大名の参勤交替には、必ず宿割の家来が先発して、あらかじめ宿泊地の宿割をしておくことになっている。もし二組が落ち合う場合は、一方が一つ手前の宿駅に泊るか、通り越して次の宿で泊まるかする。
奥州相馬藩の先発が白川の本陣へ乗り込み、宿割を済ませ門前に関札を立て、宿の玄関に幔幕を張り槍も飾った。
そこへ、同じ本陣に、会津藩が隔年四月に参観し、おおよそ日取りも決まっているとして、譲れとごり押ししてきた。通達を怠ったのだ。
幸いに、先陣した相馬藩の本隊は明々日だったので、先発隊の宿を他にしてくれと本陣の亭主が泣きつく。
侍の意地として、小藩6万石の家来だけに会津23万石に気圧され無理を通したといわれては主家の面子にかかわる。
話の筋を通せと謎をかけ、会津から直接挨拶をさせるよう宿の亭主を追い返す。
更に、亭主と問屋の年寄りが往き来して、埒が明かず無理と道理の板挟みの狭間に血をみても詰らぬので、一日の余裕もあり主君の参観に支障はなく、先発の宿替えをしても世間から笑われるのは負けた手前ではなく、無理を通した会津という腹を決めた。
寛容な計らいで一件落着したと思ったところへ、槍持ちが本陣に槍を忘れてきたと両手をついてうな垂れた。
直ぐに引き換えし槍を返してくれと願ったが、槍は武士の表道具だから、人足ふぜいに渡せないと、取り合ってくれぬとおろおろす。
先の宿替えのとき、当人が訪ねて直接頭を下げろと謎をかけたしっぺ返しだ。
相手の言い分に一理ありとして受取証を書き、この者は間違いなく当藩の小者ゆえ槍を渡してくれろと、もう一度槍持ちに出向かせた。
相手は、誰が書いたか分からぬ受取証では渡せぬと不服の態。そのうえ、武士の表道具の槍を忘れるような槍持ちなどは打ち首にして首を持参せよと突き放す。
人の落ち度はあくまで責め、己の落ち度は横車で押しきる態度に憤怒に耐えられなくなって、不憫だが槍持ちに首をくれと告げる。ただ殺すのではなく若党に取り立て家族は一生面倒を見るといわれて仰天したが、言い含められ槍持ちもその気になる。
それを見ていた伊太郎は、己の武士を立てるために、さして罪もない人間一人を犠牲にする。武士道とは、そんな手前勝手なものか、人を犠牲にする前に自分が死ぬ。それが本当の侍だと命を捨てる覚悟を決め、打ち首直前に注進する。
思案があるので槍持ちを連れ会津の本陣に出向き、槍を取り返してくると進言した。怪訝な面持ちで上役は、刀を鞘におさめる。
会津藩本陣で、先の侍に取り次ぐ。
槍持ちの首を持ってこなければ槍は返さぬという指図については、拙藩の家風では許せる過失はなるべく内聞にしてかばってやりたい。まして名もない人足風情の過失などを殊更咎めだてして打ち首にするのは、武士にあるまじき非情冷酷ゆえ家風にあわない。
この小者に代わって切腹して責任を取るから介錯願いたい。その上で、槍をこの小者に渡してくだされば、双方の風が立つ。
迷惑ながら、宿泊所の玄関先を拝借いたす。
これが伊太郎の切り札だった。明日主君が宿泊する本陣の玄関先を血で汚せば、ここには宿泊できなくなるし、自然と問題は大きくなって、どちらの言い分が正しかったか、天下の批評を受ける。決して犬死にはならぬ。
そこに会津の組頭が「申し分を承ろう」と声が掛る。いきさつを話し、感謝状を双方で入れて鉾を収めたいと率直に申し入れる。
宿替えの感謝状と槍返還の感謝状を、組頭と伊太郎の著名で入れる。一つ間違えると、この感謝状がまた切腹の種になるかも知れないので軽輩の身分の方がいい。
翌朝。
感謝状の交換をしたいと上役に相談した。災いを後に残すものは、双方共に始末した方がよい。
感謝状を破り捨て、ようやく水に流すことができた。
「槍一筋」山手樹一郎著を要約
この世は、とかくこんな意地の張り合いで諍ごとが起こる。
奥州相馬藩の先発が白川の本陣へ乗り込み、宿割を済ませ門前に関札を立て、宿の玄関に幔幕を張り槍も飾った。
そこへ、同じ本陣に、会津藩が隔年四月に参観し、おおよそ日取りも決まっているとして、譲れとごり押ししてきた。通達を怠ったのだ。
幸いに、先陣した相馬藩の本隊は明々日だったので、先発隊の宿を他にしてくれと本陣の亭主が泣きつく。
侍の意地として、小藩6万石の家来だけに会津23万石に気圧され無理を通したといわれては主家の面子にかかわる。
話の筋を通せと謎をかけ、会津から直接挨拶をさせるよう宿の亭主を追い返す。
更に、亭主と問屋の年寄りが往き来して、埒が明かず無理と道理の板挟みの狭間に血をみても詰らぬので、一日の余裕もあり主君の参観に支障はなく、先発の宿替えをしても世間から笑われるのは負けた手前ではなく、無理を通した会津という腹を決めた。
寛容な計らいで一件落着したと思ったところへ、槍持ちが本陣に槍を忘れてきたと両手をついてうな垂れた。
直ぐに引き換えし槍を返してくれと願ったが、槍は武士の表道具だから、人足ふぜいに渡せないと、取り合ってくれぬとおろおろす。
先の宿替えのとき、当人が訪ねて直接頭を下げろと謎をかけたしっぺ返しだ。
相手の言い分に一理ありとして受取証を書き、この者は間違いなく当藩の小者ゆえ槍を渡してくれろと、もう一度槍持ちに出向かせた。
相手は、誰が書いたか分からぬ受取証では渡せぬと不服の態。そのうえ、武士の表道具の槍を忘れるような槍持ちなどは打ち首にして首を持参せよと突き放す。
人の落ち度はあくまで責め、己の落ち度は横車で押しきる態度に憤怒に耐えられなくなって、不憫だが槍持ちに首をくれと告げる。ただ殺すのではなく若党に取り立て家族は一生面倒を見るといわれて仰天したが、言い含められ槍持ちもその気になる。
それを見ていた伊太郎は、己の武士を立てるために、さして罪もない人間一人を犠牲にする。武士道とは、そんな手前勝手なものか、人を犠牲にする前に自分が死ぬ。それが本当の侍だと命を捨てる覚悟を決め、打ち首直前に注進する。
思案があるので槍持ちを連れ会津の本陣に出向き、槍を取り返してくると進言した。怪訝な面持ちで上役は、刀を鞘におさめる。
会津藩本陣で、先の侍に取り次ぐ。
槍持ちの首を持ってこなければ槍は返さぬという指図については、拙藩の家風では許せる過失はなるべく内聞にしてかばってやりたい。まして名もない人足風情の過失などを殊更咎めだてして打ち首にするのは、武士にあるまじき非情冷酷ゆえ家風にあわない。
この小者に代わって切腹して責任を取るから介錯願いたい。その上で、槍をこの小者に渡してくだされば、双方の風が立つ。
迷惑ながら、宿泊所の玄関先を拝借いたす。
これが伊太郎の切り札だった。明日主君が宿泊する本陣の玄関先を血で汚せば、ここには宿泊できなくなるし、自然と問題は大きくなって、どちらの言い分が正しかったか、天下の批評を受ける。決して犬死にはならぬ。
そこに会津の組頭が「申し分を承ろう」と声が掛る。いきさつを話し、感謝状を双方で入れて鉾を収めたいと率直に申し入れる。
宿替えの感謝状と槍返還の感謝状を、組頭と伊太郎の著名で入れる。一つ間違えると、この感謝状がまた切腹の種になるかも知れないので軽輩の身分の方がいい。
翌朝。
感謝状の交換をしたいと上役に相談した。災いを後に残すものは、双方共に始末した方がよい。
感謝状を破り捨て、ようやく水に流すことができた。
「槍一筋」山手樹一郎著を要約
この世は、とかくこんな意地の張り合いで諍ごとが起こる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
大石東下りで、「垣見五郎兵衛と大石内蔵助の相対の場」がありますが、その時の言葉に「武士は相身互(あいみたが)い」という有名な言葉がありますが、このような寛容な気持ちがなかったのでしょうか。
>十二支は12時の時刻および東西南北の方角に使われ、カレンダーにも用いられますが、12カ月のいわれをブログにアップしていました
現在の暦が出来上がるまでには色々と紆余曲折があったのですね。
>人の落ち度はあくまで責め、己の落ち度は横車で押しきる・・
その様な人がいます
大きい声じゃ言えませんが
人には厳しく、己には甘い そんな上役が多かったです
今も昔も 同じですね (^^)/
維持したいです。
いまでも、意地の張り合いが絶えぬことから、いろんなことが起こっています。
現代にも通じる「槍一筋」を読んで、ブログの題材にしてみました。 m(_ _)m
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。[夏目漱石の「草枕」より]
命がけの意地の張り合いは、性に合いません。
穏やかに生きたいと思います。
「こちらのブログはアメーバ会員からのみ コメントを受け付けています。 」ということで、残念ながら投稿が適わなかったです。
ちょっとした行き違いも、意地を張りあっていることが多いですから気をつけたいです。
中山道の宿場町を歩いていると、大名同士の”本陣差し合い”を避けるために行われた色々な逸話を聞きます。
しかし、この問題の本質を、ここまで具体的な遣り取りで記載したのは少なく、読んでいて非常に面白く、興味がありました。
「一路」の大名行列も、宿泊地の宿割をしていそうですが、侍の世では意地を張り合うと血をみそうです。