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宝蔵門の右手にある平内堂は昔から縁結びのご利益があり、「文付け」で願いが叶うといわれている。
ここに祀られている久米平内(くめへいない 天和三年/1683年没)は、江戸時代前期の剣術に秀でた武士。
生前、多くの人をあやめた久米平内は、供養のために浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこみ、いよいよ死の床に臨んだ時に、自らの姿を石に刻ませて石像をつくったという。その石像を多くの人に踏みつけてもらうことによって、人を殺めた罪を償おうと考え、人通りの多い仁王門(現・宝蔵門)付近に像を埋めたと伝えられている。
「踏みつけ」は、いつしか「文付け」に転じて、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされるようになったという。江戸時代中期以降、特に縁結びの神として庶民の信仰を集めるようになった。(石像は堂内に納められている)
大阪夏の陣の七手組の子供で津和野で育ち、津和野では、長州毛利家から送り込まれた剣客を徹底的にやっつけたり、江戸に出ては、町奴の幡随院長兵衛と知り合い、旗本奴の水野十郎兵衛と渡り合ったりして、人を殺すこと87人になり、当人もうんざりして仏門に入った。
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