![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/22/f0c2d768317a2979e0be7461fa1e4b9a.jpg)
「翡翠」は、中国では元々 鳥のカワセミを指す言葉だったが、時代が下ると宝石の玉も指すようになった。その経緯は分かっていないが以下の説がある。
翡翠のうち白地に緑色と緋色が混じる石はとりわけ美しく、カワセミの羽の色に例えられ翡翠玉と名づけられたという。この「翡翠玉」がいつしか「玉」全体をさす名前になったのではないかと考えられている。
参考までに、古代日本では玉は「たま」、カワセミは「しょうびん」と呼ばれていて、同じ名前が付けられていた記録はない。したがって「翡翠」の語は比較的最近の時代に中国から輸入されたと推量できる。
カワセミの漢字表記には翡翠、川蟬、魚狗、水狗、魚虎などがあり、翡翠の「翡」はオス、「翠」はメスを表すともいわれる。
縄文時代にはすでに珍重されていた宝石の翡翠(ヒスイ)はこの鳥を思わせる色から名付けられたとされる。
本話題は、5月にヒスイの里・糸魚川のフォッサマグナ・ミュージアムで識ってあたためていたものを、地元の泉の森でカワセミを撮れたので
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/apple_up.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
![](http://www.geocities.jp/ina570//b-mo.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
上品ですわ~
してみれば、鳥に非ず貴重なものたい。
バイバイ (^π^)/~~~
キンブルが、シスターとオンボロ車で逃避行する前編-後編を見て、印象深かったですが、「天使が死ぬ時」の方は見たような見ないような感じです。
ハイジさんは、高画質な録画を見返しできてうらやましい。
どちらも鮮やかな翡翠色で魅了させられますね。
カワセミの写真を撮りたいのですがそのチャンスが全くありません。
日本には、野鳥が住める自然が減少しているのでしょうね。
ほんに カワセミさんは 美しいです。
がしかし、すごく うるさい鳥 です。
ゴルフ場などで テリトリーに入ると
まあ、ぎゃぎゃぎゃぎゃって 甲高く鳴きます。 でも ちょっとだけ待ってや~ すぐあっち行くから。って お声かけすると だまってくれます。なかなか かしこいです。
草むらのとかげなんかも ねらいうちで うまく 一発で 捕まえます。
良いタイミングで撮影しましたね(^^)/
ジョン・トラボルタ主演の1996年の作品でしたか。
最近は、悪役までこなして巾の広い演技者になったイメージです。
カワセミの姿は、いつ見ても美しいです。
(楽母) さん へ
夏場に冷蔵庫の突然の不調は、困りものですね。我が家も10年以上使っている気が
します。用心、用心。
『翡翠』は、難しい漢字です。覚えなければならぬ必要性に迫られているわけでもない
ので、文字は右から左に通り過ぎるばかりです。しかし、今回の記事で少し興味を抱いた
ので、あるいは記憶に残っている可能性があります。
(^π^) さん へ
>翡翠とは、羽に非ず、羽を卒業
なるほど、そのように考えれば翡翠を記憶しやすいです。
これで覚えられたかも知れません。
(ムツゴロウ) さん へ
このシスターは印象に残る女性です。きっと名のある女優なのでしょう。
(らいちゃん) へ
関東は、梅雨が明けたかと思わせる晴れがつづいています。でも、ときどき夕立や夜更け
に降っていますから、梅雨明け宣言までしにくいのでしょうか。
たいてい天気は西からくずれますから、西方に注意をはらっていると或る程度予報できます。
カワセミにかぎらず、見たいと思うと隠れ、無意識にしていると突然に現れたりします。
(ハイジ) さん へ
川蝉はフィーと鳴くのですか?
川蝉と名づけられたほどですから、捕食には川原に巣をつくるのに似合います。
(nyonya) さん へ
椰子の木がゴルフ場にあるとは、南国の風情が濃く、いいなあ。プレーしながら水分の補給
を椰子の汁を吸って用を足せます。
川蝉は、甲高く鳴きうるさいですか? それで川に棲む蝉の如く川蝉と名づけられたので
しょうか。
閑さや ゴルフ場にひびく 川蝉の音 ですね。
(rapit55) さん へ
糸魚川ジオパークからようこそ。
5月にフォッサマグナ・ミュージアムを見学しました。白馬から姫川が流れていたのですね。てっきり糸魚川だと勘違いしていました。(^^ゞ
鳥などは最高画質で撮って、後で必要部位をトリミングすると望遠レンズを使ったかのような
写真になります。上はその手法で撮りました。
コメントを投稿できないのが、残念でした。
1919年3月29日-2001年12月31日(満82歳没)
舞台のアシスタントとしてブロードウェイにかかわるようになり、女優となりました。数多くの舞台に出演し、1953年には『ピクニック』でシアター・ワールド賞を受賞しました。
今から50年近く前の逃亡者出演ですので無理はありません。