節分の日に西新井大師で「だるま供養」が行われる。
1年間、神棚に座って家内安全を守り、おつとめを果たした去年のだるま、願いが叶って両目が入った張子のだるまなど、十数万個を集めて「お焚き上げ」を行う。
西新井大師は約1100年前、弘法大師がこの土地に流行った疫病を、祈祷によってしずめたことがご縁になっている。
節分の豆まきは、午後から本堂前の仮設舞台で行われる。 山伏のほら貝がひびき、読経のうちに火がつけられると、みるみるうちに燃え広がり、境内の広場いっぱい、煙と炎で包まれる。
余談ながら、
境内の「塩地蔵」はいぼ取りに霊験ありと伝えられ、地蔵さまにまぶされた塩を持ち帰りこどもの手のいぼに塗ったら、正しく取れました。お礼参りには、塩を奉納するのだけど未だ果たしてないのが心残り。
1年間、神棚に座って家内安全を守り、おつとめを果たした去年のだるま、願いが叶って両目が入った張子のだるまなど、十数万個を集めて「お焚き上げ」を行う。
西新井大師は約1100年前、弘法大師がこの土地に流行った疫病を、祈祷によってしずめたことがご縁になっている。
節分の豆まきは、午後から本堂前の仮設舞台で行われる。 山伏のほら貝がひびき、読経のうちに火がつけられると、みるみるうちに燃え広がり、境内の広場いっぱい、煙と炎で包まれる。
余談ながら、
境内の「塩地蔵」はいぼ取りに霊験ありと伝えられ、地蔵さまにまぶされた塩を持ち帰りこどもの手のいぼに塗ったら、正しく取れました。お礼参りには、塩を奉納するのだけど未だ果たしてないのが心残り。
西新井の由来 | 弘法大師が悪病の蔓延に苦しむ村人たちを救おうと十一面観世音像を彫って地中に埋め21日間祈願したところたちまち悪疫が退散した。後に大師の徳を慕う村人が大師堂を立てて観音像をお祀りしようと掘り出したところ、その穴から清水が噴き出し、当時井戸の位置が大師堂の西側に当たったのでこの地が「西新井」と通称され、大師堂は「西新井のお大師様」として広く知れ渡りやがて地名となった。 |
足立の地名 | その昔、海辺に接していた低湿地帯の一部で、 湿原や荒地だったと推定されており、足立という地名の 由来は、あたりに葦がたくさん生えていて「葦立ち」 といったのが、やがて「足立」になったという。 |
先の衆院選挙で両目がはいった達磨さんもこの中にいらっしゃるんでしょう。
さて春の参院選はいかばかりか^^
トラックバックにより訪問させていただきました。
初詣だけではなく、西新井大師のだるま供養も有名なのですね。
我が家では毎年、初詣へ西新井大師へ行くのですが
今年はお正月三ヶ日の間に行けず、1月末に約1ヶ月遅れで行って参りました。
立春過ぎぐらいまでは、混雑するようですね。
ご迷惑でなければ、また機会があったら訪問させていただきます。
【だっぺ天国】
http://blog.goo.ne.jp/nande_nande_okusama/
管理人:こやっぺ
加古川に葬式で行ったことがあります。
十数年前で季節さえ忘れてしまいました。
結婚して三十数年経っていれば、仲が良い証明になります。はやく達磨に両目をつけてあげてください。
(銭無のとっつあん) へ
達磨の「お焚き上げ」は、関東でも珍しい行事です。
写真は団扇でしたか、うちはでかい煎餅かと思いました。(^^ゞ
これを食べたら、お腹いっぱいになって、もう大変です。
「鬼」は、語呂から「お荷」となり商売につながる良いものとは、
前向きな解釈でした。メモメモ
十数万個の達磨とは、盛大ですね。
とっつあんは西国三十三札所総持寺で「柴灯護摩」「火渡り行」を見物してきました。
祈願することは家内と決めるということだったのですが、「いつまでも仲良く」としたので、三十数年経った今も片目のままです。