最近マイルドヤンキーという言葉が出ている。ここでのマイルドヤンキーと言う定義は、地方でやんちゃして3Kの仕事に就いて、でも若いうちから地元の子と結婚して、地元にいるからふた親からの支援を受けて、なんかリッチに生活している層が増えている。古くからの友人も多く、同じ価値観を持っているので楽しく暮らしている、と言うものだ。
で、これは事実です。まあ盛岡でもそういったマイルドヤンキーはいっぱいいます。でももの凄く違和感があるわけです。
まずそれは、著者の博報堂の原田曜平氏にあるのかと思います。広告代理店のエリートですが、確かにマーケッティングから行くとこの層の商品の購買率が高そうに感じます。だから重要なのでしょう。
年収に匹敵するワゴン者に乗っているのが特徴ですが、明らかに親の援助があると思われます。実際3世代で移動する事が多いからです。親が子供に要求しているフシもあります。孫の入学式だのゴールデンウイークで一族で買い物とか、そう言った要求があるとしか思えません。だから大きな車が必要で、快適さも必要で、子供の見栄もあってエルグランドになるのだと観察しています。
ただそう言った彼らが本当に幸せなのかと言えば、かなりの不平不満を聞くわけです。それこそ家族の話や親の話など、不平不満はいっぱいあります。その中でどうやって行くのか、交渉ごとや仕事の事や、そう転職まで含めて悩んでいるのが実情です。少し前に金属の銅をどうやって集めるかとか、鉄板を持って来てどう高値で売りさばくのかと言う話を聞いて、生活の知恵なのだろうが違和感を感じたものでした。なお親方の所の切断機の損耗は考えていないフシがありました。まあそもそもその切断機がどこから来たものかと言う問題もあります。
マイルドヤンキーの定義から溢れた、独身マイルドヤンキーも多いです。まず子供を持つのがムリと諦めている人がいます。今の年収だったら自分では立派に子育てできないと諦めている人たちです。これは大卒だろうが何だろうがいます。
次に、マイルドからあぶれた人たちです。母子家庭です。かなり増えています。
ということで、マイルドヤンキーの定義から外れた人たちは、どうなのでしょうか。最近いわれている論調はかなりおかしい事だと思います。
もともとの定義が、人の幸せとは何かと言う所で躓きがあるように思います。地方国立大卒で東京の企業で勤めている人の方が厳しい生活になっているのかもしれません。でもマイルドヤンキーもかなり厳しい状況にあります。地方のしがらみの中で生きて行くしんどさと言うのもありますし、お金を出してくれるのはありがたいが、親がすべてに介入してくるのはとか、そもそもここから這い上がるためにはなど、実際はかなり苦労しています。
あとここが重要ですが、震災以前から3K職では若手の参入が少なく、人材が逼迫していた状態でした。それでいながら現場では労働3法を守らなくていい「一人親方」を量産してコストを軽減してきました。それが震災後は3K職の人材が更に逼迫、時給を上げても人が集まらない状況です。逆に今までイジメられたと考えていた職人達は職を選びまくるか、廃業してしまいました。廃業した人たちは、そもそもプライドが傷ついていたのに何をイマサラといった気持ちで拒否しています。その上「一人親方」に対しては、労基局が問題にしています。
なので、本当に人がいません。日当を上げようが何しようが資格を持った人がいないのですからしょうがありません。だからマイルドヤンキーは今、引っ張りだこです。
年収が上がっている、これは事実です。ただその中身はかなりきつい労働条件です。16時間労働とかはザラでしょう。
確かにマーケティングからは今目立つ層になっているかもしれません。でも昔からいたわけです。この層を注目すると言うのは、逆説的に中間層が薄くなりつつあると言うことだと考えるべきです。そして昨年まで海外富裕者層をターゲットにするべきだと言う議論もありましたが、大体失敗した例が多くなったのでしょう。
そういったことで、新たな階層を見いだしたのでしょうが、別な側面も見えていました。何を今更マイルドヤンキーなのかと言う事です。日経BPにドンピシャな記事がありました。『「マイルドヤンキー」という言葉があぶり出した日本の階層~物事が見えていないのは誰なのか』
徐々に拡がってきた格差がいよいよ臨界点を超えたということにも一因はあるとは思いますが、筆者が感じている一番の理由は情報技術の普及だと思います。
全文を読んで頂きたいのですが、この部分だけでもかなり解りやすいかと。格差があった、でも今まで解らなかった。だが今ではSNS等があるのでそれが見えるようになって来た。そして貧しい未来を受け入れて、刹那的に生きる道もあるわけで、この文章ではその諦めがある社会ってなんなんだ、といいたいのだと思います。
ネトウヨと絡めた東洋経済の記事も何とも言えません。「ヤンキーとネトウヨが日本を支配する日」
「ネトウヨ」をめぐっては、かつて「低学歴」「オタク」あるいは「童貞」といった、非リア充なペルソナが独り歩きした時期もあるが、あれは間違いだと感じた。これは、若手評論家の古谷経衡氏が独自に実施した約1000人規模の調査結果とも符合する。彼の著書『ネット右翼の逆襲』(総和社)によると、最終学歴は「四年生文系学部」出身者(中退含)が4割近くで最多となるなど、大学在学経験者が6割以上。彼らの平均年収は451万円と国税庁の民間給与調査平均(2010年は412万円)を上回ったという。
この記事では反知性主義の台頭と言う文脈で語っています。その不幸かもしれない大卒ではネット右翼が増えていると言うものです。逆に反原発運動のような極端も起きています。
そもそもヤンキーはなぜヤンキーになったのか、不平不満や社会の問題があったから、ついついそちらの方に向かったのではないのでしょうか。しかし彼らは社会を受け入れて生活する事を選択したわけです。そしてネトウヨになった人たちには大卒者が多く、生活はそこそこだったのでしょうが、大学に入ると言う選択からして社会を受け入れていていたはずの人たちです。それが今現在陰謀史観を簡単に信じるほど、知的ではなくなっている。
実はこの二つは同じ事をいっているように感じられます。「貧乏だったらどっちがマシか」そういった話だと思います。そしてその比較には知性や思考力などの観点が含まれていません。
実際幸せな人とはどうゆう人なのでしょう。多分他者から認められている人なのだと思います。マイルドヤンキー達は確かに地域社会で認められた存在です。でも彼らにはもっと認められたいと言う欲求を強く感じます。そしてネトウヨにも同じく他者からの承認を強く求めているからこその強烈な発言になっているのだと思います。で、その中から努力を重ねて会社を起こして成功するヤンキーや、苦境の中から会社の中で成功を続けられるネトウヨもいるかもしれません。でもそういった人たちは、元々思考力のある人間な事が多いです。
その意味では、私の回りには幸せなマイルドヤンキーは全くいないように感じます。
PS
ネトウヨの最大の欠点は、戦前の右翼思想の断片すら知らない事だろう。例えば大東亜共栄圏は、アジアを欧米の支配から離れ、互いに共同する事で互いに繁栄を目指すと言うものです。この考えを使って行けば、中国や韓国との対立ではなく、粘り強い交渉を続けるべきだ考えが変わると思うのですが、そう言った話は聞いた事は無く、未だ持って支那膺懲というのはどうなのかと思う。
更に追加
私よりよりいっそう私の疑問を書いた記事があった。
マイルドヤンキーには選択肢がないという話 - 価値のない話
リンクさせて頂きます。
そう私も感じていた。彼らは他者許容が低い。
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