浅草の北端・白髭橋(明治通り)手前の妙亀塚は、「梅若伝説」にちなむ。
この地は、かつて浅茅ケ原と呼ばれた原野で、近くを奥羽街道が通じていた。
平安時代、吉田少将惟房の子梅若が信夫藤太という人買いにさらわれ、奥州に連れて行かれる途中、重い病にかかりこの地に捨てられ世を去った。
わが子を探し求めてこの地まで来た母親は隅田川岸で里人から梅若の死を知らされ、髪をおろして妙亀尼と称し庵を結んだという。
塚の上には、板碑が祀られ、弘安11年5月22日孝子敬白と刻まれている。
謡曲「隅田川」はこの伝説をもとにしている。
なお、隅田川の対岸、木母寺境内には梅若にちなむ梅若塚がありこの妙亀塚と相対するものと考えられている。
浅草界隈には、いろんな伝説にいろどられているので、関心あればお進みを・・・
[浅草寺の観音様いわれ]
[金龍のいわれ]
[姥ケ池の伝説]
[たぬき伝説]
[助六について]
[カッパ伝説]
[飛不動尊]
[三囲神社の伝説]
碑
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この地は、かつて浅茅ケ原と呼ばれた原野で、近くを奥羽街道が通じていた。
平安時代、吉田少将惟房の子梅若が信夫藤太という人買いにさらわれ、奥州に連れて行かれる途中、重い病にかかりこの地に捨てられ世を去った。
わが子を探し求めてこの地まで来た母親は隅田川岸で里人から梅若の死を知らされ、髪をおろして妙亀尼と称し庵を結んだという。
塚の上には、板碑が祀られ、弘安11年5月22日孝子敬白と刻まれている。
謡曲「隅田川」はこの伝説をもとにしている。
なお、隅田川の対岸、木母寺境内には梅若にちなむ梅若塚がありこの妙亀塚と相対するものと考えられている。
浅草界隈には、いろんな伝説にいろどられているので、関心あればお進みを・・・
[浅草寺の観音様いわれ]
[金龍のいわれ]
[姥ケ池の伝説]
[たぬき伝説]
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隅田川を現世と浄土の境と考えて、梅若丸を東岸=浄土、妙亀を西岸=現世、我が子を思う母の姿を隅田川と言う舞台で物語にしたとはよく練られています。
http://blog.goo.ne.jp/ddf76gp79/e/39d5c6f5c71c310041dd0dd41b4959d9
敬服の至りです。今後の話題を楽しみにしています。
よろしく!
歩くのは健康にも歴史探訪にも好いです。
それに、「いざ鎌倉」の鎌倉街道は何本もあったようですね。
>葛飾区立石という地名の元となる古代石が「立石様」。
とは、初耳で知識が増えました。
東海道は、保土ヶ谷辺りから山の尾根を伝っていて眺めがよかったことと思います。
http://blog.goo.ne.jp/honchijin2006/e/9f5b0d3afbdc03a1e603fadd56b0b5bc
今は、下道を歩いています。鎌倉へ向かう道はすべて鎌倉街道と呼ばれたようです。
>東海道は、保土ヶ谷辺りから山の尾根を伝っていて眺めがよかったことと思います。
東海道は現在、休眠中です。
この夏は暑くてなかなか歩けませんでしたが、ボチボチ活動再開か?でもまだまだ残暑が厳しいようです。
妙亀塚に相対する梅若塚に行ってみたくなりました。
(タケホープ)さんのブログアドレスをコメント上に置きました。