朝起きて外を見た途端、出たくなくなった。ものすごく重い雪。いや、みぞれが積もった状態だ。しかも厚く。外に出て仕事をできるかといえば、こんな雪で仕事にはならない。
ネットのニュースを見て、それも尽きて、ふと村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を手に取ってしまった。
2時間で読み終わってしまった。またやってしまった。村上春樹はチョボチョボ暇つぶしで読まないと、一気にあっさり読み終えてしまう。730円で一週間以上チョボチョボ楽しむつもりだったのに、たった2時間で終わらせてしまった。
世の中には春樹嫌いがいる。大ファンのハルキストもいる。私は暇つぶしには丁度いい純文学(ここが重要)だと思っているので、どちらの立場も取らないが、なにか前半の衒学的な理屈っぽさが後半になればなるほど無くなって行くのがなんかな~だし、一通りの文学遍歴で「ノルウエイの森」をもう一度書き直したようなところもあるし、やっぱリストかとか、伏線回収していないしよくわからない結末だけど、ノルウエイの森以降なん年ぶりだろうかで現実世界しか書いていないというのが、いいちゃいい。
ところでなんで春樹を読むのかといえば、私に全く影響を与えない滅多にいない作家だからだ。結構今読んでいる作品と文体が似てくることがある。それが嫌で嫌でたまらない。だがある時から受け入れるようになっているが、やっぱり少し恥ずかしい。
で、やっぱりチョボチョボ読むために、三島由紀夫の「命売ります」。チョボチョボ読むのに最高だ。ちくま書房が「隠れた怪作」と言っているがその通り。まるで筒井康隆の短編小説かと思うほどくだらない。だが最後がすごいらしい。にしても、まったく三島らしい作品だ。感情移入できない世界を書こうとすると、三島は突然にクールになる。金閣寺のあの芳醇な言葉は一切ない。
だがこの本も一気に読んでしまいそうな、悪い何かがある。気をつけねば。
石油が一バレル30ドルを切った。まあそこは我が家にいい。だがその原因は、世界の政治状況がカオス化しているからだと言える。目に見えないパワーゲームがいたるところで行われており、それが錯綜している。まさかアラブの国家とイスラエルが軍事協定を結ぶとか、そこまで錯綜している。
こういった状況になると、力こそ正義となるのではないのかと。まだ世界は理性を失っていないが、この先どうなるのかわからない。
その状況で台湾の民進党が圧勝した。中国は当然まったく喜ばない。だが台湾の総選挙の1年前から中国はどこまでミスを犯してきたのか。台湾のひまわり運動をどこまで軽視していたのか、香港のようにできると思ったのかもしれない。だが一国2制度が機能不全になってゆく様子を、台湾は極めて恐れた。ここには歴史がある。清の時代に唐の残党がやってきた。ただ彼らは台湾に地盤があったからまだよかった。その残党が清に屈服して清からの行政官が来ると、ゲリラだらけになった。清は統治できなかったとしか言いようがない。もちろんよかった時もあったが期間は短い。そのお荷物の台湾を日本に割譲したら、まあ日本もひどい目にあったわけだ。なので日本はアメとムチで向かった。で、安定はできたが、法的にどう独立するのかという運動に変わる。それが国民党の残党がやってきて解放されたかと思ったら、日本の方がまだ法は守るのでマシだという、素晴らしい統治をしたせいで中国本土には不信感がある人が多い。それでも曲がりなりにやってきたから、国民党も支持者が多かったわけですが、さすがに今の香港の状況は台湾から見れば不安材料そのもの。
その上で、中国は台湾を軍事的になめきっているわけで、ここがどう影響するのか。台湾企業も今後中国の人件費が上がれば、また本国に生産拠点を戻すかもしれない。台湾は豊かな国に思えるが、人件費等ではまだそこまで豊かではない。
ロシアのやり方はいい方向ではないが、だがあれが現実的だ。その方向に行きそうなことが、アジアにもまたできてしまった。
3時過ぎに除雪車を出す。これが凍るよりはいい。だがどこまで困難なことになるのか。実際以外と手間取った。やっぱり路面がウネウネしているのでひっかっかってバックしたり、オーガをあげたりといった作業が面倒くさい。
まあそれでも雪は降ってくるのだけどね。
デビット・ボウイも亡くなった。だが彼の意外な側面がニュースになって驚いた。フィナンシャルタイムスがいいかもしれない。
「ボウイはインターネットがもたらしうる根本的な変革を最初に理解したアーティストの1人になり、1998年には自らのオンライン・ミュージック・サービスを立ち上げた。」
これはファンサービスの一環だったようだが、今でも通用しそうな内容だ。音楽配信まで考えていたようなのだ。ただ当時の回線はプアーすぎてどこまで満足できるものを作れたかはわからない。
「ボウイは金融においても革新的な人物だった。ロックスターとしては初めて、将来受け取るロイヤルティー(著作権使用料)を裏付けとする債券を発行し、証券化という分野のパイオニアになった(ただ、何でも完璧にこなす人はこの世にいない)。彼は、将来やって来るパワフルなトレンドを見極めてそれに乗るコツをつかんでいた。その能力は音楽や情報技術、セクシュアル・アイデンティティに加えて金融でも発揮されたのだ。」
これは確かに革命だった。なんでも紙にできるということを証明したのだ。これがきっかけで、サブプライムローンの証券化という悲劇が生まれた皮肉はある。
さて、最後に。ザハ・ハディドの国立競技場の建設プランを、日本は買い取るという交渉をしている、ようだ。著作権ごと。
恐ろしく乱暴なことを始めたものだ。隈研吾のプランがザハから訴えられる可能性、実際そうだ。内部構造が極めて似ているわけで、外見の構造も実は似ている。似てないのはメンテナンスに多大な費用のかかる樹木と、外装の木だ。誰がやっても同じようなものになると言っているが、やはり動線処理等は時間をかけて設計しないとできるものではない。それがそっくりとなれば、問題はある。
その程度がなぜ著作権なのかと言われそうだ。だがあんなムチャクチャな建築物でも実用になるという根拠を出すための、えらい努力があるわけだ。そこがノウハウでもあり創造というものなのだが、誰もわからないようだ。
そして著作権買取というのは、力関係が極端に開いている場合にしか成立しない。私なんかそれを言ったがために仕事がないようなもんですな。いや、別用途に使う場合は一旦断りを入れてくれと言っただけなのだ。買取だったとしても自分の写真がどこでどう使われているのかを把握したいだけだった。買取だったから別途請求はないにしても、断りすらもない。
もうこれだけで面倒くさいやつ、になる。肖像権にはうるさいくせに、著作権は全く無視する変なところは多分今後も変わらないだろう。
でもザハと日本は、実は対等であるというのがある。法がそうだからだ。そしてザハは世界的な名声がある。力学はない。
著作権侵害と名誉毀損ということもあり得る。
やっぱり東京オリンピックは返上して、2年連続ブラジルにしてしまえ。アテネに返してもいいかな。そちらが国際貢献にはなる。