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必ずコメントに参ります by iina

江の島の神社

2013年01月15日 | 神奈川圏
江の島の江島神社は、提灯を飾ってお正月モード。

児玉神社(こだまじんじゃ)入口を島内で何度も通ったが詣でたことがないので、寄ってみた。
この神社は、日露戦争の満州軍総参謀長として勇名を馳せた児玉源太郎を祀っていた。日露戦争最大の激戦地のひとつ「二百三高地」旅順要塞攻略の陣頭指揮を執り、日本を勝利に導いたことから「勝運の神」とされる。
旅順要塞を乃木希典将軍が攻めたが落とせず、児玉が指揮権を取り上げ落とした。しかし、崩落の栄誉を乃木に譲った英雄。
詩的能力に優れた乃木将軍は、百三高地の「203」を「爾霊山(にれいさん)」とあて字した。

狛犬は、口の中の玉がまわるので回してみた。一つの岩をどのように削ったのだろうか。


←江の島の入口

トンビが、食べ物を狙って飛び降りてくるのでご用心を・・・。






陽気がよかったので、江ノ島から藤沢まで歩いてみた。1時間ほどを見込んだが、40分ほどで着いた。車で通る度に気になっていた"のどかな雰囲気"のある参道の神社に、寄り道した。諏訪神社だった。

諏訪神社は全国に10000社近くあるとされるが、上社・下社を備えているのは信濃国諏訪の信濃国一之宮の諏訪大社とこの片瀬諏訪神社のみといわれている。

*交通機関の駅名などでは「江ノ島」と表記することも多いが、住居表示・公文書等で使われる公称地名は「江の島」と表記する。古くは江島神社に代表されるように「江島」と表記されていたこともある。

波が砕ける先に富士山をとらえた写真を狙ったが、ことしは昨日と次の程度しか撮れなかった。
去年は満ち潮で勢いがあったが、ことしは逆で引き潮だったことによると思われる。半月後に出直したい。



 なお、
 「しゃもじ」が奉納されたり参道の土産物になったのは、その形が、弁財天が持っている楽器「琵琶」に似ているからだとか・・・。








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11 コメント

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203高地 (らいちゃん)
2013-01-15 07:21:05
昔、映画で観ましたが、日露戦争の203高地攻略は大変な犠牲を払ったようですね。
強国ロシアとよく戦ったものです。
旅順攻略では、文部省唱歌「広瀬中佐」の歌は知っています。
このシーンも映画にはありました。

昨日、関東地方は予想外の大雪に見舞われ、交通網に大きな影響が出たようですね。
こちら大阪泉州地方でも山は真っ白となり、雪国を思わせるような風景となりました。
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防人の詩 ♪ さだまさし (あQ)
2013-01-15 09:28:33
中国大連の旅順港近辺は、近年まで簡単に外国人の観光が出来ませんでした。
解禁されたので、一昨年父が行きたがっていた、旅順港、二百三高地を観に行って来ました。
祖父は近衛師団に属し、二百三高地に従軍しました。
家にはその時の金鵄勲章が有ります。

二百三高地で中国人に、祖父の話をしたら、「 孫が来た!」と歓迎して下さいました。
日露戦争は中国を舞台に異国同士が争った、中国人にとっては迷惑で不快な出来事でした。
何処ぞの国と違い、中国人の心の広さに感動させられました。

児玉神社に有る、台湾で作られた狛犬は見事ですね。
中国のお土産物に、石などで作られた三重構造の玉が有ります。
それぞれの玉は窓状に大きくくり貫かれてれており、一つの石で彫って有り、中の二つを回す事が出来ます。
中国の伝統的な彫刻技術には、敬服させられるものが多く存在します。
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舞台は中国でしたか (「のべ山R会」のK)
2013-01-15 19:52:02
3社参りの後は、江の島から絶景の富士山
激しく砕け散る波しぶきが、奥の富士山を引き立ててとても素晴らしい構図だと思いました。
私事、日露戦争については全く知識なし 203高地=聞いたことはありますが内容は全く知りませんでした。
本文と、(らいちゃん)さま、(あQ)さまのコメントも含めて~悲惨な戦争の歴史の一部を改めて知りました参考になりました。
ありがとうございました。

当方~山あり谷あり海もあり、時には紅花も~
人生と同じです。
iinaさま宅で拝見したニャンとも素敵な谷なら言うことなし(今年も、悟りの気配も全くなし)
富士山が、自宅近くで拝めるなんて、なんて贅沢
昨日(地方税)にプラスしていただきます⇒固定資産税アップ、娯楽税付加
昨日の関東地方の雪はすごかった様ですね
確かに今日は、良い天気~雪化粧で一段と魅力アップしていることでしょう。
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コメントに 感謝します (iina)
2013-01-16 09:31:53
(らいちゃん) へ
「薮入り」したら蚊に刺されそうですが、奉公人もお嫁さんもたのしい藪入り待ちだったようです。
休みなしで昼夜を働くのですから、いい気休めになりますね。しかも、奉公するのは技能を習得し一人前に独立
する手段だったのですから給金は出てませんね。大変な気苦労があったことでしょう。

文部省唱歌「広瀬中佐」を知りませんが、自分の身よりも部下の安否を優先した方ですね。
明治維新後に、強国ロシアに戦いを挑むなんて無謀なことでした。長期戦になれば日本は物資が劣るので負ける
ところを日英同盟のイギリスが仲介し、日露戦争は日本勝利を得ました。ただ得るものが僅かだったため国民の批評
が湧いたようです。




(あQ) さん へ
中国でもロシアでも、ひとりひとりは皆んな良い人ばかりでしょうね。それが国家になると、立場とか欲得が前面
にでるため変容するようです。まして、世界のどこでも隣国は敵対しがちです。
「満州」の印象を、満ち満ちたる大地を連想していましたが、写真集で見ると荒涼たる原野なのですね。
満州に派兵された父は、戦火を開く場面には遭遇しなかったものの、鉄類を肌に直に触れるとくっついてしまう
ので注意したと話してました。




(「のべ山R会」のK)さん へ
この久住の山並みも、空想すると満州の原野のように見えます。
アヘン戦争で中国が負けた恐怖を、日本は明治維新で乗り切ってわずか30-40年後に世界のどの国も戦い
を避けたロシアに無謀にも戦いを挑んで勝った日本は驚嘆すべきことでした。
日本が勝ったのをまぐれだと思ってましたが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むと、日本は勝つべき努力を
怠らずに勝つべきして勝ったと思えました。
一例を引くと「天気晴朗なれども波高し」と開戦を打電したのは、バルチック艦隊をはじめとする海戦では大砲を
ただ闇雲に放ってましたが、日本は初弾で着弾の軌跡を確認して方位、距離を目測してから大砲を撃ったので
着弾率が高まったのです。しかも波が高いということは、船が大きく揺れているので、弱点の船腹に当たることを
意図していました。

ただ、功罪半ばするのでして、こうして勝った日露戦争によって軍部が精神論で神風が護ると勘違いして、坂を
転がり落ちてしまったのです。司馬遼太郎も生前は誤解を生むからと映画化を拒みつづけました。

もう一面は、アジア諸国は欧州列強によって植民地化が進み縮こまっていたところに、アジアの中の日本が列強
の仲間入りしたことで勇気を得て、此の点は白と黒の解釈の仕方にもよりますが、独立の夢を抱かせました。
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江島神社 (いわどの里住人)
2013-01-16 12:31:53
新日本風土記でも、湘南の海辺を取り上げやってました、歴史あり、風景よしで、近くに住んでいらしゃるのが羨ましいです。
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203高地 (青島老人)
2013-01-16 20:04:16
大連留学字に3回訪れました、
水市営の農家は保存されてます。乃木大将が繋いだ柳は三代目になってました。
爾霊山の字は東京を向いてました。
頂上から見ると ”坂の上の雲”の通りです。
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コメントに ひとこと (iina)
2013-01-17 09:34:56
(いわどの里住人) さん へ
雪におおわれた景色がうつくしいです。
神社の朱色が映えて、こちらも妙味です。

いわどの里住人さんが、カメラを抱えて喜ぶ笑顔がみえるようです。

ひさしぶりの大雪も、たまにはいいものでした。




(青島老人)さん へ
まだ世界の価値観に遠い気分です。もっとも、一昔前の日本のようですから意識改革には時間がかかるでしょう。

先日は、関東に大雪で、まわりを真っ白におおいました。
日本でスモッグに遭うことはなくなった気がしますが、濃霧も交通網が乱れることを除けば美しく思えます。




(「のべ山R会」のK)さん へ
「坂の上の雲」は、愛媛県の松山出身の3人を主人公にしています。秋山好古、秋山真之の兄弟と、正岡子規です。
この3人は何を成したかというと、好古(兄)は日本での近代騎兵を確立し、真之(弟)は日本海海戦を立案し勝利に導きました。子規は、俳句分類を研究し、俳句の世界に大きく貢献しています。

>>バルチック艦隊をはじめとする海戦では大砲をただ闇雲に放ってましたが・・・
>これは実際のお話でしょうか~? 現在ではちょっと信じられませんね。
司馬は、「フィクションを禁じて書くことにした」と話してます。フィクションを禁じたので描いたことは総て事実であり、事実であると確認できないことは描かなかったと申します。従って、この箇所は事実です。児玉源太郎の乃木への指揮権介入については、その事実を証明する資料は存在しないとする反論があります。Kさんの疑問である確率論的な戦法を、世界ではじめて成功させました。

種子島に鉄砲が伝来し、はじめて大量の鉄砲を戦略的に用いて成功したのが織田信長です。長篠の戦いで騎馬軍団の武田を三段撃ちで破った戦法は世界で初めてのことでした。というより、戦に弱かった織田軍が勝つために飛び道具を用いた戦法が、世界で初めてだっただけです。必要は発明の母というわけで、効率的な戦法を考えついたのですね。

ソ連は領土拡張政策を取り、朝鮮半島を侵し日本に南下するのを防ごうと専守防衛のため戦火を交えたのです。時はその後、陸海軍から空軍の時代へと変わって行きます。
小説「坂の上の雲」は、「羸弱な基盤しか持たない近代国家としての日本を支えるために、青年たちが自己と国家を同一視し、自ら国家の一分野を担う気概を持って各々の学問や専門的事象に取り組む明治期特有の人間像である」と解説されています。

以上のように書くと、お前は右翼かと非難されそうですが、世界の果てのアジアの辺境に位置する日本が日露戦争に勝利したことによって、植民地解放に目覚めさせたというのは、物事の裏腹ですから賛否両論あります。

日本が日露戦争に勝利したというより、イギリスに仲介してもらい名誉を得たものの、実質は引き分けに持ち込んだと評する方が適切かも知れません。
いちど、「坂の上の雲」を読んでご確認ください。
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Unknown (whitetip)
2013-01-25 21:23:14
先日はTBありがとうございました。
江島神社は何度訪れてもいい所ですね。
観光化されてますが、
とても信仰が強く神秘的なところです。
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(whitetip)さん へ (iina)
2013-01-26 10:07:37
雪が降ったときにも、江の島を撮ったのですね。
幻想的な朝もやに映える江の島です。

大山にも、冬場に登ったとは、拝見すると将に雪国のようです。
いまも、遠くから見る丹沢山系は雪が散らばってますから、うなずけますが、随分雪が深いです。

若いころに大山に登りましたが、疲れました。
というのは、富士山でも十号目が山頂にあたるのに、大山では十号目の上まで登らされたからです。
尾根を歩けば富士山が、機嫌よく迎えてくれましたが、 whitetipさんが登った日はご機嫌ななめであって残念でした。

当方は、また快晴の日をねらって江ノ島にでかけるつもりです。 はい、お寿司とお酒もたのしみです。
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乃木将軍 (更家)
2015-04-28 10:57:52
乃木将軍は、必要以上に大勢の犠牲者を出してしまった責任者なのに、有能ではなかった将軍がこの様に後世に英雄として祀られているのには違和感を覚えます。
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