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踏みつけ平内

2008年03月06日 | 東京エリア
仲見世通り奥の宝蔵門右側の手前にある久米平内くめのへいない堂には、今日でも縁結びを願って参拝する姿が見られる。

久米平内は講談のフィクションも重なり、実際の人物については謎が多い。
例えば、座禅を組む自分の像を平内自身が彫らせたという説。これは、平内が首切り役人とか、刀の試し切りや辻斬りをした浪人とかで、死んでから少しでも罪が軽くなるように仁王門傍に埋めて「大勢の人に踏みつけてほしい」と願ったというもの。また、平内が教えていた「仁王座禅の法」の看板がわりにしていたという説もある。
平内の石像がお堂の中に収まって「平内堂」となったのは、実在の平内が亡くなった後のこと。

何故、首切り役人の像が、縁結びの神様として愛されるようになったのか?
それは、「大勢の人に踏みつけてほしい」と平内が願って作らせたことから、「踏みつけ」が「文付け(ラブレター)」に転化し、洒落た語呂合わせになっているから。

いまは、ちょうど白梅が見ごろです。

ところで、講談の平内は江戸初期の津和野藩士、城下で津和野小町といわれた呉服商の娘お里の危急を救い人を殺めて、江戸に出た。柳生但馬 守の門人になり、荒木又右衛門を負かすほどの腕前になるが、主取りはせず、花川戸に町道場を開き、幡随院長兵衛らと交わり気ままな暮らしをしていた。
この時平内をしたって江戸に来て芸者になっていたお里と再会し、長兵衛の引き合わせで所帯を持った。


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