新宿末広亭に行くために、電車に揺られた。
体格のいいインテリ風の30代と思える者が、車内で座って喋る。
ワンセンテンスをことばにし、テロ、ハマス、爆弾、警察、事件、精神病院等々 不吉なことばが耳にとどく。見た目通りインテリなのか、新しい事件らしい話題を 適度な間をはさみながらゆっくりと話をつづける。だが、内容は当たっているようで、微妙に意味不明。狂っているのか、病なのか?
車内は空いており、座った客は横目で見たり、目をつむるが、座った後に気づいても離れる者はいない。
不気味。
ただ、当人は、喋った後にため息をつく。それも深いため息だから意識しているようにも思えたりする。
高座では喋らなくてはならぬ噺家がいて、聞き手がなくても一方的に喋る人がいる。時と場所を選べば、笑いの種になるかもしれない。
「名人」の掛け声のかかったトリの柳家小三治が、出囃子についてひとくさり。こんなマクラだ。
「前の席で林家正楽の紙切りの最中に太鼓の打ち方が変わったことから、打ち手が代わったことの見分け方をはじめた。たまたまそのような場面に出くわしたのを噺の枕にしたのだろう。
「出囃子も寄席のたのしみのひとつになる。出囃子は、三味線を専門家が演るが、鉦や太鼓だけは前座が打つ役割りだ。というより修行のひとつになっていて、噺家の心得として務めなければならない。プロの噺家になる前だから、皆んな下手くそ。
前の席では少し難しいテンポの打ち方なのが出来てなく、見てられなくなった春風亭一朝師匠が代わったと楽屋話を披露。なので、心得があれば聴くと打ち手が代わったことが理解できる。
話芸の本筋とは違うので、この修行を端折る師匠も現れるが、やはり話芸に役立っているのと思われる。寄席ができて以来、代々そのようにやらされてきたから、噺家にとっては真打になるための登竜門であると思える。」
いままで幾度か小三治の噺を聴いたが、一度として同じ噺を聴いたことがない。
ひとつ芸を続けるのも芸で、大抵の噺家は同じ噺をいつも繰り返す。中には最近の客は落語を理解しないからと古典を演じないと公言する噺家もいたりする。現代人がますます理解できなくなることを思えば演るべきであろう。
たしかに、時代背景や仕草とか言葉づかいから風習も違っているので、そんな裏事情を現代風に脚色するとか、さりげなく注釈を加えてみるとかするのも面白いと思ったりする。
正月興行をたっぷり聴いて笑ってきた。(正月興行は、今日まで)
体格のいいインテリ風の30代と思える者が、車内で座って喋る。
ワンセンテンスをことばにし、テロ、ハマス、爆弾、警察、事件、精神病院等々 不吉なことばが耳にとどく。見た目通りインテリなのか、新しい事件らしい話題を 適度な間をはさみながらゆっくりと話をつづける。だが、内容は当たっているようで、微妙に意味不明。狂っているのか、病なのか?
車内は空いており、座った客は横目で見たり、目をつむるが、座った後に気づいても離れる者はいない。
不気味。
ただ、当人は、喋った後にため息をつく。それも深いため息だから意識しているようにも思えたりする。
高座では喋らなくてはならぬ噺家がいて、聞き手がなくても一方的に喋る人がいる。時と場所を選べば、笑いの種になるかもしれない。
「名人」の掛け声のかかったトリの柳家小三治が、出囃子についてひとくさり。こんなマクラだ。
「前の席で林家正楽の紙切りの最中に太鼓の打ち方が変わったことから、打ち手が代わったことの見分け方をはじめた。たまたまそのような場面に出くわしたのを噺の枕にしたのだろう。
「出囃子も寄席のたのしみのひとつになる。出囃子は、三味線を専門家が演るが、鉦や太鼓だけは前座が打つ役割りだ。というより修行のひとつになっていて、噺家の心得として務めなければならない。プロの噺家になる前だから、皆んな下手くそ。
前の席では少し難しいテンポの打ち方なのが出来てなく、見てられなくなった春風亭一朝師匠が代わったと楽屋話を披露。なので、心得があれば聴くと打ち手が代わったことが理解できる。
話芸の本筋とは違うので、この修行を端折る師匠も現れるが、やはり話芸に役立っているのと思われる。寄席ができて以来、代々そのようにやらされてきたから、噺家にとっては真打になるための登竜門であると思える。」
いままで幾度か小三治の噺を聴いたが、一度として同じ噺を聴いたことがない。
ひとつ芸を続けるのも芸で、大抵の噺家は同じ噺をいつも繰り返す。中には最近の客は落語を理解しないからと古典を演じないと公言する噺家もいたりする。現代人がますます理解できなくなることを思えば演るべきであろう。
たしかに、時代背景や仕草とか言葉づかいから風習も違っているので、そんな裏事情を現代風に脚色するとか、さりげなく注釈を加えてみるとかするのも面白いと思ったりする。
正月興行をたっぷり聴いて笑ってきた。(正月興行は、今日まで)
一度は見てみたいな・・・
どのような目的でしゃべっているのか知りませんが、迷惑になることがありますよね。
しかし、十数年前には、会社の新人研修の一環として、敢えて人前でしゃべらしたり、道路のゴミ拾いなどをさせたりしている会社がニュースで取り上げられたことがありました。
恥ずかしさを克服する手段としての行為でしょうが、場所をわきまえることも必要でしょうね。
私も学生時代、一時期浪曲・落語にハマった時期がありました。
小三治さんの落語はまだお若い時代の時しか聞いておりませんが、好きな落語家さんです。
記事中でお囃子の話題が出ていましたが、
雅楽の演奏でも、太鼓、鉦鼓、鞨鼓の打ち物があります。
曖昧と云う言葉をよく耳にされる機会があると思いますが、ほとんどの皆さんがこの言葉の意味を
誤解した解釈をされて見える様です。
曖昧とは何とも言えぬ 間合い を意味しています。
この曖昧さが、雅楽の演奏の真骨頂とも言えます。
いつも的を得たコメントに感謝!!
落語は、ん十年前鈴本で聞いたのが最後です。
新潟じゃ聞けないもん。
古典を現代的にアレンジしておもしろく伝えていっていただくともっと人気もでるし、古典も守れるしいいですよね♪
コメント一番槍に拍手 !
誰も「よせ」と止めませんから、これからも期待します。m(__)m
寄席も、たまには好いですよ^^
(ハイジ) さん へ
池袋演芸場、新宿末広亭、上野鈴本演芸場に寄ってますね。
一日、笑いにつつまれるのも好いです。
(らいちゃん) へ
’時代’の”寵児”も、 ’次第’に”凋落”するのですね。
早朝に、池の麓を通ると、霧がでて雲のたなびく姿が竜のように見えることがあります。
「竜」の「理由」づけ も面白いです。もっとも、竜の尻尾は白でなく金色ですが・・・。
研修の一環とはあり得ます。
お坊さんの姿をして托鉢しながら京都を目指すという研修も、恥ずかしさを克服する趣旨だとして
受けた友がいました。
このご時世には不適切な行といえます。
(雅楽) さん へ
むかし「ミクロの決死圏」という映画がありました。
医療団をミクロ化して体内に送り込み、血管を通って患部にたどり着き手術する筋ですが、脳内は閃き
が光になって走るのも印象的でした。
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/FANTASTIC%20VOYAGE.htm
楽譜通りに唄うと一般と同じですが、プロの歌手は若干ずれて歌うと個性が発揮できるらしいですね。先日、テレビでそれぞれの持ち歌をカラオケ採点すると負ける例も散見しました。
(鷲谷芝嵐) さん へ
雀は、餌が少なくなって減ったと報道していましたが、全国的な傾向のようですね。
夏が「涼め」だと「雀も」増えるかなぁ。
ぶつぶつ不吉な言葉をしゃべられると気色悪いです。
もし、タモリが乗り合わせていたら、話しかけてひとつの洒落に仕立てるのかと思ったりしました。
その場合、有名人であれば喋る人の反応も笑いに昇華させそうながら、相手が一般人であると展開は
怖いものを予感させます。
(ぼたん) さん へ
湯島天神は、受験シーズンなので絵馬があふれていると思います。
え~ま~、それもあるし、梅がそろそろ咲き始めるころでしょうか。
うめ~洒落が思い浮かびませんが、梅でにぎわうころは猿回しがでたり露店がでたり雰囲気が好いですね。
(イヴォンヌ) さん へ
自力本願ですね。他力本願をあてにしないで、自らを律しながら高目を目指すのは尊い気がします。
ところが、宗教では他力本願をすすめます。
自分の力だけで悟れると思うなという戒めなのでしょうが、仏さまという絶対善を信じなさいとすすめます。
浄土真宗の教えですが、自力本願ならば一握りの修行に耐えた者だけが救われ、多くの自堕落な者は地獄
に堕ちることになります。仏さまはあまたの人民を救うのだから、波阿弥陀仏と称えさえすれば見捨てる
ことなくあまねく者を救う。言い当てていないとおもいますが、そんなイメージです。m(__)m
iina宅は、浄土宗ですが、日本人の多くがそうであるように、クリスマスを祝い、初詣もします。
演目でした。
マクラは、浅草の奥山での見世物小屋を取り上げてましたが、内容がまったくちがってました。
さらには、マクラから本題には気づかぬほどすんなりとすすみますから、さすがです。