
今、ネットの方がクールと書きました。マクルーハンの「メディア論」でのクールメディアの延長と考えて頂ければ良いのですが、楽で楽しいだけではありません。SNSのようにアクティブに情報発信も出来ますし、コミュニティを作る事も出来ます。またもうそろそろとは言われていますが、拡大の余地はあります。特にちっぽけな個人から見れば、かなり大きなものです。
同じアクティブな自動車ですが、安全基準が厳しくなり車両価格が高くなり、保険や修理費・車検・燃料代などの維持費も馬鹿になりません。更に事故を起こした場合の責任も増大しています。リスクがかなり大きくなっています。収入がある程度ないと、車はかなり厳しいものです。まずコストパフォーマンスで負けているのが現在です。
自動車メーカーは各社ネット接続の車社会を提案しています。グーグルの自動自動車はその方向にあります。便利と言うよりは、ネットに接続する時間を彼らは欲しい訳です。
ちなみに、自動運転とネットを楽しむ事は、今の所法規制で難しい事になりそうです。ハンドルの両手手放しは事故の際、車の責任か人の責任か判断が出来ません。グーグルグラスのようなデバイスでも、どうなるのかは解りません。そう思っていたら「グーグル・グラス装着して運転、違反切符切られる 米カリフォルニア州」と言う記事がCNNにありました。
デバイスを利用するなら鉄道に乗れ!となりそうです。
情報化社会は、冒険を失ったかに見えます。ただパーソナルな部分ではまだいくらでも冒険の余地はあります。そこでソーシャルネットワークになってしまうと、車の出番は更に減ってしまいます。
多分そんなこんなが原因なのでしょう。安いコストの冒険があると言う事です。
交通サービスとネットが充実している国や都市ではこの傾向が強くなると思います。韓国あたりもどうなのでしょうか。そう言った意味でヨーロッパでも若者の自動車離れが報告されていれば、多分この仮説は成立するのでしょう。
もう少し考えなければ行けない事もあります。
車を運転すると言う意味です。これはバイクと同じかもしれません。
車は自分の時間を自分で使うための道具です。公共機関では、自分の時間を割かれてしまいます。思った時に旅立てる感覚が車にはあります。そして自分の運転技術によっては、早く・安く目的地にたどり着く事が出来ます。途中ドライブも楽しめるでしょう。
自分の時間と言う事では、今日本にある中高年のバイクブームがあるかもしれません。自分が割いて来た時間を取り戻すムーブメントだと考えています。車ではないのが重要です。バイクは身体と直結しているから、自由度を高く感じれます。一人ですし。
この「割かれた時間」の感覚は何なのでしょうか。会社・家族・その他でしょうか。なぜ「割かれた」のでしょうか。
自分の意志にそぐわない決断をさせられて来た、と言う事です。
さて車に戻ります。今の道路を考えれば、あまり快適とは言えません。それは走っている車を見れば解ります。車に乗って自由なはずなのに、なぜかもの凄い不自由を感じることです。そのイライラが道路の端から見えてきます。
まあそこに、新規参入のドライバーが入ったらどうなるのかと言う事は、誰もが予測出来る事で。
車社会が広がる事で、逆に車を運転する事を禁避する人が増えた、と考えられます。とりあえず車を運転しなければあのストレスから逃げられます。そこにコスト問題もあります。
私は車がないので、まあこれは仮説でしかありません。ただ車が不自由な道具になったとすれば、人気が無くなるのは確かでしょう。
PS
中高年のバイクブームに対してオープンカー、しかも4シートがまるで流行らないのは面白いことだ。2シートはよく見る。
多分なのだが、割いた時間もあるが、身体を取り戻したいと言う欲求が有るからなのではないのか。そう、自分の身体を自分でコントロールしたいという欲求。
オープンカー4シートだと、人を乗せないとかっこわるいし我がまま出来ないし。
あと派手すぎて世間から…。
なおこの運転時間の統計だが、今でもガンガン長距離を運転している人はいっぱいいる。ただそれを超えて、足としてしか車を使っていない層が増大していると言う事だろう。これは日本でも同様で、日本の軽自動車が高級化している理由の一つだ。ジョギングシューズの高級化と多分同じだ。
不況に入る前の2005年から減少が始まっている点だ。もう1つは、経済が回復基調に転じても、運転距離が一向に増えない点である。現時点で92カ月間にわたり減少を続けており、専門家は「異常事態だ」と見ている。
オイルショックや不景気で車に乗らなくなる事もあるが、これは今までなかったと言う。ベビーブーマーの高齢化やガソリン代の高騰、不景気など様々な意見が出ているが、決定打はないらしい。
米国人の運転距離が減っている大きな原因は「16歳から34歳の若い層で急速な車離れが起こっているから」だというのだ。
この年齢グループは、2001年から2009年の間に積算運転距離が23%も減っている。一方で、公共交通機関の利用率は40%も上がっている。自転車通勤は24%の上昇だ。
一昔前は、米国の若者は16歳前後になると(州により免許を取れる年齢が異なる)こぞって運転免許を取った。車に乗ることが、自由への第一歩であり、大人の証しだった。
~略~
現在では、18歳の免許所有率は半数強と、過去に比べて激減している(AAA調査)。日本で若者の車離れが叫ばれるようになって久しいが、米国でも同様の現象が起きているのだ。
この記事でも車の維持費や、交通手段の発展なども理由に挙げられているが、やはり日米同時に起きていると言うのを考えなくてはならないだろう。
2001年からと言うのが大きい。ネット初期から起きている現象だ。仮説としては情報量がある一定以上多くなり、アクセスが容易になると、車に乗る人が減ると考えられる。
例えば旅行だが、大昔には旅行代理店の紹介や口コミ程度しか旅館情報はなかった。それが旅行雑誌やテレビで紹介されるようになった。そしてその情報量も多くなった。それでもまだ行ってみなければ解らない事がとても多かった。
情報量が少ない時代は、出かけると言う事に冒険の要素がある。失敗しても成功しても冒険は冒険だ。それなりの楽しみはある。しかしネットが広がり旅館が情報発信する時代になり、旅行雑誌も代理店が情報を取りまとめてネットで発信する時代になると、冒険の要素は無くなる。
情報を組み立てて体験するものに旅行が変わってしまう。もちろんそれも昔っからあった。だが旅館の当たり外れは、例えばネットの評価を見たりすれば解る。もちろんステマもあるが、それもよく読めばわかる。一泊二日の旅行は、精緻に組み立てられるようになっている。今の自分の趣味・し好に添って組み立てられる。逆説的に、精緻に組み立てられた、ある意味妄想に添った形にならない旅行と言うのはあり得なくなる。だから少しでも外れた場合にクレームが付きやすくなる。
旅行は冒険ではなく、スマートに処理される時代になっていると思う。スマートでない旅行はむしろ楽しくないものになっている。だからつまらないと思って尋ねた先が以外とよかった場合は、サプライズとなるわけだ。
旅行は、悪い事も良い事もサプライズなのですが…
その前に、溢れかえる情報を見てしまうと旅行した気分にもなるし、だいたいゲップが出る。大体それで満足出来る訳です。おまけに動画もネットで見れる時代ですから、行ったつもりになりやすい時代です。
ただ体験出来る情報と、ネットにある情報との差はまだまだ落差があります。それでもなぜ若者の車人気が落ちるのでしょうか。
多分車を運転しながら、ネットを楽しむ事が出来ないからです。ネットの方が精密でクールです。泥臭い車の運転よりは楽で楽しい方を選ぶのが大多数の人です。
今、ネットの方がクールと書きました。マクルーハンの「メディア論」でのクールメディアの延長と考えて頂ければ良いのですが、楽で楽しいだけではありません。SNSのようにアクティブに情報発信も出来ますし、コミュニティを作る事も出来ます。またもうそろそろとは言われていますが、拡大の余地はあります。特にちっぽけな個人から見れば、かなり大きなものです。
同じアクティブな自動車ですが、安全基準が厳しくなり車両価格が高くなり、保険や修理費・車検・燃料代などの維持費も馬鹿になりません。更に事故を起こした場合の責任も増大しています。リスクがかなり大きくなっています。収入がある程度ないと、車はかなり厳しいものです。まずコストパフォーマンスで負けているのが現在です。
自動車メーカーは各社ネット接続の車社会を提案しています。グーグルの自動自動車はその方向にあります。便利と言うよりは、ネットに接続する時間を彼らは欲しい訳です。
ちなみに、自動運転とネットを楽しむ事は、今の所法規制で難しい事になりそうです。ハンドルの両手手放しは事故の際、車の責任か人の責任か判断が出来ません。グーグルグラスのようなデバイスでも、どうなるのかは解りません。そう思っていたら「グーグル・グラス装着して運転、違反切符切られる 米カリフォルニア州」と言う記事がCNNにありました。
デバイスを利用するなら鉄道に乗れ!となりそうです。
情報化社会は、冒険を失ったかに見えます。ただパーソナルな部分ではまだいくらでも冒険の余地はあります。そこでソーシャルネットワークになってしまうと、車の出番は更に減ってしまいます。
多分そんなこんなが原因なのでしょう。安いコストの冒険があると言う事です。
交通サービスとネットが充実している国や都市ではこの傾向が強くなると思います。韓国あたりもどうなのでしょうか。そう言った意味でヨーロッパでも若者の自動車離れが報告されていれば、多分この仮説は成立するのでしょう。
もう少し考えなければ行けない事もあります。
車を運転すると言う意味です。これはバイクと同じかもしれません。
車は自分の時間を自分で使うための道具です。公共機関では、自分の時間を割かれてしまいます。思った時に旅立てる感覚が車にはあります。そして自分の運転技術によっては、早く・安く目的地にたどり着く事が出来ます。途中ドライブも楽しめるでしょう。
自分の時間と言う事では、今日本にある中高年のバイクブームがあるかもしれません。自分が割いて来た時間を取り戻すムーブメントだと考えています。車ではないのが重要です。バイクは身体と直結しているから、自由度を高く感じれます。一人ですし。
この「割かれた時間」の感覚は何なのでしょうか。会社・家族・その他でしょうか。なぜ「割かれた」のでしょうか。
自分の意志にそぐわない決断をさせられて来た、と言う事です。
さて車に戻ります。今の道路を考えれば、あまり快適とは言えません。それは走っている車を見れば解ります。車に乗って自由なはずなのに、なぜかもの凄い不自由を感じることです。そのイライラが道路の端から見えてきます。
まあそこに、新規参入のドライバーが入ったらどうなるのかと言う事は、誰もが予測出来る事で。
車社会が広がる事で、逆に車を運転する事を禁避する人が増えた、と考えられます。とりあえず車を運転しなければあのストレスから逃げられます。そこにコスト問題もあります。
私は車がないので、まあこれは仮説でしかありません。ただ車が不自由な道具になったとすれば、人気が無くなるのは確かでしょう。
PS
中高年のバイクブームに対してオープンカー、しかも4シートがまるで流行らないのは面白いことだ。2シートはよく見る。
多分なのだが、割いた時間もあるが、身体を取り戻したいと言う欲求が有るからなのではないのか。そう、自分の身体を自分でコントロールしたいという欲求。
オープンカー4シートだと、人を乗せないとかっこわるいし我がまま出来ないし。
あと派手すぎて世間から…。
なおこの運転時間の統計だが、今でもガンガン長距離を運転している人はいっぱいいる。ただそれを超えて、足としてしか車を使っていない層が増大していると言う事だろう。これは日本でも同様で、日本の軽自動車が高級化している理由の一つだ。ジョギングシューズの高級化と多分同じだ。
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