



山頂の林の中に櫓(やぐら)の骨組みを造り、白紙を貼って隠し、一夜のうちに周囲の樹木を切り倒し、それを見た小田原城中の将兵が驚き、士気を低下させた。
(実際の築城は約80日が費やされた)
↓ 二の丸跡・馬屋曲輪〔うまやくるわ〕→

石積みは近江の穴太衆(あのうしゅう)〔石工の技術者集団〕による野面積み(のづらづみ)。




さざえのような石垣であることから「さざえの井戸」。
淀殿が化粧に使ったことから「淀殿化粧井戸」ともいう。
次は本丸跡。シャガの群生は、まるで兵どもの生まれ変わり。




左手の豊臣秀吉陣が一夜城こと石垣城。
石垣山一夜城歴史公園





一行目の「小田原市街地」をクリックするとタイトル写真が次のように大きくなります。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/14/422d8fdf7933c61ddd970da3e9a05e56.jpg
さざえのように組んだ井戸曲輪の石垣が、見ごたえありました。^^
石垣城は、季節によって違う雰囲気をかもすようです。コチラからはお城がハッキリ見えます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/815fa0b2ee59cfc75bd5cf8584b7d8a0
そうですね。
それだけ歩けば、お腹がすくはずです。ランチで贅沢に満たして、アルコールもいただける算段だったのですね("^ω^)・・・
太閤さんも、そのご馳走に ”たいそう” うらやむとおもいます。
> コロナでOFFろう
小田原コロナワールドも、いまのご時世ではその名を嫌われるかも・・・。
そうでした。
ずいぶん前に、【温泉お風呂】を「ON泉OFF風呂」と誤変換してました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ac29d2b488579eb8a6be723438e95cf6
* 森のkonさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。
たしかに、本丸跡から小田原城天守閣が見えますから、小田原城からも見渡せたでしょう。
もっとも、戦国時代の小田原城は、現在の場所ではなく、新幹線より北西側になる小高い丘にあったようです。
https://sirotabi.com/2906/
明治時代に、黒田官兵衛の子孫が落とした一夜城が見れる小田原城・三の丸外郭に別荘を建てて偉業を偲んだそうです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ef1e2c0e471975244a90408d6a54c2b3
* EEKの紀行さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。
特に、井戸曲輪の石垣、想像していたのよりも立派で巨大で驚きました。
石垣山一夜城歴史公園は知りませんでしたが、一夜城の周辺にあったのでしょうか。
「きくな」と答えずに、”妙蓮寺の高級住宅街の方”と答える ("^ω^)・・・
> 手持ちのブログのネタ切れです!!
当方も、この予感があったので、地元ネタとドライブ・ネタを、交互に分散してしのいでいます。
一夜城の次は、当初の行先だった足柄峠へ。更に、「誓いの丘」へいざなう予定です。
そして、地元ネタが今日は「カワセミとサギ」を、更に深掘りして「高座海軍工廠跡 」を近々にご案内予定です。
なお、「石垣山一夜城歴史公園」は城址を含むこの一帯だと思いますが、石垣城入口の真ん前が左様なのですょ。