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織田信長は、上杉謙信や武田信玄を恐れており、謙信に「洛中洛外図屏風」を贈り、それが米沢藩上杉家に伝わり残っている。
上杉博物館に展示されているのを見たが、桃山時代を代表する狩野永徳(かのうえいとく)の画で、京の都を一望し、洛中(市中)と洛外(郊外)の四季と、そこに暮らす人々の生活風俗を描き込んでおり、国宝になっている。
館内のスクリーンには、実際に屏風に描かれた人物が動き、暮らしぶりを見ることができる。
「のぶながくん」は、愛知県豊明市のキャラクター。
ことしは、「名古屋も清須も四百年」なのだとか。
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信長の気持ち、解るような気がします。
私がその立場にいても同じようなことをしたと思いますね。
人間の独占欲は動物の縄張り争いの本能が高じたものでしょうか。
その反面、文化財や美術品を愛で大事にする 他の動物から見れば不思議な生き物でしょうね。
えっ、トイザラス・・・ハハ~ン。
みんなに好かれ天下をとったことでしょう。
輿に乗った謙信の姿も描かれてあるとのことで必死で探しました(笑)
「のぶながくん」は、愛知県豊明市のキャラクターですか。
私のとなり町、高槻には子孫のひょうきんな織田信成さんがいます。
おめでとうございます
えてして人物評は、そのようなものですね。
「相手に描く印象は、鏡の反射を見ている」と若いころに受けた講習が
強烈に残っています。
相手は何も語っていないのに、自身が自分の頭の中で描いているものこそ
自分そのものという解釈だそうです。
信長は、強い者に対する恐れも人一倍強かったように思われます。また、
信長軍団は、戦いが弱かったので勝つために鉄砲を導入したとききます。
(おくだっち) さん へ
「野」球に行って「野」の花を愛でるとは、巧い。
というより、余裕ですね。
しかし、野の草を眺めやる気と、たくさんな草に興味を抱いた気持ちは何気なくていながら優しい気持ちが沸き起こったように思えました。
今の不動産の所有も元は野に放たれた持ち主などいなかったのに、どうしたことでしょう?
強いものの子孫が時代の変転を得て、こんにちがあるのですね。
(鷲谷芝嵐) さん へ
>タコの足は、自分で食べた場合は再生しませんが、襲われた足を失った場合は再生する・・・
不思議ですね?
タコもイカも大好きなiinaでした。
そして、「のぶながくん」は、愛知県豊明市のキャラクターでした。
(六五六) さん へ
信長くんが、自分のキャラクターを広報に使ったなら随分と戦国の時代が
いまと変わったものになっていたかも知れませんね。
(楽母) さん へ
一日に一度はウォーキングというか歩くことを心がけています。
もっとも最近は飲み歩きの方で、ノミニュケーションが盛んではあります。
蹴上の真上に会社の厚生寮があったことで、京を見渡すロケーションもよく、
公私に利用したものです。蹴上浄水場もその一角を占めていました。でも、
今は老人施設になっているとか・・・。
上杉博物館所蔵「洛中洛外図屏風」の注文主は足利義輝だったのが、義輝死後の
1565年(永禄8年)9月に完成、その後信長が入手し、1574年に上杉謙信に贈った
ものだそうです。この画中にも謙信が描かれていたのも奇縁でした。
この図屏風も数奇な運命をたどっています。
(銭無のとっつあん) へ
乙訓寺は、テレビ「歴史街道」でよく取材されていましたが、残念ながら
観光していません。
しかし、奈良の長谷寺には牡丹の花を見物しました。いい雰囲気だったのを
記憶しています。
そういえば、藤森神社も見残しました。m(__)m
別の「洛中洛外図屏風」を、何処であったか、桃山城内でだったか?京を雲の上
から俯瞰した図の構想は好きです。
フィギュアスケート織田信成は、秀吉のようなイメージを抱きます。m(__)m
光秀を討った豊臣秀吉は、明智サイドから見れば憎い相手です。
しかし、主人殺しり汚名は歴史からは消えません。
とは申せ、秀吉も織田家を乗っ取り、家康も豊臣家を奪い掠めています。
やはり、歴史の勝者が屁理屈を駆使して正統さを残すもののようです。
iinaとしては、光秀の主筋に当たっていた足利義昭陰謀説に傾きます。義昭も、
最後は秀吉の御伽衆に加えられ61歳で天寿をまっとうしました。
のぶながくんは、愛嬌があって可愛いです。
本当の信長は敬遠したいです。m(__)m