◆今月31日の「市原市生涯学習フェスティバル」が近くなり、練習にも真剣さが増してきました。何を隠そう、私は、「舞台」に弱いのです。「あがり性」です。若い頃にはそうでもなかったのですが、バイオリンを弾くときは、顕著に現れます。これは、多分、自分の技量に自信が持てないからだと思っています。プロは、「あがらない」でしょうか。いえ、プロもあがります。先日、テレビでみたバイオリニストは、ソロ演奏の際、緊張のため、弓が震えていました。画面を通じてはっきりと分かったのです。しかし、さすがプロ、立派に演奏を終えました。震えっぱなしで終わってしまう私とは違います。
◆一昔前、「プロとアマの技量の差が一番大きいのは、将棋と相撲だ」と言われていたことがありました。プロ棋士の「読み」は凄いものがあります。「一目(ひとめ)100手、深く読めば1,000手」と豪語する棋士もいます。初手から始めて、平均120手程度で終ってしまう競技で、大げさではないか、と私も思うのですが、「読み」というのは、直線的ではなく、枝分かれした派生的な手数も入りますので、あながち誇張とも言えないのかもしれません。
◆新聞などに、プロ棋士の棋譜が掲載され、投了(敗北宣言)場面の図を見ることもできます。この、プロ棋士が投了した勝負決着の場面から、我々同じ技量の者が勝負を再開してみて、負けた棋士の側をもった方が勝ってしまうということがしばしば起こります。これは、棋士は、大抵、自分の王様が取られるまでやらず、「勝ちがない」と分かった場面で、潔く、投了をしてしまうため、終局の分かりやすい図にもかかわらず、アマには難解な場面である場合もあるからです。しかし、逆もあります。ある棋士は、終盤、自分に勝ち目はなく、先に自分の王様が取られてしまうと観念して、投了しましたが、終局後、対局者同士で検討した結果、その場面から、自分の王様には詰み(つみ-王様が取られてしまうこと)がなく、逆に、相手の王様に即詰みがあることが分かりました。つまり、その棋士は、自分が勝っているにも関わらず、「負けました」と宣言してしまったのです。
◆現在、どの分野でも、プロとアマとの差は縮まってきたように思いますが、プロとアマの本質的な違いはどこにあるのでしょう。このことについては、また機会があれば、触れたいと思います。
◆さて、我々の31日の演奏曲目が決まりました。「春の歌メドレー」「ドナウ川のさざ波」「OLE GUAPA」の3曲です。「震えたっていいじゃないか。我々はアマ中のアマだ」と最後に負け惜しみを言っておきましょう。……でも、精一杯頑張りましょう。
(2013.3.14 菅野)