誰もが苦手な土地があると思う。私にとって安倍館がそうだ。
18歳で盛岡に来たのだが、半年間安倍館に住んだ。まあその時の下宿に迷惑をかけたと思っている。その事が苦手意識を起こさせている。それと、なんかとても湿度が高い感じがあった。わがままな18歳に取ってこのすべてが黴びてゆくような感じは耐えられなかった。
とはいっても二つの観光スポットと、盛岡の歴史を語る上でも欠かせない。
旧国道4号線館坂交差点(5叉路である)からはじめます。岩手大学生の間で有名な肉の小泉あつあつ弁当です。唐揚げ弁当が有名です。最近近くにラーメン屋が出来ました。
実はその向かいに、老舗のラーメン屋があります。実は店の名前はよく変わるのですが、看板のデザインからオーナーは同一と思われます。「宝介」「ちゃぐちゃぐ」「豪麺」と名前が変わってきました。最近館向に新しいラーメン屋が出来たので、このエリアには4軒ラーメン屋があります。
肉の小泉の近くにお菓子問屋があります。「おかしのイチロー君」が何ともいえません。
館坂といわれるだけあって坂が続きます。左の謎の旅館「左馬」ですが30年以上続いています。改装工事をしていました。
謎の雑居ビル。法律事務所があります。
ちょっと左脇に入ってみます。新築の家が多くなりました。ただ行き止まりの道が多くって、迷いやすい道です。
ちょっとこの辺りから、館向町と西下台を見てみます。いい眺めです。
昭和23年の航空写真です。このあたりに整然と家が並んでいるのが解ります。
こんな家が並んでいたんですね。
さっきの雑居ビルの老舗。ワゴン車でラーメンの屋台もやっていた。一見閉めた店に見えるのだが、営業しています。
さて名所、一の蔵邸に向かいます。
明治40年に盛岡出身で貴族院議員・東京府知事を歴任した阿部浩が建てたもの。確か別邸です。盛岡に帰ってきたときに使った屋敷です。
玄関です。敷地面積2600坪、建物面積145坪の広大なお屋敷です。
すいません。いきなりトイレです。この辺りはさすがにかなり手を入れています。
いくつか天窓があります。ここも手が入っているように感じます。
客間は6つあります。これは東側の10畳間。ちょっと床の間の作りが不思議な事になっています。左は押し入れだったような?書院作りではないのが何ともいえません。
客間はぐるっと廊下が渡っています。これはそこにある流し。お茶会が開かれていたのでしょう。
これは西側の大広間。手前が10畳、奥が17畳半です。欄間がすごい。
こういった邸宅には必ず茶がつきものです。10畳の方に炉が切ってあります。
窓から庭を望みます。窓ガラスはいろいろあるようですが、明らかに明治時代のガラスが数多く残っています。建具が生き残っているのは実はすごい事です。
障子をあけた所の大広間。
小さな流しが多くあります。
実はこの邸宅ですが、生活していたスペースも公開しています。これはあまり無い事です。この建物は平成4年に盛岡市に譲渡されたのですが、その時点で人が住んでいなかった事。また生活スペースなので増改築が行われて、建築当時の面影が全く残っていなかったり、管理上大変なのと、歴史的に意味が無いと取り壊されたりします。その点、ほとんど建築当時に近い状態で残っているのはすごい事です。
風呂場やトイレもほとんど建築当時で残っています。これは洗面所。流しが銅で出来ています。
脱衣所。ゆとりがあります。
五右衛門風呂があります。小さいと思うでしょうが当時家付きの風呂は相当贅沢品。それにしても洗い場が広すぎる。洗濯もここでしたのでしょうか。木の風呂桶は、ガスに対応するため後代に使われたのでしょう。
全体数寄屋風に出来て、材料もすごいものばかり使っていますが、何か徹底していないところにこの建物の弱さがあります。これが建築史の上では軽く見られている原因です。正直な所別邸なのに実用バリバリといった所が、いかにも盛岡です。
台所前のいろり端。台所やお手伝いさんなどのスペースも残されています。そのあたりは公開されていないのですが、外観を見る限り改装はしていないようです。なお建物の割に台所が8畳程度しかありません。当時の習慣なのですが、お客を呼ぶ時は、仕出し屋や料理屋を呼んで客に振る舞います。なのでお客が多くても、暖め直し程度なので台所はそんなに広くないのが普通です。
生活スペースの8畳間です。ここの保存運動をしたのは確か市議会議員であった西郷さんなのですが、盛岡市はお金がないのでかなり渋ったようです。そこで奥さんがボランティアで管理人を請け負いました。ある意味第3セクター管理みたいなものです。なので管理人の趣味が強く出ています。様々な理由からこの建物は多元的な利用が求められて、公民館的な機能もつけられています。さっきからなんか飾り付けがすごい事になっていますが、丁度展示会があったようです。でもまあ一言、やり過ぎです。古い建築物好きには相当邪魔です。秋田・角館の青柳家にいった時のガッカリ感に通じます。
客間西側の廊下です。右上の10間通しの磨き杉や天井などにふんだんに秋田杉の良質なもののみが使われています。
外に出ます。物置も残っています。この点が貴重な所です。
18歳で盛岡に来たのだが、半年間安倍館に住んだ。まあその時の下宿に迷惑をかけたと思っている。その事が苦手意識を起こさせている。それと、なんかとても湿度が高い感じがあった。わがままな18歳に取ってこのすべてが黴びてゆくような感じは耐えられなかった。
とはいっても二つの観光スポットと、盛岡の歴史を語る上でも欠かせない。
旧国道4号線館坂交差点(5叉路である)からはじめます。岩手大学生の間で有名な肉の小泉あつあつ弁当です。唐揚げ弁当が有名です。最近近くにラーメン屋が出来ました。
実はその向かいに、老舗のラーメン屋があります。実は店の名前はよく変わるのですが、看板のデザインからオーナーは同一と思われます。「宝介」「ちゃぐちゃぐ」「豪麺」と名前が変わってきました。最近館向に新しいラーメン屋が出来たので、このエリアには4軒ラーメン屋があります。
肉の小泉の近くにお菓子問屋があります。「おかしのイチロー君」が何ともいえません。
館坂といわれるだけあって坂が続きます。左の謎の旅館「左馬」ですが30年以上続いています。改装工事をしていました。
謎の雑居ビル。法律事務所があります。
ちょっと左脇に入ってみます。新築の家が多くなりました。ただ行き止まりの道が多くって、迷いやすい道です。
ちょっとこの辺りから、館向町と西下台を見てみます。いい眺めです。
昭和23年の航空写真です。このあたりに整然と家が並んでいるのが解ります。
こんな家が並んでいたんですね。
さっきの雑居ビルの老舗。ワゴン車でラーメンの屋台もやっていた。一見閉めた店に見えるのだが、営業しています。
さて名所、一の蔵邸に向かいます。
明治40年に盛岡出身で貴族院議員・東京府知事を歴任した阿部浩が建てたもの。確か別邸です。盛岡に帰ってきたときに使った屋敷です。
玄関です。敷地面積2600坪、建物面積145坪の広大なお屋敷です。
すいません。いきなりトイレです。この辺りはさすがにかなり手を入れています。
いくつか天窓があります。ここも手が入っているように感じます。
客間は6つあります。これは東側の10畳間。ちょっと床の間の作りが不思議な事になっています。左は押し入れだったような?書院作りではないのが何ともいえません。
客間はぐるっと廊下が渡っています。これはそこにある流し。お茶会が開かれていたのでしょう。
これは西側の大広間。手前が10畳、奥が17畳半です。欄間がすごい。
こういった邸宅には必ず茶がつきものです。10畳の方に炉が切ってあります。
窓から庭を望みます。窓ガラスはいろいろあるようですが、明らかに明治時代のガラスが数多く残っています。建具が生き残っているのは実はすごい事です。
障子をあけた所の大広間。
小さな流しが多くあります。
実はこの邸宅ですが、生活していたスペースも公開しています。これはあまり無い事です。この建物は平成4年に盛岡市に譲渡されたのですが、その時点で人が住んでいなかった事。また生活スペースなので増改築が行われて、建築当時の面影が全く残っていなかったり、管理上大変なのと、歴史的に意味が無いと取り壊されたりします。その点、ほとんど建築当時に近い状態で残っているのはすごい事です。
風呂場やトイレもほとんど建築当時で残っています。これは洗面所。流しが銅で出来ています。
脱衣所。ゆとりがあります。
五右衛門風呂があります。小さいと思うでしょうが当時家付きの風呂は相当贅沢品。それにしても洗い場が広すぎる。洗濯もここでしたのでしょうか。木の風呂桶は、ガスに対応するため後代に使われたのでしょう。
全体数寄屋風に出来て、材料もすごいものばかり使っていますが、何か徹底していないところにこの建物の弱さがあります。これが建築史の上では軽く見られている原因です。正直な所別邸なのに実用バリバリといった所が、いかにも盛岡です。
台所前のいろり端。台所やお手伝いさんなどのスペースも残されています。そのあたりは公開されていないのですが、外観を見る限り改装はしていないようです。なお建物の割に台所が8畳程度しかありません。当時の習慣なのですが、お客を呼ぶ時は、仕出し屋や料理屋を呼んで客に振る舞います。なのでお客が多くても、暖め直し程度なので台所はそんなに広くないのが普通です。
生活スペースの8畳間です。ここの保存運動をしたのは確か市議会議員であった西郷さんなのですが、盛岡市はお金がないのでかなり渋ったようです。そこで奥さんがボランティアで管理人を請け負いました。ある意味第3セクター管理みたいなものです。なので管理人の趣味が強く出ています。様々な理由からこの建物は多元的な利用が求められて、公民館的な機能もつけられています。さっきからなんか飾り付けがすごい事になっていますが、丁度展示会があったようです。でもまあ一言、やり過ぎです。古い建築物好きには相当邪魔です。秋田・角館の青柳家にいった時のガッカリ感に通じます。
客間西側の廊下です。右上の10間通しの磨き杉や天井などにふんだんに秋田杉の良質なもののみが使われています。
外に出ます。物置も残っています。この点が貴重な所です。
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