
iinaの古里、小倉にある旦過市場は「北九州の台所」と呼ばれている。
市場には、海産物やお惣菜など北九州産の新鮮な素材がたくさん揃う。
玄界灘で獲れた珍しい魚が並び、山口・萩や長崎方面からも鮮魚を取り寄せているそうだ。
「旦過」の由来には、二つの説があると伝えられている。いずれも、小笠原藩の菩提寺である宗玄寺に密接な関係があると言われる。
1632年(寛永9年)、小笠原忠真公が小倉に移った時一緒に移り(現在妙見町)、その際門前に、雲水(旅の僧)が資質を試す場所として宿泊所が造られ、この宿泊所の名を旦過寮と呼んだ事が一つ目の由来。
もう一つの由来は、宿泊した雲水達が 旦(あした/朝早く)に旅立ったことから、旦過という地名が名付けられたとされる。
幼いころに母に連れられて丸和に買物したのを懐かしく思う。ぬか漬けを記事にして想い出し
した。 

北九州市小倉北区魚町4丁目2−18 この一角に映画館が二軒並んでいたが、いまはない。 【旦過】
市場には、海産物やお惣菜など北九州産の新鮮な素材がたくさん揃う。
玄界灘で獲れた珍しい魚が並び、山口・萩や長崎方面からも鮮魚を取り寄せているそうだ。
「旦過」の由来には、二つの説があると伝えられている。いずれも、小笠原藩の菩提寺である宗玄寺に密接な関係があると言われる。
1632年(寛永9年)、小笠原忠真公が小倉に移った時一緒に移り(現在妙見町)、その際門前に、雲水(旅の僧)が資質を試す場所として宿泊所が造られ、この宿泊所の名を旦過寮と呼んだ事が一つ目の由来。
もう一つの由来は、宿泊した雲水達が 旦(あした/朝早く)に旅立ったことから、旦過という地名が名付けられたとされる。
幼いころに母に連れられて丸和に買物したのを懐かしく思う。ぬか漬けを記事にして想い出し



北九州市小倉北区魚町4丁目2−18 この一角に映画館が二軒並んでいたが、いまはない。 【旦過】

私の友人も小倉出身で今は千葉県に住んでいますが
小倉愛は素晴らしいです。
私の知らない小倉を教えて下さいます。
この旦過市場の活気は凄いですね。(*^^*)
地名の由来は知ってましたが、源頼朝が測らせたのは初耳でした。( ..)φメモメモ
浜が広いと、ハングライターを飛ばせますね。しかも、エンジン付きとは・・・。
つぎは、江の島のサーファーたちです。
コロナ禍下に、富士山を見に行けてないです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/996bfe0a2577bf49e077029d0b03d598
小倉、初物が好きなお国柄だと申します。そういえば、競輪、焼うどん、パンチパーマなど。そのルーツは、あるいは「糠みそ」かもしれませぬ。
https://www.claimer-navi.com/about/page2.html
ふるさと愛を感じさせるご紹介でした。😃
「旦過」は、
禅宗で、修行僧が一夜の宿泊をすること。 また、その宿泊所。 旦過屋。 旦過寮。
北九州の台所と言われるだけのことはあります。
でも、皆さんマスクをつけているので最近の写真だと思いますが、二密(密集、密接)になっていることからコロナが心配です。
クラスターが発生しなことを祈ります。
>ところで新内閣の閣僚の平均年齢は61・8歳で、菅内閣はが60.4歳ですから、意外にも1歳あまり年取ってしまったようですょ。
そのようですね。
調べ直したら、私が間違っていました。
ご指摘ありがとうございました。
最初の写真モンブランは、まるで蕎麦のようです。
このように、スポンジ生地にまぶし尽くすと贅沢な味わいになりそうです。
旦過市場は、現役のころに出張した際に歩いた日中は寂し気でしたが、やはり年の瀬あたりになると大繁盛しそうではあります。
私のブログにコメントありがとうございます。
私は小倉ではなくて門司なんですよね。
まぁ旦過市場含め、小倉界隈には頻繁に出かけますが。
小倉といえば一番古い「無法松の一生」を先日鑑賞、記事にしておりますので良ければ見にきてくださいね。
https://blog.goo.ne.jp/piro-ek0324/e/13842da2c146da2689a1c3a8884ac40c
では、また来させていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
主人公、富島松五郎のモデルは作家・岩下俊作自身がいないといっているそうです。(・・?
iinaが小学生の頃に、この近くに住んでいたことから映画に刺激されて、無法松の墓をお寺の中で見ました。あれは何だったか❔
死んだとされた校庭の小学校もありましたが、後々のその跡地南に無法松の石碑が立ちました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/499ef0dda64cb505526d7d20a1f7caa0
小倉祇園太鼓は、独特のリズムです
門司には、遠足でチンチン電車に乗ってよく行きました。いまはレトロ感満載です。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5be3fd99a9bea6204a2a705a191a619f
小倉城を見物した帰り道に立ち寄りました。
活気にあふれていて良かったです。
「旦過」という名称が珍しく、一度聞いたら忘れません。
旦過の由来の2つの説、面白いですね。
> 日本武尊が「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」と詠んだところ、御火焚の翁が「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」と見事に返歌をしました。
ひと夜、ふた夜、三夜、四夜、五夜、六夜、七夜、八夜、九夜と通ってきて、とうとう九十九夜になった
という「小町算」を連想しました。^^
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/00ecaa99ad719deadba0dbb480de7cf4
「旦過」は、ほかの地にもあったと聞いた気もしますが、いまは小倉の旦過市場だけが残っているようです。