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そして父になる

2014年02月27日 | 映画
シネ・アーツ

イオンシネマがセレクトした、隠れた名作や秀作を限定上映したので観てきた。
左の8作品中「ハロー純一」を除いて、7作を見終えた。


愛情を注いで育てた子どもは「実の子」ではなく、病院で取り違えられていたことを突然に知らされ、それから二家族の苦悩がはじまる。
福山雅治たちが、血のつながりか過ごした時間かの選択を迫られる。
両家の価値観は正反対だから、育てられた環境がちがうので皆んなが戸惑う。
そもそも、どうして取り違えられたのか? 現代の不気味な病巣をみる思いがする。

2013年カンヌ国際映画祭審査員賞をとった是枝裕和監督の作品。







昨年に、「そして父になる」と同じような出来事がニュースに取り上げられた。
約60年前の昭和28年に、病院で別の赤ちゃんと取り違えられ裕福でない家庭に育ち中学卒業後は働き、一方は、教育熱心な親に育てられ大学院にまで進学し不動産社長になっていた。
本来、裕福な家で育つはずだった男性は、母子家庭で生活保護を受けながら、いまはトラック運転手として働いている。この境遇の差をみると、心境は複雑にならざるを得ない。「実の親」はふたりともすでに他界。

裕福な家で育った男性は、長男として遺産相続したものの両親に冷たく、弟たちに煙たがれていたという。
しかも、
裕福な家で育つはずだった男性は、このような事実を知るも言葉を選びながら、その家庭で精いっぱいの愛情を注いでもらったとインタビューに答えて、いまも貧しいながら母親を介護しつづけている。

東京地方裁判所は、DNA鑑定の結果から取り違えがあったことを認め、病院に3800万円を支払うよう命じたが、60年の人生の代償としては、あまりに少ない。人生は遣り直しできない。
戸籍を戻されても、遺産相続はどうなるものやら。相手も被害者ではあるが、冷たい男のようだ。小説的な複雑な様相を呈している。


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7 コメント

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そして父になる (らいちゃん)
2014-02-27 07:10:59
60数年前に赤ちゃんの取り違えという不幸な事件が最近報道されていましたが、これに似たような内容のようですね。
子供の取り違え事件は両方の家族を不幸にします。
起きて欲しくないですね。

イオンシネマはよい映画を上映していますね。
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現実に・・・ (延岡の山歩人K)
2014-02-27 07:33:30
想像を絶することで当事者の苦悩は計り知れません。
↑(らいちゃん)さまが述べられている事件~思い出します。
  映画のモデルにもなっているのでしょうか?
現実にこの様な事態が複数件発生している事を考えると怖いです。

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コメントに m(_ _)m (iina)
2014-02-28 08:23:56
(らいちゃん) へ
こどものころ、雑草で遊んでいると、よくこの種子が服にくっついていました。
花の方を、くっつきぼと呼んで友だちに投げてくっつけてました。センダングサとは、難しい名です。




(延岡の山歩人K)さん へ
ブロッケンに出逢いましたか。ガスの中に現れた御来迎ですね。

写真では、人の影が見づらいですから、霧が七色に写ろう様の光の怪現象のようにもみえます。何度かブロッケンに
出逢ったFさんがいわれるのですから、間違いないと思います。
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3トラックバックに コメントします (iina)
2014-02-28 10:44:36
(京の昼寝~) さん へ
ある日、突然に子供を取り違えたといわれたら、怒り心頭に発します。
映画では、二家族の環境も考え方も正反対に描いてますから、なおさらでした。

こどもは、いずれ巣立っていくものであり、嘗ては意識無意識を問わずに、地域で育てたという素地が日本にあった
気もしました。
村八分につながるような過度のかかわりを嫌って、核家族化が進み、都心の過密化がはじまりました。
こころを広くもち、子育ては家族間だけの問題と考えぬ社会が好ましいのでしょうが、価値観が共通でないと様ざまな
軋轢が生じます。




(映画的・絵画的・音楽的) さん へ
やはり、クマネズミさんは、繊細な方です。
映画を観て、漠然となんとなく感じていることどもを、細々とつづられていますが、なかなか言葉につぐめないです。

手法として極端な対比をさせることで、浮かび上がせたい主体を映画で描くのですから、狙いは当たっているのでしよう。

また、クマネズミさんが戸惑っているように、演者は様ざまな作品に出ていますから、本来なら作品固有の誰も知らぬ者で
あるのが最適だと思います、しかし、演者は限られた人たちから選ばねばならず、著名人であれば映画に脚光を浴びせ
人集めにつながりますから、やむを得ないことです。




(映画と本の『たんぽぽ館』) さん へ
>男は子どもとつながっている自信がないから、血にこだわるのでしょう?
この映画の主人公が、血にこだわったに過ぎませんから、ひとつの解釈です。(一例:男は科学的根拠、女は情緒的)
こどもを取り違えるというあり得ないケースで、二者択一を迫ることは 酷というべきです。

こどもたちが、自然に物語りにとけこんでいて頬笑ましかったです。

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Unknown (タケヤ)
2014-02-28 21:49:05
これは僕は素晴しい作品だなあと
思って観てました。

でもiinaさんの記事に書かれている
最後の現実世界の話を聞くと
そうばっかも言ってられないですね。

人生は複雑ですね。。。
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(タケヤ)さん へ (iina)
2014-03-01 10:12:45
あかちゃん取り違えは、あってはならないことですが、60年前にもあって両極端な境遇で育つとは、事実は小説より奇なり
と思わざるを得ません。
それも弱者は心優しく、強者は強欲そうなのが小説的です。
人生万事塞翁が馬といいますが、人生にやり直しはきかず、なんとも理不尽な話です。
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TB (まてぃの徒然映画+雑記)さん へ (iina)
2014-04-01 09:11:29
産婆さんに取り上げられたなら起こらない赤ちゃん取り違えは、病院では起こり得ることなのですね。
ですから、これからこどもを授かる まてぃさんは、古いしきたり通りに産婆さんを使ってください。

待てぃ! 
そうはいうけれど、昨今は医療免許のない産婆さんは絶滅したかも・・・。2002年に助産師と名称変更されたようです。
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