どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

明日は雪なのだろう

2016-01-22 20:19:12 | 日記

 

今日は仕事が終わってから泳ぎに行こうと思っていたのだが、バスが遅れて断念。そこで仕事を探すとあるものだ。

 

 

今日はあとは何もない。CGCグループの小エビ天そばカップめんを食べたが、結構美味しかった。

 

 

そういえば海外版CDだと思うが、バイオリンの五嶋みどり氏のCBS録音がボックスセットで出るのだが、お値段が10枚組で2700円と信じ難いほどに安い。しかもまだ現役だぞ。没後10年とかだとまだ分かるが現役でここまで安くする意図は、謎だ。

CD不況もここまでくれば、と思う。

 

 

明日は泳ぎに行かねばならない。だがどうなるのか。

 

 

明日23日は、この30年間の盛岡で雪の降らなかったことのない日だ。確かに予報では夕方から雪になるようだ。

さてそれもどうなるのだろうか。


大寒

2016-01-22 01:02:13 | 日記

 

暦に上では大寒です。ですが今日も真冬日ではありません。最低気温もー10度ではありませんし、晴れ間ものぞいたりいい1日でした。

 

 

今日は仕事です。冬の撮影というのは全くのお天気商売です。いつ日が出るのかもわかりませんし、今日は雪はないにしても天気の変わりやすいのが、冬です。ということは、移動している数分だけで天気が変わってしまって、意味がなくなってしまうこともしばし。だからポイントをじっくり狙うことになるのですが、確実にあるとは限らない。なので彷徨うことになるのですが、今日はホント、タイミングがうまく合わなかった。

 

 

風で煽られてモミの木についていた雪が、氷になってバラバラ降ってきました。

 

 

最近はまっているのが、豚肉の昆布締め。ロースの厚切りが作りやすいが、もも肉がかなりいける。豚肉を昆布で挟んで冷蔵庫で2日程度保存するだけ。昆布が肉の水分を吸って、味を染み込ませつつ、肉の味を凝縮してくれます。それでは昆布茶でもいいのかといえば、水分の吸収が重要なので、全く違うものになります。昆布は3回ほど使えます。ただ一回目は昆布風味が強く、3回目にはかなり薄くなるので、一回目はソテー、2回目以降は炒め物などのした味付けに使うというのがいいかもしれません。私は全部ソテーでいきます。調味料はほとんどいらないです。塩もなくてもいいです。冷めてもうまいのがいいとこです。

問題は昆布が高いこと。幅広で価格が比較的やすい道南産を使っていますが、55gで大体トンカツ用豚ロース3枚分ですが、価格は350円。三回使ったとしても豚ロース一枚あたり39円なので、これを高いと考えるかどうか。私は高いと思いますが、減塩メニューとして考えれば、かなりいけるのではないのかと思います。

 

 

今日は岩手大学の落語研究会のライブがあった。なぜ高座ではなくライブというのかといえば、漫才とコントが多いからなのだが、結構楽しめた。結成2年目としては驚くほどの進歩だ。まあ実はピン芸人を目指していた学生と、偉大な先輩が卒業して宙づりになったモノマネ同好会が合体してできたフシはあって、そこの蓄積は大きい。ある意味結成5年目の団体でもある。

1年生に異能としか言いようのない子がチラホラいたのが印象的だった。

フと、なぜ芸能界は上下関係に厳しいのかというのがわかったような気がする。異能しかいないからだ。全員天才の世界。そこでは実力差はほとんどない。その中では生き残ってきた人が尊敬される、そうゆう風習なのだろう。で、脱落した人間は他の社会では行きて行けない。しかし掟を守っていればなんとかなる。そんなことなのかなと思った。

とてもいい会だった。でもやっぱり「ミートテック」にはかなわない。シロートの自虐瞬間ネタにかなうお笑いは、そうそうない。


なんとなく冬らしい

2016-01-21 01:29:48 | 日記

 

東北人にとって雪がない冬というのは落ち着かないものだ。雪の量は来年度の水の問題にもなってくる。水が少ないと米も取れないわけで、最近ではあまり傾向としてはないが、不作の年の不況感は東北ならではのものだろう。経済としては農業のウエイトは年々減っている。しかし何かあるのだ。

あっという間に溶ける重たい雪でも、15センチも降ればまあそれなりになるものだ。特に昨晩降った雪は木の着雪で、花のようになった。

 

 

とは言っても日中は真冬日ではない。何か締まりのない雪景色だ。

隣の質実剛健な国立大学だが今冬、急に女子の身長が低くなった。どう見ても3センチから5センチ低い。なんでだろうと考えてゆくと、滑るのが怖くてかかとの低い靴にみんな切り替えたのだ。特にヒールブーツ率が低い。滑り止め付きのちょっと可愛い程度の、オバサンが履くのと大して変わらないもの、になってしまった。ちょっと質実剛健すぎないか。確かに、彼女らの今履いている靴の方が、確実なのだが。

そうしてみてゆくと、冬に男子の身長が伸びるのだ。これまた夏はペッタンコな靴を履いていたりするが、冬になるとティンバーランドとかのワーキングブーツを履いたり、質実剛健なところでスノトレに切り替わる。今年はソレルのブーツが一部で流行っている。これだけで3センチは身長が伸びるわけだ。

ただティンバーランドなどのワーキングブーツは、マジで新雪以外では滑りまくるぞ。ソレルも以下同文。ソールが厚くて固いので足の裏の力を使えないからだ。なのでスノトレのスパイク付きが最もいいのだが、かっこ悪いという最大の欠点がある。まあ最近はかなりいいのだが、ティンバに比べればやっぱりダサイ。なおティンバのソールのデザインは、イタリアのビブラム社のパクリなのだが、ビブラムのソールの方がまだ滑りにくい。なのでオシャレと現実を両立させたい方は、ソール張替という大技に挑んで欲しい。その上で、ティンバのバックスキンにオイルを塗って着色してしまえば、完璧オリジナルティンバになる。

ただそこまでするなら、登山靴のオサレな奴が平気で買えてしまうので、石井スポーツあたりで探してみた方がいい。

質実剛健で行くなら、あったかそうな靴ではなくて、靴の中に入れるホッカイロを使うのが最もベストだ。

 

 

雲の複雑さが、今日の天気を表している。上空は不安定なようだ。

 

 

近所の米屋は石油も扱っているのだが、ついに18リットル990円になった。近所なので買いやすいということもあって、多少の高値でも買っている。そこで聞く話だと、仕入れと販売で、販売価格の下落が結構痛いそうだ。元売りから買う契約をまとめた時の価格は、順次見直されたとしても先に仕入れた分は高値になってしまう。損切りで安く販売するかどうかが悩ましいところのようだ。しかし個人商店だから回れる範囲も限られるし、今後の需要も望まれないことから、ギリギリの価格設定も難しいだろう。

ただ私としては、何年ぶりだろう。石油18リットルが1000円以下とは。

原油1バレル25ドルが現実になってきた。もしかするとこの冬にはかなり久しぶりの800円代を見ることになるのかもしれない。

そうすると近所の米屋のようなところだと、お客さんから高値でつかまされたと苦情がくるのだな。


ひどい雪

2016-01-20 01:12:54 | 日記

 

朝起きて外を見た途端、出たくなくなった。ものすごく重い雪。いや、みぞれが積もった状態だ。しかも厚く。外に出て仕事をできるかといえば、こんな雪で仕事にはならない。

ネットのニュースを見て、それも尽きて、ふと村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を手に取ってしまった。

2時間で読み終わってしまった。またやってしまった。村上春樹はチョボチョボ暇つぶしで読まないと、一気にあっさり読み終えてしまう。730円で一週間以上チョボチョボ楽しむつもりだったのに、たった2時間で終わらせてしまった。

世の中には春樹嫌いがいる。大ファンのハルキストもいる。私は暇つぶしには丁度いい純文学(ここが重要)だと思っているので、どちらの立場も取らないが、なにか前半の衒学的な理屈っぽさが後半になればなるほど無くなって行くのがなんかな~だし、一通りの文学遍歴で「ノルウエイの森」をもう一度書き直したようなところもあるし、やっぱリストかとか、伏線回収していないしよくわからない結末だけど、ノルウエイの森以降なん年ぶりだろうかで現実世界しか書いていないというのが、いいちゃいい。

ところでなんで春樹を読むのかといえば、私に全く影響を与えない滅多にいない作家だからだ。結構今読んでいる作品と文体が似てくることがある。それが嫌で嫌でたまらない。だがある時から受け入れるようになっているが、やっぱり少し恥ずかしい。

で、やっぱりチョボチョボ読むために、三島由紀夫の「命売ります」。チョボチョボ読むのに最高だ。ちくま書房が「隠れた怪作」と言っているがその通り。まるで筒井康隆の短編小説かと思うほどくだらない。だが最後がすごいらしい。にしても、まったく三島らしい作品だ。感情移入できない世界を書こうとすると、三島は突然にクールになる。金閣寺のあの芳醇な言葉は一切ない。

だがこの本も一気に読んでしまいそうな、悪い何かがある。気をつけねば。

 

 

石油が一バレル30ドルを切った。まあそこは我が家にいい。だがその原因は、世界の政治状況がカオス化しているからだと言える。目に見えないパワーゲームがいたるところで行われており、それが錯綜している。まさかアラブの国家とイスラエルが軍事協定を結ぶとか、そこまで錯綜している。

こういった状況になると、力こそ正義となるのではないのかと。まだ世界は理性を失っていないが、この先どうなるのかわからない。

その状況で台湾の民進党が圧勝した。中国は当然まったく喜ばない。だが台湾の総選挙の1年前から中国はどこまでミスを犯してきたのか。台湾のひまわり運動をどこまで軽視していたのか、香港のようにできると思ったのかもしれない。だが一国2制度が機能不全になってゆく様子を、台湾は極めて恐れた。ここには歴史がある。清の時代に唐の残党がやってきた。ただ彼らは台湾に地盤があったからまだよかった。その残党が清に屈服して清からの行政官が来ると、ゲリラだらけになった。清は統治できなかったとしか言いようがない。もちろんよかった時もあったが期間は短い。そのお荷物の台湾を日本に割譲したら、まあ日本もひどい目にあったわけだ。なので日本はアメとムチで向かった。で、安定はできたが、法的にどう独立するのかという運動に変わる。それが国民党の残党がやってきて解放されたかと思ったら、日本の方がまだ法は守るのでマシだという、素晴らしい統治をしたせいで中国本土には不信感がある人が多い。それでも曲がりなりにやってきたから、国民党も支持者が多かったわけですが、さすがに今の香港の状況は台湾から見れば不安材料そのもの。

その上で、中国は台湾を軍事的になめきっているわけで、ここがどう影響するのか。台湾企業も今後中国の人件費が上がれば、また本国に生産拠点を戻すかもしれない。台湾は豊かな国に思えるが、人件費等ではまだそこまで豊かではない。

ロシアのやり方はいい方向ではないが、だがあれが現実的だ。その方向に行きそうなことが、アジアにもまたできてしまった。

 

 

3時過ぎに除雪車を出す。これが凍るよりはいい。だがどこまで困難なことになるのか。実際以外と手間取った。やっぱり路面がウネウネしているのでひっかっかってバックしたり、オーガをあげたりといった作業が面倒くさい。

 

 

まあそれでも雪は降ってくるのだけどね。

 

 

デビット・ボウイも亡くなった。だが彼の意外な側面がニュースになって驚いた。フィナンシャルタイムスがいいかもしれない。

ボウイはインターネットがもたらしうる根本的な変革を最初に理解したアーティストの1人になり、1998年には自らのオンライン・ミュージック・サービスを立ち上げた。」

これはファンサービスの一環だったようだが、今でも通用しそうな内容だ。音楽配信まで考えていたようなのだ。ただ当時の回線はプアーすぎてどこまで満足できるものを作れたかはわからない。

ボウイは金融においても革新的な人物だった。ロックスターとしては初めて、将来受け取るロイヤルティー(著作権使用料)を裏付けとする債券を発行し、証券化という分野のパイオニアになった(ただ、何でも完璧にこなす人はこの世にいない)。彼は、将来やって来るパワフルなトレンドを見極めてそれに乗るコツをつかんでいた。その能力は音楽や情報技術、セクシュアル・アイデンティティに加えて金融でも発揮されたのだ。」

これは確かに革命だった。なんでも紙にできるということを証明したのだ。これがきっかけで、サブプライムローンの証券化という悲劇が生まれた皮肉はある。


さて、最後に。ザハ・ハディドの国立競技場の建設プランを、日本は買い取るという交渉をしている、ようだ。著作権ごと。

恐ろしく乱暴なことを始めたものだ。隈研吾のプランがザハから訴えられる可能性、実際そうだ。内部構造が極めて似ているわけで、外見の構造も実は似ている。似てないのはメンテナンスに多大な費用のかかる樹木と、外装の木だ。誰がやっても同じようなものになると言っているが、やはり動線処理等は時間をかけて設計しないとできるものではない。それがそっくりとなれば、問題はある。

その程度がなぜ著作権なのかと言われそうだ。だがあんなムチャクチャな建築物でも実用になるという根拠を出すための、えらい努力があるわけだ。そこがノウハウでもあり創造というものなのだが、誰もわからないようだ。

そして著作権買取というのは、力関係が極端に開いている場合にしか成立しない。私なんかそれを言ったがために仕事がないようなもんですな。いや、別用途に使う場合は一旦断りを入れてくれと言っただけなのだ。買取だったとしても自分の写真がどこでどう使われているのかを把握したいだけだった。買取だったから別途請求はないにしても、断りすらもない。

もうこれだけで面倒くさいやつ、になる。肖像権にはうるさいくせに、著作権は全く無視する変なところは多分今後も変わらないだろう。

でもザハと日本は、実は対等であるというのがある。法がそうだからだ。そしてザハは世界的な名声がある。力学はない。

著作権侵害と名誉毀損ということもあり得る。

やっぱり東京オリンピックは返上して、2年連続ブラジルにしてしまえ。アテネに返してもいいかな。そちらが国際貢献にはなる。



大雪の前に

2016-01-18 01:01:43 | 日記

 

明日から4日間は大雪になりそうだ。特に明日がひどい。気象衛星の写真を見ると、この夜中も降っていてそうだが、星が見えている。だが確実に明日の朝からかなり降ると思われる。水泳も6日は間を空けたくない。なので今日のうちに泳ぎに行く。

途中岩手大学のアメフト部の学生と会う。ダイエットのために泳ぎに行くというと、怪訝な顔をする。「いやこれでも81キロから78キロまで痩せたんだよ」「えっ、結構あるんですね」

そう、最近気がついたのだが私は、ものすごく痩せているか、態度がでかいせいかとても体重があるかのように、学生には見えているようなのだ。多分55キロから95キロまで幅があるようなのだ。

あのなぁお前らどこ見てんだよと言いたくなる。「アメフトから見たら細いだろうけどね、身長183あったらこんなもんだよ」「いやしかし」「体脂肪率は15%だよ。もうこれ以上は下げたくないけどね」「ウ~ン」

信じ難いらしい。とはいえ彼らと我々の年代では、確実に骨が違う。我々の方が太い。なんのかんのと言って、歩くのが当たり前だった時代と、親が何かにつけて送り迎えをする世代の差はある。

とはいえ彼らはウエイトで一生懸命ビルトアップしている。頑張って90キロとかなっているのに、平気で80キロというのは信じ難いのだろう。

小型のブレーカーとシャベルが可愛い。

 

 

ということで太田橋を渡ったところ、今日は総合プールはお休みというのに気がついた。今からゆぴあすに変更か?少し時間が遅くなる。ウ~ンどうしよう。まずは引き返して、買い物をしてバスに乗ることにする。

最近岩村忍の「暗殺者教国 イスラム異端視の歴史」を読んだ。中世のイスラム・ニザリ教団の歴史だが、本来は元帝国の武将ブトキバを書きたかったが、あんまりにも資料がなくてニザリ中心になってしまったという本でもある。批判はかなりあって、出典が書かれていないとか、人名がこの発音でいいのかといった問題や、岩村忍氏の戦時中の経歴等、問題はあるが読み物としてはかなり面白い。フィールドワークもかなりしてきた方なので、書き方に厚みがある。だがこの本、これで読むのは4度目だろうか。読み物としての面白さと、イスラムに何かあるたびに読んでいるような気がする。

ニザリは当時も今も異端中の異端だ。そして現在スンニの異端はアルカイダでありISISだ。歴史の中に何かの決着点を探そうとして読むのだろうか。しかしやはり、面白い話でしかなかった。

ちなみにニザリはまだ存在している、アガ・ハーンで検索すると出てくる。

 

 

JR山田線・長田町の踏切が最近大きくなった。これは道路拡張のためなのだが、もしかするとこれによって盛岡市内最大の踏切ができることになるのかもしれない。盛岡市内は東北新幹線・秋田新幹線がある。これはほとんど高架だし、秋田新幹線も大きな道路と陸橋で交わらないようにできている。田沢湖線も同様だ。東北本線もほとんどが陸橋で交差している。青山の踏切は2車線なので大きくはない。可能な限り陸橋や道路が下を潜るようになっている。それでは山田線は運行本数が少ないので、踏切になるわけだが、これまた大きいところは陸橋で、小さいところは踏切で処理されている。

ただこの長田町踏切はそうもいかない。高低差を利用して、確かに陸橋にできる土地だがそれでは対費用効果が薄すぎる。なので踏切なのだろう。どう見ても4車線で、最大5車線というのは盛岡市内で最大なのではないだろうか。

さてバスに乗ってゆぴあすに行く。自転車でもいいのだが、少し時間が遅くなってしまった。帰りの気温のことを考えると、体を冷やすこともない。ただ自転車より時間がかかるという問題さえなければいいのだが。

ここには体の大きなインストラクターがいる。なのでとても子どもにもてる。いやその前に彼は人が好きなようだ。その彼に、最近のどっかの大学が出した、フリーの手の漕ぎ方はS字かI字を書くべきかという議論で、実測とコンピューターシュミレーションで、I字の方が手を回すスピードが速くなるのでそちらが早い。だがS字は手に渦が生じてそれで効率は良くなる。だから長距離には有利と言っていた話だ。彼曰く「トレンドはI字に成っています。」。ピッチコントロールはどうなるのか、つまり50メータの水路と25メーターの水路とでは掻く回数が微妙にずれる。50メータだと24回漕いだのが、25メーターだと10回とかになる。「そこはトレーニングです。でもどの方法も一概にいいとは言えません。そのうちまた変わるでしょう。」正しい答えだ。

久しぶりに対面したら痩せていた。どうしたんですかと聞くと「頑張りました!」

体育会系である。

 

 

村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が文庫本で出た。今読み始めているが、なにかサリンジャーの「フラニーとズーイ」の翻訳の影響がありそうな気がする。ただ今までの小説より、直接的な気もする。

まだ読み始めたばかりだ。

明日はどれくらい雪が降るのだろうか。