1971年(昭和46年)に篠田正浩監督が映画化した『沈黙』を映画館で見ているが、原作を読んだかどうか忘れてしまった。
江戸時代のキリシタン弾圧下の長崎が舞台。神を信じて過酷な迫害を受けているというのに、神は沈黙したままという究極のテーマ。
テレビ予告編の海上での刑罰シーンを見て本格的なにおいを感じ、批評家が「監督が外人ながらも日本の描き方に違和感がなく、ラストに納得した」というコメントを読み行く気になった。
その監督がマーティン・スコセッシで、直近に「ヒューゴの不思議な発明」を、そして「ギャング・オブ・ニューヨーク」と「ディパーテッド」、「アビエイター」を観ていた。
豪華キャストで、見たことのある主演だと思ったら、スパイダーマンを演じたアンドリュー・ガーフィールドだった。
日本人俳優たちもそれぞれ存在感があり、井上筑後守を演じるイッセー尾形は巧かった。
江戸時代のキリシタン弾圧下の長崎が舞台。神を信じて過酷な迫害を受けているというのに、神は沈黙したままという究極のテーマ。
テレビ予告編の海上での刑罰シーンを見て本格的なにおいを感じ、批評家が「監督が外人ながらも日本の描き方に違和感がなく、ラストに納得した」というコメントを読み行く気になった。
その監督がマーティン・スコセッシで、直近に「ヒューゴの不思議な発明」を、そして「ギャング・オブ・ニューヨーク」と「ディパーテッド」、「アビエイター」を観ていた。
豪華キャストで、見たことのある主演だと思ったら、スパイダーマンを演じたアンドリュー・ガーフィールドだった。
日本人俳優たちもそれぞれ存在感があり、井上筑後守を演じるイッセー尾形は巧かった。
>なぜ 弱きわれらが苦しむのか
>・・神は沈黙したままという究極のテーマ
難しいテーマですね
「信じる者は救われる」
信じるしかないですね
観たいような、観たくないような作品のひとつです。
そして、こういう写真を見ると、一眼レフが欲しくなります。
> 「信じる者は救われる」 信じるしかないですね
どうですかね・・・、神を信じて迫害されているのに神は「沈黙」して救ってくれぬのです・・・。
キリシタン禁制の世でも、踏絵は権力者が「踏ませるため」に作ったものですから、魂はこもってませんから踏んで構わぬのです。
それに、キリスト教は偶像を拝んではならぬと教えているはずです。神社仏閣に納まっているような仏像ではないのです。
神を信じる心があればそれで十分なはずです。
> 沈黙を読んだときにはとても驚いたのを覚えています。 観たいような、観たくないような作品のひとつです。
篠田監督の『沈黙』ラストの描き方に遠藤周作は違和感をもったと当時話していた気がします。
今度は外人がどのように描くかに興味をもちましたが、日本の立場も語られ、よく創られていた気がしますょ。
「宗教は心の拠り所」
弱き者たちが苦しんでも神は何も言いません。
ただ黙って見守るだけです。
それでも神に祈りを捧げます。
それが宗教なのですよね。
>財をなすと、別荘を一等地に建てたくなります。
ありがたくも、ひとさまの別荘を見て、趣味人になった気になれます
人様の別荘を見て羨んだりはしませんが、今日の拙ブログの8人の大富豪には驚きます。
8人が全額寄付すれば36億人が救われるのです。
日本の所得格差などは可愛いものです。
だからと言って格差を是認するものではありませんよ。
人類が70億人くらいですから、その半分を救うのですね。
ひと昔前に流布したの「世界がもし100人の村だったら」のとおりです。
すべての富のうち 6人が59%をもっていて みんなアメリカ合衆国の人です
74人が39%を 20人が、たったの2%を分けあっています
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen47.html
トランプ大統領が貧しい者に職をと外国を叩いていますが、世界の富の大半がアメリカにあるのに、これ以上求めて、
その格差を更に広げようとしています。
国別富裕層人口ランキング
1位 アメリカ 6,906,000
2位 中国 3,613,000
3位 日本 1,125,000
https://moneytoday.jp/articles-347
アメリカは世界でも貧富の差が激しいそうですから、トランプが主張しているのはアメリカ国内の富の分配の問題で、外交
とは関係ないように思えます。
> キリシタンが弾圧されていた江戸時代の日本を外国人監督が映画化した作品と言うことですが、当時の時代背景などがよく表現されているようですね。
キリシタン禁制の日本の事情なども描かれていました。
拷問の種類もいろいろ考えつくものです。
温泉の熱湯を浴びせるとか、逆さづりするにも耳を切って苦しみを長引かせるなんて・・・。実際の処刑方だといいます。
豪快なイビキをかいたオヤジを起こして、「沈黙」といえば愉快でしたね ("^ω^)・・・
(12時間Blog) さん へ
キチジローは、イエスを裏切ったユダと重ねたのでしようが、醜くも賢い人間性をえぐってました。
キリシタン禁制の世に、権力者が「踏ませるため」に踏絵を作ったものですから、踏んで構わぬのです。
でも、当時は踏絵を踏めば棄教とみなされたのでしょうね。
そして、宗教家は、殉教者の血を糧に冷酷に布教を続けていくのでしょう。
どんなに信仰が深くても拷問に耐えられる人間はほとんどいないと思われるのに、史実では随分と処刑される道を選んでいます。^_^;
(セレンディピティ ダイアリー)さん へ
沈黙を貫いた神が、ラストに語り掛けるのは原作とおりでした。あるいは、神の声だと錯覚して聞こえたのでしょうか?
やはり、無常に「沈黙」したままの方がいいの思うのです。
アブラハムが我が子を生贄に捧げようと刃を振り上げた時、その覚悟を見届けた神が、これからはあなた方に
語り掛けることはしないと宣告したのですから。
(ノルウェー暮らし・イン・原宿) さん へ
> 何度も棄教し、家族も見捨て、拷問に耐え兼ねすぐに司祭を売ってしまう彼は、それでも何度も許しを請いにロドリコの元へやってくる。
> しかしそれこそが『真理』であり、彼こそがこの映画のテーマそのものなのだ。
そんな風なことを原作者は いいたかった気がします。
発表当時、どうして殉死させなかったのかと叩かれたそうです。
なるほど~~キチジローはそれこそ信者にとってはユダでしかないわけで、殉死して「ほしい」対象なのでしょうね。
ただし、信仰は神のためでも、司祭のためでも、村の長のためでも無いわけで、本当に神さまがいたとしたら、キチジローを蔑んだり怒ったりなど決してしないと思うのです。
『弱い者の為にある』のが神様で、その弱い者を救うものが信仰でなくてはいけないというのが原作者の言いたいことだったと思いました~~