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必ずコメントに参ります by iina

梅に猿

2008年03月04日 | 雑感
仕事で湯島天神界隈まで出かけたので、立ち寄ってみた境内の様子です。
境内は、受験生の絵馬がてんこ盛りでした。果たして、絵馬を掛けた方々の成果はいかがだったことでしょうか。



境内に鶯の声はなく、代わりに猿まわしが出ていました。
竹馬
逆立ちジャンプ
高跳び着地

湯島天満宮の縁起
雄略天皇の御宇(ぎょう)二年(458年) 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明三年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1595)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること厚く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷の内五石の朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉った。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬した。
明治五年十月には郷社に列し、ついで同十八年八月府社に昇格。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当たった。
元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝暦元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。



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3 コメント

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残念ながら・・・ (ippu)
2008-03-05 07:08:01
≪絵馬を掛けた方々の成果はいかがだったことでしょうか。≫
私の場合、残念ながら100%とは行きませんでした。
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(ippu)さん へ (iina)
2008-03-07 17:11:26
iinaも赤富士を見ました。
若いころ、社員旅行の帰りのバス内からでしたが、
ホントに「赤富士」になるのだと体験しました。
iina宅からは、もっぱら"白富士"なので、「紅富士」も
見てみたいものです。

>私の場合、残念ながら100%とは行きませんでした。
"えっま"ぁ、限りなく100%であったわけですね・・・。
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楽しそう (更家)
2014-12-19 18:11:36
湯島天神の梅まつり、楽しそうで良いですねえ。
来年、観梅に行ってみたいです。

受験生の絵馬の数が半端ではないですねえ。
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