どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

盛岡私的観光案内 中央通り

2011-09-24 20:04:11 | まち歩き
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今までの細い道から、梨木町の通りはいきなり太くなる。
地主がやくざにだまされて売った土地が、盛岡市に売られて道路になったという噂だが、真偽は解らない。ただ唐突感は大きい。


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ここからが中央通。盛岡のメインストリートだ。


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少しわきに入る。左にチラっと見えるのが私立岩手高校。ここには岩手中学という私立中学校がある。エリート養成を目標として、10人程度の入学者、高校の先生が教えるシステムだ。あまり知られていない。
この岩手高校だが、公立の高校が少なかった時代にあった唯一の私学だったので、卒業生に盛岡の実業者や議員が出ている。


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中央通はオフィス街なのでビルが多い。少し下がって上に上がって行くのは城下町らしい地形。


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古い写真館。窓の作りから昔の写真館がどう撮影していたのか想像出来る。


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その隣には小さな公園。ここに藩校があったようだ。武家屋敷もこの辺りにあったようだ。藩校があった碑が立っている。意味のある公園。


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さて盛岡地方裁判所の向かいにあるのが、三田商店&三田農林。この一等地にあるのだからただ者ではない。
この商店は、八幡平にあった東洋一の硫黄鉱山、松尾鉱山のダイナマイトを納品していた火薬商であった。この松尾鉱山は、雲上の楽園とも言われた福利厚生の進んだ鉱山で、その物品の納品から財なし、思想から盛岡に多大な貢献をしている、知る人ぞ知る商店だ。


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どの程度の財であったかと言えば、医療貧困地域の岩手に医学学校を作った事だ。いまの岩手医大になる。
公衆衛生と言えば、岩手出身の後藤新平が上げられるがこの大学も相当貢献している。
三田商店はこれだけではなく、先の岩手高校・岩手中学・岩手女子校を設立している。実はそれだけではないのだが、盛岡の町歩きにはかかせない。
その財はどの程度か?他人の土地を通らずに歩けたと言われている。南に宮沢家(宮沢賢治の生家)があったため花巻でとまったと言われている。農地解放のときにGHQとマトモに喧嘩して勝った地主でもある。
ただし、この三田家はまったく世の中に出てこない。これがすごい。


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中央通と言えば盛岡地方裁判所の石割桜だろう。過去の写真を持ってきた。天然記念物という制度も昔はおおらかで、珍しいからという理由で制定されたものだ。実はそばに同じ系統のピンクの桜があって、そっちがきれいという声が多い。


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中央通もこの官庁街からトチノキの並木に変わります。


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見た目はいい並木なのですが、秋にはトチノミという爆弾が落ちてきます。今の所死亡事故はないようです。でも車の屋根がへこんだ人はいるようです。



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岩手県庁と県議会です。この建物は鹿島建設が担当しました。実は鹿島建設の初代社長が盛岡出身です。なので故郷に錦を飾るというか、それだけではないのでしょうが凄まじく立派な建物を造っています。この県庁も耐震基準がどんどん厳しくなってもクリアし続けています。コンクリートの劣化も少ない驚くべき建物です。あと50年は使えそうです。
丈夫すぎて、立て替えが出来ないというよくわからないジレンマがある建物です。


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その県庁の向かいに、桜山稲荷の門前町があります。ここには盛岡ジャジャ麺発祥の白龍なんかありますが、ここは複雑なので、いつかまとめます。


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中央通は中津川を背にした盛岡市役所で終わります。右に見えるビルは岩手県警と盛岡東署です。
実はこの館向・西下台・梨木・中央通は、都市計画では一本に繋がっている道です。しかしうまく行かずにこうなっています。最近でも取り上げられていたのですが、住民の反対運動で消えてしまいました。
盛岡市の都市計画のまずさがよくわかる通りです。だからいろいろ残っているとも言えます。


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