その昔、日本の中心は京だったので、京から江戸に行くことを「下る」といった。
その名残りで、江戸時代にも上方から関東に送られてくる品物を「下りもの」と呼んだ。
『語源由来辞典』は、次のように説明する。
「くだらない」は、動詞「下る」に打ち消しの助動詞「ぬ」がついて「くだらぬ」、「ない」がついて「くだらない」となった。
「下る」には、通じるといった意味を示す場合があり、それを「ない」で否定して、「意味がない」「筋が通らない」などの意味となり、取るに足りないの意味に転じたという。
他の説では、上方から関東に送られる物を「下りもの」と言い、その中でも清酒は灘や伏見が本場であるため、「下り酒」と呼ばれていた。
反対に関東の酒は味が落ちるため「下らぬ酒」と言われ、まずい酒の代名詞となり、転じて現在の意味となったとする説があるが、「下りもの」と呼ばれる以前から、「くだらぬ」は使われていたため、この説は考え難い。
また、日本に農作を伝えたのは現在の朝鮮にあたる百済の人々で、百済の人々を頭の良い人としていたため、頭が悪く話の通らない人を「百済ではない人」と呼び、略され「くだらない」となったとする説もある。
一般的に昔の否定は「ぬ」であり、名詞を「ぬ」で否定することは考えられないことと、「くだらぬ」という言葉が使われ始める遥か前から、「くだらない」が使われていたことになるため、この説も考え難い。
さらに他の説では、仏教に「ダラ」という九つの教えが有り、その教えが一つもない行為を「クダラが無い行動」と言ったことから「くだらない」に転じたとする説もある。
仏教用語に「ダラ」を含む言葉は多いが、「ない」は日本の打ち消しなので、日本に「ダラの教え」が伝来してから「くだらない」になったと考えられる。
そのため、「ダラ」という教えが実在し、日本でも「ダラの教え」が使われていたのであれば有力な説となるが、ダラの教えがはっきりとしていないため俗説と考えられる。
これをまとめると次のようになる。
①「下る」=「通じる」(→「下らない」=「意味がない」「筋が通らない」)説
②「下り酒」説
③「百済でない人」説
④ 仏教用語の「ダラ」説
その名残りで、江戸時代にも上方から関東に送られてくる品物を「下りもの」と呼んだ。
『語源由来辞典』は、次のように説明する。
「くだらない」は、動詞「下る」に打ち消しの助動詞「ぬ」がついて「くだらぬ」、「ない」がついて「くだらない」となった。
「下る」には、通じるといった意味を示す場合があり、それを「ない」で否定して、「意味がない」「筋が通らない」などの意味となり、取るに足りないの意味に転じたという。
他の説では、上方から関東に送られる物を「下りもの」と言い、その中でも清酒は灘や伏見が本場であるため、「下り酒」と呼ばれていた。
反対に関東の酒は味が落ちるため「下らぬ酒」と言われ、まずい酒の代名詞となり、転じて現在の意味となったとする説があるが、「下りもの」と呼ばれる以前から、「くだらぬ」は使われていたため、この説は考え難い。
また、日本に農作を伝えたのは現在の朝鮮にあたる百済の人々で、百済の人々を頭の良い人としていたため、頭が悪く話の通らない人を「百済ではない人」と呼び、略され「くだらない」となったとする説もある。
一般的に昔の否定は「ぬ」であり、名詞を「ぬ」で否定することは考えられないことと、「くだらぬ」という言葉が使われ始める遥か前から、「くだらない」が使われていたことになるため、この説も考え難い。
さらに他の説では、仏教に「ダラ」という九つの教えが有り、その教えが一つもない行為を「クダラが無い行動」と言ったことから「くだらない」に転じたとする説もある。
仏教用語に「ダラ」を含む言葉は多いが、「ない」は日本の打ち消しなので、日本に「ダラの教え」が伝来してから「くだらない」になったと考えられる。
そのため、「ダラ」という教えが実在し、日本でも「ダラの教え」が使われていたのであれば有力な説となるが、ダラの教えがはっきりとしていないため俗説と考えられる。
これをまとめると次のようになる。
①「下る」=「通じる」(→「下らない」=「意味がない」「筋が通らない」)説
②「下り酒」説
③「百済でない人」説
④ 仏教用語の「ダラ」説
な~るほど・・・①~④
いろいろな説が有るのですね
>③説
昔の朝鮮半島の方々は頭が良かったのですね
現在は・・??
「くだらない」 事を したり 言ったり 作ったり・・
なかなか
くだる 解説でした(^o^)
一般的に②の上方から江戸に送られる「下り物」からとする説がよく言われていますが、語源辞典では①の説が有力なのですね。でも誰が考えたのか知りませんが、もっともらしい色々な説があるものですね。
>国内で厳しい政治するばかりか、孔子が教える「礼」に失する無礼な威嚇外交をする北の指導者ですから、残念ながらこの論語さえ分かろうとしないと思います。
北朝鮮の指導者はヨーロッパに留学し、帝王学を学んでいるのに何故、それを国の統治に生かさないのでしょうね。
祖父や父親とは違った指導者の道を選ぶ方法もあった筈だと思います。
もしそうしていれば、現状はもっと改善していたと思いますが・・。
Myホムペ「もののはじめ」は、日本古代史で飛鳥に百済を扱っているので「くだらない」を、③「百済でない人」説
もありかと考えたこともありました。
その際にWEB検索しても③説はヒットしなかったですから、こじつけた観があります。
Myホムペ
http://www.geocities.jp/ina570/
売り出しができ値段を安くできます。
新薬の方が改良されて薬品としての効果が高まりそうですが、そうでないケースも多々あります。
いずれにせよ、意識してジェネリック薬品を使って、医療費削減できれば健康保険制度が少しは健全に運営できるでしょう。
> 北朝鮮の指導者はヨーロッパに留学し、帝王学を学んでいるのに何故、それを国の統治に生かさないのでしょうね。
共産国家を世襲制するなんて考えはまったく馴染まないのに3代つづけて独裁国家を形成しています。
独裁者の末路は処刑?でしょうから、殺されぬためにも権力維持が必要なのでしょう。国民のことまで思い至らぬようです。
いずれにせよ、儒教国家なのに異母とはいえ兄を暗殺するような「くだらない」金一族です。
大阪は上方と言いましたが、
大阪から下ると言うように聞いたことがありません。
京都には天子様が居たので、「上る」と言ったようです。
一寸法師の歌詞に、
「指に足りない一寸法師、
小さな体に大きな望み、
お椀の船に箸の櫂(かい)、
京へはるばる上りゆく」とあります。
また五街道でも、旧中山道の板橋宿では、
三つの宿場に分かれており、
江戸側から平尾宿(下宿)、仲宿、上宿(京都側)と言っていました。
京都から地方には下ると言っていました。
今は天皇が東京にいますから、電車でも、道路でも、
「東京に上る」と言います。
一口に関西から「下る」と言うのには、少し抵抗がありますが、
如何なものでしょう。
もともと「くだらない」話ですから。
ご指摘はもっともです。この「関西」は「京」の誤植でした。訂正したので文意はとおると思います。
「越前、越中、越後」 は、「京」から遠ざかる順に 「前―中―後」 の地名になりました。
はじめの二行を除いた下部は、総て『語源由来辞典』を貼り付けました。
> せっかくの誤変換ですから、犬でなく熊にすれば良かったですね。
誤変換コーナーに使う画像は、発表済の笑撃をピックアップしています。あくまでiinaの記憶範囲内から拾って
いますから、必ずしも読者のの皆さんが納得できるものではないかもしれません。
よろしく、ご理解ください。 m(_ _)m
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b425d4338074fdbd0fc3536169241b3b