前もっていっときますが、仕事はしていますよ。
いっぱい空き時間が出来たからブラブラしただけなのですが。
エボラ出血熱が次のフェーズに入った様です。CNNですが、「リベリア保健省によれば、現時点で備蓄されている遺体袋の数は4900。だが今後半年間に8万5000袋以上が必要になるという。(中略)今後半年間に手袋は240万箱(1箱100組入り)が必要となるが、備蓄は1万8000箱しかない。防護服は120万着が必要だが、実際には16万5000着しかない。」
WHOも、西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネで、年内に週1万人ものペースで患者が増える恐れがあるといっている。今でも接触感染しか無いとされているが、飛沫感染もあると言う古い論文が注目されたりしている。
どちらにしてもある一定以上の感染者が出れば、等比級数的に感染者が急増するパンデミックになる。そしてアフリカからの難民が更に増え、ヨーロッパが更に混乱し、世界経済が混乱し、株価暴落となり、アフリカに核弾頭を落とそうと言うバカが現れてしまい、まあどうなる事か。
とりあえす世界で基本的な医療体制とその資材を生産する必要がある。ただ真面目な製品を一気に作れる国はどこにあるのだろうか。とりあえず今の日本ではかなり苦しい。というか資本主義経済では、先の見通しの無い事はやりにくいからだ。政府援助がかなり必要だし、世界中で防護体勢を作り続ける努力が必要になる。
ただこの件では、ワクチンが急速に発展する可能性がある。理由は簡単だ。エボラウイルスは危険すぎて、治験が出来ないからだ。2重盲検になると更に問題になる。安全な薬を投与された人が問題ないのは当たり前だ。だがその人がエボラにかからないと信じてしまったら困るわけだ。だから最後にこれは違いますと言えば、嘘をついたとなってまあどうなる事か。
死んでしまう可能性のある事は絶対出来ないし、その同意がある人に嘘をつく事は出来ない。だから不可能なのだ。
だから、投与実験を進めている製薬会社は、本質的には非人道的だと思うが、わずかでも助かる可能性があるならば、正しい行為なのだろう。
岩手山は10月7日に初冠雪を迎えた。平年より6日早い。ということで初雪草の写真です。
エボラに関して言えば、私も非人道的な所がある。ワクチン実験が成功すれば、50%でもだ、もしかするとアフリカのイスラム原理主義者がいなくなるのではないのか、そう思う。悪魔の文明の勝利に終われば、イスラム原理主義の根拠は無くなるからだ。
そうアフリカは、搾取され続けたと言う思いがある。特に最近ではHIV感染の薬が作られても、アメリカやヨーロッパの製薬会社が高く売りつけて手の届かないものにしていると言う批判がある。だからパテント無視して無理矢理製造しても訴状問題に、大資本対小資本の戦いになったりする。この恨みは大きい。
この轍を踏まないようにすればいいだけなのだが、エイズワクチンだけでももの凄い金額だったのに、エボラだったらどの程度になるのか。危険回避のために想像のできない金を使って開発したワクチンなら、製薬会社は高値で売る事を、まあ問題のあった場合の積立金の意味もあるが、絶対に譲らないだろう。
そこが何とかなれば、いいのだが。ビル・ゲイツ財団でも荷が重い話だと思う。
風邪ですら人間関係に問題を起こす日本だと、どんな事になるんでしょうか。
ということで、ゆぴあすに泳ぎに出かけています。途中でシマムラによって、帰りに100円ショップのセリエによってホーマックでスピーカー台を作る木材を買って、それから仕事に向かいます。
泳ぎに行くのが一番ムダな気もします。まあダラダラとした坂を自転車で50分かけて上って、泳いでですから、バイアスロン状態ではあります。
今日のゆぴあすはとても空いていました。なのでてきとーに泳いで流水路に挑戦しましたが、これは結構いけます。特に流れに逆らって歩くのは、きついですが気分がいいです。予想以上に適切な負荷でした。
流れにそって歩くのも、楽なようでそうでもないですね。足を蹴りだす方に負荷がかかります。この感じもいいです。
とはしゃいでいたら、熊が出たらしいです。職員がバタバタしています。2頭でたと言う事。ゆぴあすのある場所は盛岡でも新興住宅地の更に北上山地の中です。まあそんな事もあるのでしょう。
そうして職員の話を聞いていたら、「あれって鹿じゃない」ということで、鹿も出た様です。
大自然に囲まれたゆぴあすです。長距離泳ぐ人には水温が高くて辛いですが、水中ウオーキングと組み合わせて行けば、いい施設だと改めて確認出来ました。あと職員がフレンドリーです。総合プールもフレンドリーと言えばそうなのですが、体育施設ならではの壁があるわけです。常連になるか、記録があるかと言う事でしょう。ゆぴあすは今日も駐車場が満杯だったのですが、ほとんどが浴場利用の様でした。
あとプールの床を直したのかどうなのか解りませんが、何か歩きやすくなっていました。何か発泡質の素材の滑りにくいものに変更されたような気がします。これはかなりいいです。
そう言えば柳美里さんの原稿料不払い問題なのだが、カメラマンの世界ではよくあることだ。枝葉で切られて行く。
多分著作権というのは文章の世界の話だと思われている所がある。そして写真は類似の映像が多い。だから曖昧に思われて、こちらも厳密に考えられないのだと思う。そして資本関係もある。訴訟を起こしたくとも、出来ない。
別カットからの切り出しで使われて、お金が入らないのはザラ。別目的で使われるのもザラ。まあそんな世界だ。一言こうなったと声をかけてもらうだけで全く別な話になるのだが、それは野暮な話のようだ。
ただアメリカのように組合があってギチギチになっているのもマズイと思う。カメラマンの最低賃金が決まっているしカット当たりの単価も決まっているし、著作権とその他利用に関しての権利も保護されている。
だけどそれでは面白い人材が出てこなくなる可能性もある。アメリカだとそこから突出した人も出てくるが、日本だとどうなるのか、いい結果にならないような気がする。
カメラマンの世界は突出した能力があるか資本があるかで大体決定している。資本がある人は大体の所人脈もある。資本も無くて能力もそこそこだったら、根性しか無いわけです。
疲れ果てたのでしょうか。
人を幸せにする事は、かなり難しい様です。
今年が最後の幸せな秋にならないようにするためには、いかなる事をどのようにすべきかも解らない、秋です。
仕事はしているんですがねえ。多分誰も信用してくれないのも、フリーの宿命です。
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